原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大雪に見舞われた今年のハタチの旅立ち

2013年01月14日 | 自己実現
 (写真は、本日1月14日 14時頃自宅ベランダより撮影した東京の雪景色。 参考のため、我が家は東京都23区内閑静な住宅地に位置する。 写真中央にしな垂れているのは竹林。いつもは凛とそびえている竹林だが、突然の大雪の重さでこの姿に変貌した。)


 我が娘は来年成人式を迎えるが、この正月に早々と娘を伴い呉服店を訪れて1年後の成人式の日に着る振袖の仕立てを注文した私だ。 
 小物類は1月中に到着、そして振袖と袋帯及び長襦袢は2月上旬の納品到着予定となっている。

 成人式対象者のお嬢様をお持ちでない方々にとっては、これまたずい分と早い時期から振袖の準備を始めたものだとの印象を持たれたことであろう。 そこで参考のため、現在の世の振袖商戦は成人式の約2年程前から始まっていることを付け加えよう。

 我が家にも、既に2年程前から呉服業者より娘宛に振袖のカタログが届いている。
 当初は私もてっきり業者が娘の年齢を1歳間違えているものと捉えていた。 もしそうであるとしても、娘がこの世に生まれ出た当時から我が子ハタチのお祝いには“親の責任範疇”として振袖を仕立て成人を祝ってやるつもりでいた私である。 それ故に、業者から届くそれらカタログ写真を大いなる参考として眺めていた。

 何と言っても振袖を始め和服とは芸術品である事には間違いない。 特に振袖は若い女性が一番美しい時期に着用する衣装であり、実に煌びやかで華麗なのだ。 それを眺めるだけでも、雅(みやび)の世界へ誘(いざな)われる思いだ。

 昨年末頃よりそろそろ娘の振袖仕立てを現実化しようと志していた私は、大学が冬休みに入ったことを契機に、娘を振袖の世界へいざ導入することと相成った。
 何と言っても、日頃大学の課題をこなす事に日々精一杯の時間を費やしている我が娘である。 その合間に少しずつ振袖情報を娘に提供することにより勧誘しつつ、冬休みにこそ振袖仕立てを実行しようと目論んでいた私だ。

 年が明け、娘と共にプラネタリウムを観賞するため外出した私は、ついでに目ぼしい呉服店へと足を向けた。
 実は我が娘は当該呉服店がカタログで公開していた振袖写真の中で、自らの“お気に入り”を既に発見していたのだ!  店員氏の説明によると、カタログ掲載商品は人気があるため既に販売済のことが多いとの事である。  (そうだろうなあ…)と同意していたところ、我が娘が当該カタログ掲載振袖生地の存在を店内で発見したではないか!
 その後定員氏の勧めにより数枚の振袖生地を身にまとわせて頂いた結果、やはり娘と私が最終決断したのは、当初より娘お気に入りのカタログ掲載商品だった。


 我が娘の振袖生地購入過程の説明が長引いてしまい恐縮である。 
 上記の段取りで、とりあえず娘が来年迎えるハタチのお祝いの外観的要素は既に整った我が家である。
 さてそうした場合、来年娘が所属する現在居住地である自治体主宰の成人式へ当人が出席したいか否かが次なる問題点だ。
 (そんなもん、出たくもないよな~~)と思うのが原左都子自身の正直な心情だ。 (どうせ、来賓とやらの爺さんどもがろくでもない祝辞を述べた後、出席者の皆がキャピキャピとうるさく騒ぐばかりで、我が娘の居場所など何処にもないのは目に見えている) 
 予想通り「成人式には出たくない」と訴える我が娘に、私はあえて是非共出席することを促した。 何故ならば、せっかく素晴らしい振袖一式を仕立てたのだから! というのがまずはその経済負担をした親としての正直な思いである。  これが親馬鹿ながら我が娘に実によく似合っているのだ。
 そして、もう二言私は娘に付け加えた。 「貴方は自分の同窓生を(過去における“いじめ”等の理由で)受け入れ難いのかもしれないが、相手の誰かが貴方を受け入れている場合が必ずある。 その証拠として未だに貴方に年賀状を寄こす同窓生もいるじゃないの。 あるいは、貴方のピアノやバレエの発表会の場で偶然出くわした過去の同級生が貴方の成長に驚いたりもしてるでしょ。 もしも来年成人式に出席したら、その後もっともっと成長を遂げている貴方にとって更なるプラス評価が投げ掛けられるかもしれないよ。」  「そもそも成人式なる祭典は、万人にとって一つの通過点に過ぎない性質のものだよ。 出たくなきゃ出ないでもいいけど、そんなくだらない式典に参加した事実こそが以外や以外、後々の人生にとってひょんな想い出になる事もありかもしれないよ。 特に感受性がまだ強靭なハタチの時期に嫌々ながらも成人式に出たところでさしてメリットもないならば、さほどのデメリットもないと私は思うけどね」
 そして今一度、私は娘に付け加えた。 「今回(現金一括払い!で)仕立てた貴方の振袖は実によく似合っていて親の目線でも美しいよ!」と。

 それでもまだ少し来年の成人式出席に不安の陰を残している娘に対し、昨日私は再度提案した。
 「じゃあ、明日はとりあえず今年の成人式会場を偵察に行こう!」と。


 ところが本日、この大雪である。
 我が娘のための偵察どころが、一体全体今年の成人式参加者はこの悪天候の下如何なる行動を取ったのであろうか?
 昼のニュース報道によると、東京都内でも不意の大雪悪天候にもかかわらず晴れ着の下に「ブーツ」を履いて成人式場へと向かう果敢なハタチ女性達の勇姿が放映された。
 これには、我が娘も大いなる勇気を与えてもらった様子だ。
 「来年の成人式には私も事前に雪用ブーツを用意しておく」との娘の談話である。

 私が現在住む自治体の成人式出席率は、ほぼ60%とのことのようだ。
 原左都子自身は数十年前の成人式に、我が親の歪んだ思想により出席していない立場にある。 (参考のため、我が親の考え方とは「成人式に着飾ることになど何らの価値もない。そんなことでチャラチャラするより確かな専門力を身に付けて自立せよ」である。 ただし娘達の成人式に振袖を作らなかったことを反省して、後々和ダンス一杯の和服を仕立て私と姉に送りつけてきたのだが。)
 それが苦い思い出であるからこそ、親とは我が子に人生最大の祭り事である「ハタチの祝い」をしてやりたいと思う事こそが世の常であって欲しいと希望しつつ、来年成人を迎える娘を心より祝福できそうなハートを抱き続けていることを幸せと思う私だ。