1月13日付朝日新聞朝刊記事の目立たない場所に、ごく小さなスペースで フィギュアスケーター浅田真央氏 関連の記事が掲載されているのを発見した。
その記事のタイトルは 「浅田選手のエッセー出版中止」 となっていた。
原左都子は、浅田真央氏がフィギュアスケート界デビュー以来世界トップの実力を維持している事はもちろん、芸術性が要求されるフィギュアの世界で実に優雅かつ美しいスレンダー体型をずっと保持し続けている事も理由に、数年来の真央ファンである。
昨年暮れにはカナダでのグランプリファイナル出場直前にお母上危篤のため大会出場を断念し帰国を余儀なくされた報道を受け、様々な意味合いで実に残念な思いに駆られた。 お母上の死去後日数を経ずして真央氏は世界選手権大会に出場し、ご自身はその出来栄えに不本意の様子ながらも優勝を勝ち取った時には心静かに祝福申し上げたものだ。
さて、その浅田真央氏がエッセーを出版する段取りだったこと自体を私はまったく把握していなかった。
しかも、その真央氏のエッセーが出版中止?!???
ご覧のように「原左都子エッセイ集」を日々綴りネット上に公開している私が、この種の記事に飛びつかない訳はない。
早速冒頭の朝日新聞記事を以下に要約して紹介しよう。
本の出版元であるポプラ社は1月12日、浅田真央選手の初エッセー「大丈夫、きっと明日はできる」(2月8日発売予定)の出版を中止すると発表した。 同社によると、宣伝用ポスターで「ママ、ほんとうにありがとう」という言葉を使ったところ浅田選手が不快感を示したという。 浅田選手のブログによると、「競技生活を通してのメッセージブログとして1年かけて制作を進めていたものでしたが、本の宣伝、告知について私の思いと異なるもので進められていた」と説明している。
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
上記朝日新聞記事を読んだ直後に、浅田真央氏がエッセーにかけた思いと、出版元であるポプラ社の販売促進方針との間に決定的な食い違いがあることを見抜いた私である。
私が推測するに、おそらくポプラ社が日頃出版物販売促進のため相手にしている著者候補者とは、少しだけ、あるいは過去に多少名の売れた類の人物群なのではあるまいか? その種の少しだけ世間に名が売れている人種を捕まえて「自社の営業力で絶対に売ってみせます!」と豪語すれば、今時どのような手段でもいいからとにかく本を出版することにより更なる“売名行為”に臨みたい輩など、この世に吐いて捨てる程存在することであろう。
ところがポプラ社なる出版業社が今回マーケティングを大幅に誤った根本理念とは、相手が浅田真央氏という“世界に名立たるアスリート”だった事ではあるまいか?
原左都子に言わせてもらうと、(真央氏が若い世代の女性だからと甘く見て)世界レベルで成功を収めている人物に向かっていつもながらの安直なマーケティング手法を吹きかけたところで本人がそう易々と首を縦に振る訳もなかった、という論理なのではなかろうか?
話が変わるが私の記憶によると、1970年代頃歌手であった山口百恵氏が他者プロデュース(代筆?)による「蒼い時」なるベストセラーを発表している。 そんなもの一切読む気もなく素通りしてきた私であるが、山口百恵氏とは単に一国に於ける一時の流行歌手に過ぎない存在だったと言えよう。
まさかこの当の昔に過ぎ去った“サクセスストーリー伝説”をポプラ社が今回模倣したとは想像したくもないが、この世界的経済危機時代に実力のみで世界に名を轟かせている 浅田真央氏 を、過去の幻の書籍売上実績と一緒くたにする過ちなど出版社は決して犯してはならないのだ!
