その女とは、この私のことである。
宇宙飛行士である若田光一氏の国際宇宙ステーション(ISS)滞在が、スペースシャトル“エンデバー”の故障等による打ち上げ延期に伴い約1ヶ月も延びているニュースを見聞して以降、宇宙空間で今尚一人漂う若田氏に思いを馳せては、居ても立っても居られない私なのである。
要らぬお節介とは重々承知しつつも、それには私なりの理由があるのだ。
元々、私はNASAからいくら頭を下げて頼まれようが「宇宙飛行士」にだけは絶対になりたくなかった人間である。
なぜならば、昔から多少“閉所恐怖症”的精神構造が内在していることを自覚しているためである。
例えば、一人暮らしの時や今でも一人で在宅中に、トイレのドアを閉め切って用を足す事は避けている。ドアが故障して出られなくなって狭い密室に一人で閉じ込められる状況を想像するだけで、パニックに陥りそうになるからである。
それから、車に乗っていて渋滞にはまるのも苦手である。(そういう場合は必ず窓を開けて、外界との交流口を確保するように心がけている。) 同様に、電車が不通となって中に何時間も閉じ込められる事故が日常よく発生するが、あのような場にもしも直面した場合、この私が真っ先にパニック状態に陥って周囲に迷惑をかけることであろうと想像する。 飛行機も一時苦手だった。ただし、飛行機の場合は閉所空間とは言えある程度の広さがあることと、運命共同体の人々が同乗していることが救いとなっている。
とにかく、閉所の密室性が高い程、恐怖感が増大するのだ。
この4月に我が子と一緒にお台場の科学未来館へ出かけた折に、米スペースシャトルのレプリカの室内を見学した際にも感じたのだが、外界から完璧に閉ざされたあの狭い空間内、しかも周囲はまだまだ未知の宇宙空間で、何日も過ごす宇宙飛行士達の類稀な精神力には感服申し上げる私である。
ましてや、今回若田氏は単独での長期間の宇宙滞在である。
おそらく元々強靭な精神力を備えられているのに加えて、宇宙飛行士としての十二分の訓練をクリアされている若田氏であることと拝察するが、3か月の滞在予定が、迎えのスペースシャトルの故障等の事情により約1ヶ月も延期されることの心理状態とは如何なるものなのであろう。
若田氏のISS内での“日常生活”は、各種の世界的宇宙開発事業の準備等で至って多忙であるそうなのだ。そのような充実したスケジュールにも助けられ、氏はいつも変わらぬ平常心で延期となった宇宙での生活を今もこなされているのかもしれない。
それにしても、宇宙飛行士の宇宙滞在とは私のような凡人の想像以上に過酷であるようだ。
7月1日(水)朝日新聞コラム「ニュースがわからん!」においても、この若田氏のISSでの滞在が延びたことについて取り上げられていたのだが、その記事を読む限り若田氏が宇宙生活により被る事態は壮絶であるようだ。
例えば、飲食物に関しては食料の備蓄や尿の再生により補給されるため心配はないとのことで私もひと安心である。 一方、無重力状態で起こる骨や筋肉の衰えの対処は、骨粗しょう症の薬の常用に頼るしかないとのことである。(薬嫌いの私にはこれは厳しい現実である…) 若田氏はISS内で毎日2時間きちんと運動に励むそうなのだが、それでも帰還時には60代並の筋力にまで衰え、それは一気に20歳も年をとるのと同様であり、その回復に帰還後数ヶ月を要するそうだ。(一般人が経験し得ない無重力のなせる業とは、これ程までに過酷であることを思い知らされる。)
そうでなくても既に骨粗しょう症対策を考慮している私など、やっぱりNASAから「宇宙飛行士」にスカウトされなくて命拾いしたとも言えるなあ。
さらに私が懸念するのは、ISSに滞在する若田氏の“人との接触のなさ”である。
もちろん、最先端の通信手段により、NASAはもちろんのこと、この日本や世界とも影像や音声により日々ISSでの活動状況を通信するのも若田氏の主たる業務ではあろう。
だが、生身の人とのかかわりを人間関係におけるコミュニケーションの主眼とし、ネット上の人との関係を常にもの足りなく思っている私としては、何ヶ月もの期間ISSに単独で滞在して、生身の人間とのスキンシップ等の接触ができない若田氏の精神的バランスの安定がどのように保たれるのかについては、やはり大いなる心配事である。
それにしても、宇宙飛行士の「適性」とは人間の常識を逸脱しているとも思える程超越したもののようだ。
その中でも特に、今回ISSでの長期滞在を実現している若田氏の“宇宙適性力”たる能力的、精神的、肉体的なパワーには脱帽するしかない。
若田氏の7月11日の地球帰還後の宇宙での諸活動の報告や、その後のご本人の世界的ご活躍に期待する以前に、スペースシャトルさん、早く若田さんを地球に連れて帰って来てあげてよ!
