(写真は、房総半島 養老渓谷の紅葉を背景に立つ原左都子。 2012.11.24撮影)
前回の「原左都子エッセイ集」に於いて、南米アルゼンチンへの渡航予告をしたばかりである。
引き続き“旅行記カテゴリー”エッセイの公開と相成るが、今回は一転して我が国の晩秋風景に話を移そう。
都会暮らしの私がたまには娘と共に大自然に触れ晩秋の紅葉を堪能したいと志したのは、1ヶ月程前にバスツアー関連新聞折込チラシを見たのがきっかけだった。
今回何故上記バスツアー参加を志したかの最大の理由とは、朝に弱い私にとって出発時間が午前11時頃と遅めの設定だったからに他ならない。
しかも団体行動が大の苦手の原左都子にとって、この種のバスツアーに於いて見知らぬ人々と食事のテーブルを相席にされる事など到底我慢ならない。 (いえいえそうではあるものの、配慮心旺盛な私としてはこういう場面に際してあれやこれやと頭を回転させて、差し障りのない会話を提供しようと努力するタイプだ。 ところが人間関係が希薄化した現在においては、そのような配慮さえ鬱陶しがられてしまうのが現実だ。)
そうしたところ、今回のバスツアーは車内で弁当の昼飯、夕飯は自由との条件が大いに気に入って私は参加を決定した。
さてさて、バス乗り場からバスに乗車する段になるとあらかじめ座席が決定されている。
何と幸運な事に、我々親子には運転手氏直後右側最前列の座席が用意されているではないか! これはラッキーと喜ぶと同時に、客観力のある私としては他のツアー客から羨望視線を投げ掛けられそうな窮屈感も抱く…
おそらくツアー会社の座席決定方式とは「申し込み順」であろうと推測するのだが、もしもそうであるならば、その旨を全顧客に明示して欲しいものだ。
そう言いながらも、車内の中央後部では団体客が盛り上がって賑やかだったことを省みれば、最前列で正解だったと振り返る。
いよいよ旅行記本番の記述に移ろう。
今回のバス旅行は、房総半島に位置する千葉県の養老渓谷、粟又の滝、亀山湖、そして東京ドイツ村を巡る日帰りツアーだった。
原左都子にとっては紅葉を観賞する目的で(日帰りではあったが)旅に出る事など、おそらく何十年ぶりの事である。 その種の旅行経験が一切ない都会暮らしの娘に晩秋の紅葉を見せたい思いも強かった。
娘もそんな親心に同感してくれ、今回房総半島へと旅立つことと相成った。
最初に到着した養老渓谷では、前日まで降り続いていた雨の影響で地面が泥と化していて滑りやすいため十分な注意を、とのツアーコンダクター氏の提言だった。
3連休中日のため大混雑状態の養老渓谷歩道を観光客の流れに沿って進んでいくと、確かに地面のぬかるみが激しい! しかもこの観光歩道には、川の渓流内に敷き詰められた石畳を貫かねばならない箇所もあるのだ!! これを通り過ぎるのが実に難儀だ。 何分石畳上が泥状態に加えて人、人、人の大渋滞である。 写真撮影をしたい思いなど吹き飛び、我が身が川の渓流に流されないことのみに集中して、何らの紅葉観賞など出来やしない有様だ。
(皆さん、房総半島の養老渓谷を訪れる場合、連休は避けて平日にゆらりと観賞されることを是非共オススメします。)
粟又の滝も同様、写真を2,3枚撮影するのが精一杯の混雑ぶりだ。
しかも道路渋滞も相俟って次なる訪問地の 亀山湖 観光は旅程よりカットされ、観賞出来ず終いである…
これは法的に言うと契約不履行であるはずなのに、ツアーコンダクター氏よりそれに関する何らの説明もなかった事に異議を唱えたい思いの私だが…。 (今後如何に対応するつもりですか、㈱クラブツーリズムさん???)
