原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

センター試験が今後の教育界で果すべき使命

2012年01月16日 | 教育・学校
 今年の大学センター試験も例年通り1月中旬の土日である1月14日、15日の日程で実施され、昨日終了した。

 例年運営上のトラブルが多発しているセンター試験であるが、残念ならが今年もその例外ではなかったようだ。
 今年から新しい試験方法を導入した社会系教科において、受験生4500人に影響を及ぼす大規模な問題冊子の配布ミスが発生してしまったとの報道だ。
 特に試験方法の変更等の措置を施す場合、このような失態を防止するべく事前準備と現場指導を徹底するべきであるにもかかわらず、これぞ“お役所仕事”と表現できそうな初歩的ミスは一体どうしたことか?  このトラブルに関するセンター側と各試験会場との見解に相違があるようだが、被害に遭った受験生の救済措置を徹底すると同時に、今後の運営体制の万全な構築を望みたいものである。 
 (まったくもって独立行政法人のごとくの官僚の“天下り機関”などそもそも廃止するべきであるし、国家は消費税を上げる議論に入る前に早急に公務員の報酬をカットしろよ!と国民から後ろ指を指されるというものであろう。 もういい加減、センター試験の運営を民間に移行したらどうなの?と言いたくもなる。) 


 さて、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいて、既に大学センター試験に関連する記事を数本綴り公開している。

 私自身はセンター試験はもちろんのこと、共通一次試験も経験していない古き世代である。 国立大学進学志望であった私の大学受験当時は国立一期、二期時代であり、3月に受験する国立大学へ直接出向き各大学が独自に課す一発勝負の試験に臨んだものだ。 (参考のため、30歳を目前に原左都子が再び受験した公立大学は“特別選抜”枠でチャレンジした故に、この時もセンター試験は受験していない。)

 そんな原左都子にとって大学センター試験は未知の世界であるが、何分我が子が大学受験生であった(過去形で表現しているのは既に娘が大学に推薦合格している故)ため、我が子生まれ持っての“お抱え家庭教師”である私は数年前よりセンター試験の諸情報を積極的に収集してきている。


 例えば「原左都子エッセイ集」2008年1月に公開した 「リスニングは全員に必要か?」 と題する記事に於いては、リスニング試験時のトラブル多発を受け、大学センター試験に於いてそもそもリスニング試験自体が必要なのか?との私論を展開した。 その内容を少し以下に振り返ろう。
 私事を語ると、私の世代は中高大学の学校教育においてリスニングを含めて音声教育は一切受けていない。(ただし、それは我が専攻が英語とは直接かかわりのない分野であったためかもしれない。)  そんな私もその後英会話に触れそれがある程度出来る時期があった。 それは米国人男性と遠距離恋愛をしていた独身時代の一時期であり、この恋愛のお陰で当時私は英語で喧嘩ができる程の英会話力を習得した。 “英会話マスターの最短距離はネイティブの恋人を持つことである”とは昔からよく言われている格言であるが、まさにそれを地で行った訳である。  あれから年月が流れ今やネイティブと話す機会など皆無であり、現在の私は海外旅行の場面でも初歩的な英語しか喋れないレベルに成り下がっている…。  (要するに一時の中途半端な英会話力など直ぐに廃れ去るということだ。)
 話を戻して何が言いたいのかというと、センター試験で受験生にリスニングテストを課す対象とは、専門英語分野への進学を志望する学生のみで十分なのではあるまいか、ということだ。 それらの受験生には当然ながらリスニングも含めて高度の英会話力を問うべきであろう。  ただしこれから大学へ進学して学問を究めるべく学生の資質として、英語の筆記試験であるレベル以上の成績がとれる、すなわち読み書き能力も同時に必須であるべきことは私が言うまでもない。
 リスニング試験は「税金の無駄遣い」の側面も大きいのではあるまいか。 このセンターリスニング試験でほくほく喜んでいるのは、国との癒着のICプレーヤー納入業者のみなのではなかろうか??

