原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

何故その男にすがり続ける?

2009年07月29日 | 恋愛・男女関係
 三橋香織被告が、当時30歳の亭主の頭をワイン瓶で殴って殺害し死体を切断した挙句、住居近辺等数箇所に遺棄した事件が起きた時にも、私はそう感じたものである。

 DV(ドメスティック・バイオレンス)夫の殺害を企てる前に、歌織被告にその夫から「逃げよう」という発想が湧かなかったものなのか??


 先日千葉県において発生した、次女の母親を殺害後次女を連れ去って逃げた男の事件も不可解なまま解決がなされていない状態であるが、どうやら次女の心理状態が未だ解明されていない様子である。
 報道によると、次女は容疑者が車で逃亡中に逃げる機会がありながら逃亡先の沖縄まで容疑者と共に行動していたらしい。千葉県警によると、次女が恐怖で逃げられなかったとみているとの説明なのだが。
 ネットの出会い系サイトで知り合った二人はその後容疑者の男の暴力が原因で別れた後、男のストーカー被害に遭い、次女は警察に相談しつつも男との関係を断絶していなかった模様でもある。


 DV被害者女性の恐怖心とは、実際に被害に遭った者でなければ言い尽くせないほど“壮絶な恐怖”であるようだ。 
 実はこの私にも、20歳代後半の独身時代に交際相手の男性より“DV一歩手前”の暴力を受けた経験がある。 元々友人関係だった私とその男性は話題の共通性もあり、なかなか好感度の相性で、一緒に飲み食い、ドライブ等々と会合を重ねるうちに恋愛関係に入りかけた時のことだ。
 初めて2人きりの密室状態になった時、突然その“暴力”は始まった。私の意に反していきなり“押さえ込み”に入られたのだが、その押さえ込みの力の理不尽なまでの威圧感に身動きできなくなった私の頭を占領したのは、“恐怖心”のみだった。 全身全霊を込めて“解放”を訴えるのだが、その力はさらに増強されていく…。 詳述は避けるが、その後も相手男性の強引な“暴力もどき”の行為が続き…  結果としては大事には至らずに解放してもらえたものの、「この関係はダメだ…」との結論のみが私の脳裏を過ぎった。
(ここで少し補足説明をすると、二人が密室関係に入ることに関してはもちろん同意の上での成り行きなのだが、そういう関係においても、“暴力”と判断されるような一方的な力づくの行為とは“恐怖心”のみを抱かされることを、その時我が身を持って実感させられたのである。)
 その男性との友人関係期間は結構長かったのだが、“暴力的気質”の持ち主だとは、うかつにもまったく察知できていなかった。 ただ後で思えば、例えばドライブ中に急に怒り始めたり等の短気な一面(車の運転とは生来の気質が表面化しやすいと一般に言われているが)があったことを後で思い出したりもした。

 さらに厄介なのは、“DV気質”の男性(女性も?)とはどうやら“ストーカー気質”も同時に備えているようなのだ。
 後日、その男性に別れ話を持ち出した私に対し、男性は普段会うときのように至って紳士的に「一時の気の迷いで申し訳ないことをした」等々と謝罪し、付き合いを継続したい意思を表明する。 ただ、人間の持って生まれた“気質”とは、努力や時間の経過では変わりにくいことをその時既に認識していた私は、そんな男性を突っぱねる形となった。
 ところが、その後電話での誘いが続く。(参考のため、当時は庶民の連絡手段とは電話しかない時代で、ナンバーディスプレイ装置は元より留守番電話すらまだ一般に普及しておらず、電話が鳴れば出ざるを得ない状況にあった。) 会う事を断り続ける私に、相手の男性は(当時の言葉を用いると)“ノイローゼ気味”になってしまい、電話口で「二人で死のう」と訴えられた時には、この私もビビりつつ自分の落ち度を反省したものである。
 結局は、それでも断固として会う事を拒否し続けたことが功を奏した様子で、電話の回数が減り始め、自然消滅の形で二人の関係は終焉し、その後大事には至らずに済んでいる。


 さて、話を冒頭の三橋歌織被告や、千葉の事件に戻そう。
 DV夫を殺害する前に、交際相手に母親を殺害される(未だ捜査中で結論は出ていない模様だが)前に、とにもかくにも、暴力、ストーカー相手から逃げられるうちに逃げ切ることが被害女性にとって先決問題ではないかと、皆さんも感じておられるのではなかろうか。

 ところが、“暴力”とは悲しいことに、被害者に恐怖心をもたらし、その恐怖心で被害者をかんじからめにしてしまう“洗脳力”があるところが厄介なのだ。
 話が飛躍するが、ヒトラーの独裁やイラクのフセイン政権等、歴史的観点からも、人民とは自らが生き延びるために独裁者の成すがままの政権の“思う壺”にはまらざるを得ない状況下に置かれることは事実である。
 “暴力で訴えるDV相手”とは、その暴力により正常な頭脳のはたらきを失わされている被害者にとっては、まさに“独裁者”なのである。


 DV問題に詳しい学者は以下のように話す。
 「DV被害者は逃げながら暮らしを再建しなければならない。安心して逃げるのを助けるのが“DV防止法による保護命令”である。…」(朝日新聞7月27日トップ記事より引用)

 それ程に、DV被害者が置かれている現状とは切羽詰まっていて過酷な状況にあることは私もわきまえている。 
 とにもかくにも、“暴力男”にすがって言いなりになっていないで、過酷な状況の中にも自らの理性を取り戻せるなるべく早い時期に、公的なDV救済機関等も頼りつつ、勇気を持ってDV加害者から“逃げ切って”我が身を守って欲しいものである。 
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