そして最後に訪ねた「東京ドイツ村」に関しては、私は全く予備知識がなかった。
旅行申し込み時のパンフレットで一見するに、特に晩秋や冬の季節には夜の光のイルミネーションを売りにしている様子だ。
確かにイルミネーションも美しいだろうと期待してバスツアーで訪ねた「東京ドイツ村」ではあるが、ここも3連休の影響か観光客でゲロ混み状態だ…
正直言って、光のイルミネーションなど我々親子にとってはあちこちで見飽きているという事だったかもしれない。
しかもお土産店に関してはある程度充実しているものの、落ち着いて食事ができそうなレストラン類が一切ないことには難儀させられた。 要するに屋台形式の食べ物屋しかないのが当地の特徴と言えよう。
後にパンフレットを一覧して私が思うには、「東京ドイツ村」とは四季を通じて“花畑”が美しいようだ。 その時期の昼間にこそ今一度訪れてみたい思いはある。
要するに、一旦東京湾を渡ってアクアラインを超えたならば、そこは地方自治体の収入源として娯楽施設が林立し、この経済難の時代背景を潜り抜けて都心部よりの観光客誘致のためにやっとこさ頑張っているとの図式なのであろう。
それを十分に感じ取った私は、せいぜい千葉県産やドイツ村で取り扱っているヨーロッパ地方直輸入のお土産を精一杯買い求めたとの事だ。
バスツアー帰り道で通るお台場地域から垣間見た東京ベイの展望イルミネーションが、何とも素晴らしい。
我が娘に「千葉のドイツ村より、こっちの光のイルミネーションの方がよっぽど美しいと私は思うのだけど…」と語りかけたところ、我が娘より同感の反応があった。
娘曰く、「東京ドイツ村のイルミネーションはカラフル過ぎでドギツイと思ったけど、お台場の風景は“オレンジ”と“緑”と“白”で統一されていて洗練している」
さすが、元々美術家志望だった娘らしいコメントと私は評価した。
最後に原左都子の見解を述べよう。
私にとっても、観光目的で展開されている人為的な“奇をてらった陳腐な”光のショーよりも、帰り道で一見したお台場のイルミネーションの方が価値が高いと感じたのだ。
もちろん東京のお台場とて人為的に埋め立てられ、そこに人が集合している地域であることには変わりない。
ところがたとえ人為的であれ一旦人が生息し生業を展開した地とは、必ずや人の生命が宿り血が通う地域と化している事を私はその光により匂い嗅ぐのである。
そんな意味で、予定時間を大幅にオーバーしたものの、バスツアーに参加したことにより現在の我が故郷である東京の体温が感じられる一風景を垣間見れた事に、何だか安堵する思いであった。
前回の「原左都子エッセイ集」に於いて、南米アルゼンチンへの渡航予告をしたばかりである。
引き続き“旅行記カテゴリー”エッセイの公開と相成るが、今回は一転して我が国の晩秋風景に話を移そう。
都会暮らしの私がたまには娘と共に大自然に触れ晩秋の紅葉を堪能したいと志したのは、1ヶ月程前にバスツアー関連新聞折込チラシを見たのがきっかけだった。
今回何故上記バスツアー参加を志したかの最大の理由とは、朝に弱い私にとって出発時間が午前11時頃と遅めの設定だったからに他ならない。
しかも団体行動が大の苦手の原左都子にとって、この種のバスツアーに於いて見知らぬ人々と食事のテーブルを相席にされる事など到底我慢ならない。 (いえいえそうではあるものの、配慮心旺盛な私としてはこういう場面に際してあれやこれやと頭を回転させて、差し障りのない会話を提供しようと努力するタイプだ。 ところが人間関係が希薄化した現在においては、そのような配慮さえ鬱陶しがられてしまうのが現実だ。)
そうしたところ、今回のバスツアーは車内で弁当の昼飯、夕飯は自由との条件が大いに気に入って私は参加を決定した。
さてさて、バス乗り場からバスに乗車する段になるとあらかじめ座席が決定されている。
何と幸運な事に、我々親子には運転手氏直後右側最前列の座席が用意されているではないか! これはラッキーと喜ぶと同時に、客観力のある私としては他のツアー客から羨望視線を投げ掛けられそうな窮屈感も抱く…
おそらくツアー会社の座席決定方式とは「申し込み順」であろうと推測するのだが、もしもそうであるならば、その旨を全顧客に明示して欲しいものだ。
そう言いながらも、車内の中央後部では団体客が盛り上がって賑やかだったことを省みれば、最前列で正解だったと振り返る。