 現在の原左都子の私論に移るが、リスニング試験に対する見解に現在も変化はない。
 例えば私立中高等においては帰国子女やハーフ子女の英会話力“のみ”を重宝し特待している学校が多いようだが、老婆心ながら、その種の子女達のその後の社会での活躍の程は如何なるものであろうか???


 2010年10月バックナンバーに於いては 「センター試験難易度2分割案に異議申す!」 との記事を公開している。
 当時、独立行政法人である“大学入試センター”が現在存在する大学の実態に即して大学センター試験を難易度に応じて2分割する案を提示したのである。
 その事実を受けて原左都子は、これが学問を伝授しているとは言い難い“名のみの大学”を切り捨てる意図であるのならば容認できるが、そうではなくその種の大学を温存する趣旨だとするならば、学力の無い学生を生み出している高校教育以前まで遡って学校教育を再考するのが先決問題である、との私論を展開した。 
 
 その後1年以上の月日が流れているが、この2分割議論をメディア上で見聞しないことに安堵している私である。


 そして2011年5月には 、我が娘が通う高校進学担当教員から見聞した情報に基づき 「EQなるものと大学合格率との相関関係」 との記事を公開している。
 その記事の一部分のみ要約しよう。
 普段より情報収集力がある私にとって、娘が通う高校の保護者会に参加しても特段のトピックス的収穫は得られないのであるが、目新しい話題と言えば慶應義塾大学が本年度(2012年度)入試からセンター試験利用方式を全面廃止するとの情報だった。
 この廃止の理由こそを元高校教員である私としては知りたい思いだが、残念ながらその説明は聞けないままだ…。
 慶應と言えば“一応”日本に名立たる私学であろう。(“一応”と表現するのは、何分原左都子は私学受験の経験すらなく私学とは無縁の人生を歩んでいるため、私学の序列の程が実感として把握できないためである。) 
 今となっては大学を目指す若者の8割(約50万人とも言われている)が受験するセンター試験の合格結果を公にする事とは、大学の今の地位の整合性を証明する大いなる手段となるはずであるのに、慶応は何故廃止するのだろう??  それとも万人が受ける巷のセンター試験など、歴史と伝統を誇る慶應にとって相応しくないとでも判断したのであろうか??   あるいは慶應を含めた一応“名立たる”私学とは、未だに著名人及びその卒業生子女を優先入学させているのが現状のようでもあるぞ。(例えばアナウンサーになった元“モーニング娘”の何某氏とかねえ~) それら慶應生OBが卒業後もそのレベルの程はともかく著名度のみで「慶応」の名を世間に知らしめてくれるのをいいことに、センター試験などくそ食らえとの魂胆なのだろうか?? 
 今回の慶応大学のセンター試験全面廃止措置とは、歪んだエリート特権意識に基づいた思い上がり思想とも受け止められそうに思うのは私だけだろうか。
 我が国が昨年3月に歴史的大震災を経験して尚、“学問の府”であるべき大学の中に、自己の利益を追求するがあまり身の程知らずに視野の狭い大学が存在することにうんざりの原左都子である。


 最後に、我が子が今年 “大学センター試験” を受験したいきさつを述べて締めくくろう。

 我が子は既に某私立大学の「推薦入試」合格を昨秋決定している。 そんな我が娘も一昨日と昨日、今年の大学センター試験に挑んだ。
 それは娘が通う高校の教育理念に基づく措置であった。 
 「高校生としての学習力」を保持したまま高校を卒業させ大学に入学させるべき責任が高校にはあるため、推薦入学が決定している生徒も全員“センター試験”受験強制!!

 やはり高校教育とはこうあるべきであろう。
 そういう健全な高校も存在する事を視野に入れ、今後高校生が卒業後一人前に世に羽ばたける学業の評価基準として “大学センター試験”とは存在するべきである。 そのためにはたとえ官僚の“天下り組織”であるとは言え、今後はその役割を果たせる組織として正常に機能して欲しいものであるぞ。

 少なくとも毎年運営ミスを繰り返し、受験者をないがしろにすることだけは金輪際避けるべきである!