宇宙飛行士である若田光一氏の国際宇宙ステーション(ISS)滞在が、スペースシャトル“エンデバー”の故障等による打ち上げ延期に伴い約1ヶ月も延びているニュースを見聞して以降、宇宙空間で今尚一人漂う若田氏に思いを馳せては、居ても立っても居られない私なのである。
要らぬお節介とは重々承知しつつも、それには私なりの理由があるのだ。
元々、私はNASAからいくら頭を下げて頼まれようが「宇宙飛行士」にだけは絶対になりたくなかった人間である。
なぜならば、昔から多少“閉所恐怖症”的精神構造が内在していることを自覚しているためである。
例えば、一人暮らしの時や今でも一人で在宅中に、トイレのドアを閉め切って用を足す事は避けている。ドアが故障して出られなくなって狭い密室に一人で閉じ込められる状況を想像するだけで、パニックに陥りそうになるからである。
それから、車に乗っていて渋滞にはまるのも苦手である。(そういう場合は必ず窓を開けて、外界との交流口を確保するように心がけている。) 同様に、電車が不通となって中に何時間も閉じ込められる事故が日常よく発生するが、あのような場にもしも直面した場合、この私が真っ先にパニック状態に陥って周囲に迷惑をかけることであろうと想像する。 飛行機も一時苦手だった。ただし、飛行機の場合は閉所空間とは言えある程度の広さがあることと、運命共同体の人々が同乗していることが救いとなっている。
とにかく、閉所の密室性が高い程、恐怖感が増大するのだ。
この4月に我が子と一緒にお台場の科学未来館へ出かけた折に、米スペースシャトルのレプリカの室内を見学した際にも感じたのだが、外界から完璧に閉ざされたあの狭い空間内、しかも周囲はまだまだ未知の宇宙空間で、何日も過ごす宇宙飛行士達の類稀な精神力には感服申し上げる私である。
ましてや、今回若田氏は単独での長期間の宇宙滞在である。
おそらく元々強靭な精神力を備えられているのに加えて、宇宙飛行士としての十二分の訓練をクリアされている若田氏であることと拝察するが、3か月の滞在予定が、迎えのスペースシャトルの故障等の事情により約1ヶ月も延期されることの心理状態とは如何なるものなのであろう。
若田氏のISS内での“日常生活”は、各種の世界的宇宙開発事業の準備等で至って多忙であるそうなのだ。そのような充実したスケジュールにも助けられ、氏はいつも変わらぬ平常心で延期となった宇宙での生活を今もこなされているのかもしれない。
それにしても、宇宙飛行士の宇宙滞在とは私のような凡人の想像以上に過酷であるようだ。
7月1日(水)朝日新聞コラム「ニュースがわからん!」においても、この若田氏のISSでの滞在が延びたことについて取り上げられていたのだが、その記事を読む限り若田氏が宇宙生活により被る事態は壮絶であるようだ。
例えば、飲食物に関しては食料の備蓄や尿の再生により補給されるため心配はないとのことで私もひと安心である。 一方、無重力状態で起こる骨や筋肉の衰えの対処は、骨粗しょう症の薬の常用に頼るしかないとのことである。(薬嫌いの私にはこれは厳しい現実である…) 若田氏はISS内で毎日2時間きちんと運動に励むそうなのだが、それでも帰還時には60代並の筋力にまで衰え、それは一気に20歳も年をとるのと同様であり、その回復に帰還後数ヶ月を要するそうだ。(一般人が経験し得ない無重力のなせる業とは、これ程までに過酷であることを思い知らされる。)
そうでなくても既に骨粗しょう症対策を考慮している私など、やっぱりNASAから「宇宙飛行士」にスカウトされなくて命拾いしたとも言えるなあ。
さらに私が懸念するのは、ISSに滞在する若田氏の“人との接触のなさ”である。
もちろん、最先端の通信手段により、NASAはもちろんのこと、この日本や世界とも影像や音声により日々ISSでの活動状況を通信するのも若田氏の主たる業務ではあろう。
だが、生身の人とのかかわりを人間関係におけるコミュニケーションの主眼とし、ネット上の人との関係を常にもの足りなく思っている私としては、何ヶ月もの期間ISSに単独で滞在して、生身の人間とのスキンシップ等の接触ができない若田氏の精神的バランスの安定がどのように保たれるのかについては、やはり大いなる心配事である。
それにしても、宇宙飛行士の「適性」とは人間の常識を逸脱しているとも思える程超越したもののようだ。
その中でも特に、今回ISSでの長期滞在を実現している若田氏の“宇宙適性力”たる能力的、精神的、肉体的なパワーには脱帽するしかない。
若田氏の7月11日の地球帰還後の宇宙での諸活動の報告や、その後のご本人の世界的ご活躍に期待する以前に、スペースシャトルさん、早く若田さんを地球に連れて帰って来てあげてよ!