今回の浅田真央氏エッセー出版中止事件関連ニュースをネット上で検索してみても、朝日新聞報道以上のさほどの背景事情は得られず、何処のメディア情報も真央氏とポプラ社の見解の食い違いを記述しているのみである。
その中には本出版時の“契約手続”の視点から出版元のポプラ社側を弁護するべく見解も存在するが、原左都子に言わせてもらうと有能な著者あってこそ出版社とは存在可能なのであり、この種の議論は本末転倒の範疇としか捉えられない。
ここで私事に移るが、原左都子も過去において某出版社から「本」出版を促されそれに乗ってみようかと志した時期があった。
実は、現在米国在住の我が実姉は過去に日本国内に於いて“とある方面”で少しばかり有名人だったのだが、その事実を日本国内の某出版社に“利用”され、本の「自費出版」話に乗せられてしまったのである…。 一冊で辞めておけばよいものを二冊目までも出版させられ、その損失額たるや400万円也!! (現在米国で裕福に暮らしているからこそ成り立った自費出版との事情であるし、本人がそれで自己満足できるのならばそれでいいという範疇の話に過ぎないのだが…)
既にこの種の本出版による大損失談を実姉から直に見聞いていた私としては、少しだけ知名度があるからといって出版社側から本の出版を持ち込まれようがそんな勧誘に乗れる訳などない!! (今の私には我が経済観念的にも400万円の損失など出せる訳もありゃしないしねえ…)
いえいえ、この話は決して経済観念範疇の議論で終わらせてはならないのだ。
浅田真央氏が今回、ポプラ社との本出版の契約を販売直前になって破棄した痛烈な思いが原左都子には大いに通じる。
浅田真央氏はお母上の死去を精神面で既に乗り越えられたからこそ、世界選手権に挑んだと私は解釈している。
そんな偉大な存在の真央氏を捕まえて、今さらポプラ社が言うところの陳腐な表現である「ママほんとうにありがとう」へったくれもないであろうに…。 (もちろん真央氏の心理的内面は他者が想像を絶する悲しみの思いで溢れていることであろうが…。)
それでも世界のトップに君臨し続ける事を志すフィギュアスケータ-浅田真央氏のファンとしては、その悲しみを乗り越え打ち勝とうと頑張っている姿に共感しつつ、今後も真央氏本来のフィギュアスケーターとしての華々しい活躍を応援し続けることこそが使命ではなかろうか。
出版社側からの“売らんかな”を前面に押し出した本出版勧誘に際しては、真央選手が現役引退した暁にいくらでも実行すれば十分と考えるし、今回の真央氏ご本人の販売直前契約破棄に大いに拍手の私である。
その記事のタイトルは 「浅田選手のエッセー出版中止」 となっていた。
原左都子は、浅田真央氏がフィギュアスケート界デビュー以来世界トップの実力を維持している事はもちろん、芸術性が要求されるフィギュアの世界で実に優雅かつ美しいスレンダー体型をずっと保持し続けている事も理由に、数年来の真央ファンである。
昨年暮れにはカナダでのグランプリファイナル出場直前にお母上危篤のため大会出場を断念し帰国を余儀なくされた報道を受け、様々な意味合いで実に残念な思いに駆られた。 お母上の死去後日数を経ずして真央氏は世界選手権大会に出場し、ご自身はその出来栄えに不本意の様子ながらも優勝を勝ち取った時には心静かに祝福申し上げたものだ。
さて、その浅田真央氏がエッセーを出版する段取りだったこと自体を私はまったく把握していなかった。
しかも、その真央氏のエッセーが出版中止?!???
ご覧のように「原左都子エッセイ集」を日々綴りネット上に公開している私が、この種の記事に飛びつかない訳はない。
早速冒頭の朝日新聞記事を以下に要約して紹介しよう。
本の出版元であるポプラ社は1月12日、浅田真央選手の初エッセー「大丈夫、きっと明日はできる」(2月8日発売予定)の出版を中止すると発表した。 同社によると、宣伝用ポスターで「ママ、ほんとうにありがとう」という言葉を使ったところ浅田選手が不快感を示したという。 浅田選手のブログによると、「競技生活を通してのメッセージブログとして1年かけて制作を進めていたものでしたが、本の宣伝、告知について私の思いと異なるもので進められていた」と説明している。
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
上記朝日新聞記事を読んだ直後に、浅田真央氏がエッセーにかけた思いと、出版元であるポプラ社の販売促進方針との間に決定的な食い違いがあることを見抜いた私である。
私が推測するに、おそらくポプラ社が日頃出版物販売促進のため相手にしている著者候補者とは、少しだけ、あるいは過去に多少名の売れた類の人物群なのではあるまいか? その種の少しだけ世間に名が売れている人種を捕まえて「自社の営業力で絶対に売ってみせます!」と豪語すれば、今時どのような手段でもいいからとにかく本を出版することにより更なる“売名行為”に臨みたい輩など、この世に吐いて捨てる程存在することであろう。
ところがポプラ社なる出版業社が今回マーケティングを大幅に誤った根本理念とは、相手が浅田真央氏という“世界に名立たるアスリート”だった事ではあるまいか?