いよいよ旅行記本番の記述に移ろう。
今回のバス旅行は、房総半島に位置する千葉県の養老渓谷、粟又の滝、亀山湖、そして東京ドイツ村を巡る日帰りツアーだった。
原左都子にとっては紅葉を観賞する目的で(日帰りではあったが)旅に出る事など、おそらく何十年ぶりの事である。 その種の旅行経験が一切ない都会暮らしの娘に晩秋の紅葉を見せたい思いも強かった。
娘もそんな親心に同感してくれ、今回房総半島へと旅立つことと相成った。
最初に到着した養老渓谷では、前日まで降り続いていた雨の影響で地面が泥と化していて滑りやすいため十分な注意を、とのツアーコンダクター氏の提言だった。
3連休中日のため大混雑状態の養老渓谷歩道を観光客の流れに沿って進んでいくと、確かに地面のぬかるみが激しい! しかもこの観光歩道には、川の渓流内に敷き詰められた石畳を貫かねばならない箇所もあるのだ!! これを通り過ぎるのが実に難儀だ。 何分石畳上が泥状態に加えて人、人、人の大渋滞である。 写真撮影をしたい思いなど吹き飛び、我が身が川の渓流に流されないことのみに集中して、何らの紅葉観賞など出来やしない有様だ。
(皆さん、房総半島の養老渓谷を訪れる場合、連休は避けて平日にゆらりと観賞されることを是非共オススメします。)
粟又の滝も同様、写真を2,3枚撮影するのが精一杯の混雑ぶりだ。
しかも道路渋滞も相俟って次なる訪問地の 亀山湖 観光は旅程よりカットされ、観賞出来ず終いである…
これは法的に言うと契約不履行であるはずなのに、ツアーコンダクター氏よりそれに関する何らの説明もなかった事に異議を唱えたい思いの私だが…。 (今後如何に対応するつもりですか、㈱クラブツーリズムさん???)
そして最後に訪ねた「東京ドイツ村」に関しては、私は全く予備知識がなかった。
旅行申し込み時のパンフレットで一見するに、特に晩秋や冬の季節には夜の光のイルミネーションを売りにしている様子だ。
確かにイルミネーションも美しいだろうと期待してバスツアーで訪ねた「東京ドイツ村」ではあるが、ここも3連休の影響か観光客でゲロ混み状態だ…
正直言って、光のイルミネーションなど我々親子にとってはあちこちで見飽きているという事だったかもしれない。
しかもお土産店に関してはある程度充実しているものの、落ち着いて食事ができそうなレストラン類が一切ないことには難儀させられた。 要するに屋台形式の食べ物屋しかないのが当地の特徴と言えよう。
後にパンフレットを一覧して私が思うには、「東京ドイツ村」とは四季を通じて“花畑”が美しいようだ。 その時期の昼間にこそ今一度訪れてみたい思いはある。
要するに、一旦東京湾を渡ってアクアラインを超えたならば、そこは地方自治体の収入源として娯楽施設が林立し、この経済難の時代背景を潜り抜けて都心部よりの観光客誘致のためにやっとこさ頑張っているとの図式なのであろう。
それを十分に感じ取った私は、せいぜい千葉県産やドイツ村で取り扱っているヨーロッパ地方直輸入のお土産を精一杯買い求めたとの事だ。
バスツアー帰り道で通るお台場地域から垣間見た東京ベイの展望イルミネーションが、何とも素晴らしい。
我が娘に「千葉のドイツ村より、こっちの光のイルミネーションの方がよっぽど美しいと私は思うのだけど…」と語りかけたところ、我が娘より同感の反応があった。
娘曰く、「東京ドイツ村のイルミネーションはカラフル過ぎでドギツイと思ったけど、お台場の風景は“オレンジ”と“緑”と“白”で統一されていて洗練している」
さすが、元々美術家志望だった娘らしいコメントと私は評価した。
最後に原左都子の見解を述べよう。
私にとっても、観光目的で展開されている人為的な“奇をてらった陳腐な”光のショーよりも、帰り道で一見したお台場のイルミネーションの方が価値が高いと感じたのだ。
もちろん東京のお台場とて人為的に埋め立てられ、そこに人が集合している地域であることには変わりない。
ところがたとえ人為的であれ一旦人が生息し生業を展開した地とは、必ずや人の生命が宿り血が通う地域と化している事を私はその光により匂い嗅ぐのである。
そんな意味で、予定時間を大幅にオーバーしたものの、バスツアーに参加したことにより現在の我が故郷である東京の体温が感じられる一風景を垣間見れた事に、何だか安堵する思いであった。