原左都子に言わせてもらうと、(真央氏が若い世代の女性だからと甘く見て)世界レベルで成功を収めている人物に向かっていつもながらの安直なマーケティング手法を吹きかけたところで本人がそう易々と首を縦に振る訳もなかった、という論理なのではなかろうか?
話が変わるが私の記憶によると、1970年代頃歌手であった山口百恵氏が他者プロデュース(代筆?)による「蒼い時」なるベストセラーを発表している。 そんなもの一切読む気もなく素通りしてきた私であるが、山口百恵氏とは単に一国に於ける一時の流行歌手に過ぎない存在だったと言えよう。
まさかこの当の昔に過ぎ去った“サクセスストーリー伝説”をポプラ社が今回模倣したとは想像したくもないが、この世界的経済危機時代に実力のみで世界に名を轟かせている 浅田真央氏 を、過去の幻の書籍売上実績と一緒くたにする過ちなど出版社は決して犯してはならないのだ!
今回の浅田真央氏エッセー出版中止事件関連ニュースをネット上で検索してみても、朝日新聞報道以上のさほどの背景事情は得られず、何処のメディア情報も真央氏とポプラ社の見解の食い違いを記述しているのみである。
その中には本出版時の“契約手続”の視点から出版元のポプラ社側を弁護するべく見解も存在するが、原左都子に言わせてもらうと有能な著者あってこそ出版社とは存在可能なのであり、この種の議論は本末転倒の範疇としか捉えられない。
ここで私事に移るが、原左都子も過去において某出版社から「本」出版を促されそれに乗ってみようかと志した時期があった。
実は、現在米国在住の我が実姉は過去に日本国内に於いて“とある方面”で少しばかり有名人だったのだが、その事実を日本国内の某出版社に“利用”され、本の「自費出版」話に乗せられてしまったのである…。 一冊で辞めておけばよいものを二冊目までも出版させられ、その損失額たるや400万円也!! (現在米国で裕福に暮らしているからこそ成り立った自費出版との事情であるし、本人がそれで自己満足できるのならばそれでいいという範疇の話に過ぎないのだが…)
既にこの種の本出版による大損失談を実姉から直に見聞いていた私としては、少しだけ知名度があるからといって出版社側から本の出版を持ち込まれようがそんな勧誘に乗れる訳などない!! (今の私には我が経済観念的にも400万円の損失など出せる訳もありゃしないしねえ…)
いえいえ、この話は決して経済観念範疇の議論で終わらせてはならないのだ。
浅田真央氏が今回、ポプラ社との本出版の契約を販売直前になって破棄した痛烈な思いが原左都子には大いに通じる。
浅田真央氏はお母上の死去を精神面で既に乗り越えられたからこそ、世界選手権に挑んだと私は解釈している。
そんな偉大な存在の真央氏を捕まえて、今さらポプラ社が言うところの陳腐な表現である「ママほんとうにありがとう」へったくれもないであろうに…。 (もちろん真央氏の心理的内面は他者が想像を絶する悲しみの思いで溢れていることであろうが…。)
それでも世界のトップに君臨し続ける事を志すフィギュアスケータ-浅田真央氏のファンとしては、その悲しみを乗り越え打ち勝とうと頑張っている姿に共感しつつ、今後も真央氏本来のフィギュアスケーターとしての華々しい活躍を応援し続けることこそが使命ではなかろうか。
出版社側からの“売らんかな”を前面に押し出した本出版勧誘に際しては、真央選手が現役引退した暁にいくらでも実行すれば十分と考えるし、今回の真央氏ご本人の販売直前契約破棄に大いに拍手の私である。