先だって、春休み中の子どもと一緒に東京お台場方面へ出かけた折りに、青海の「日本科学未来館」へ立ち寄った。
この博物館の一番の特徴は、スタッフとの“対話”により諸科学の情報収集が出来るところにあるようだ。 あらかじめ、知人よりその旨の話は聞いていたのだが、確かに館内の至る展示場に各種スタッフが配置されている。 そして、その中でもオレンジ色の制服を着た科学専門知識を持つ数多くのボランティアスタッフが、入場者に気軽に声をかけるというシステムになっているようだ。
春休み中にもかかわらず入場者はさほど多くなく、むしろボランティアスタッフの方が人数が多いとも見受けられる館内である。
5階の「地球環境とフロンティア」フロアのボランティアスタッフは、全員がご年配(失礼な表現をお許し下さい)の男性である。おそらく科学専門分野の仕事を定年退職されたのかと思しき男性達が、この博物館でかつての各々の専門知識をボランティアという形で活かされているのであろう。
スペースシャトルコーナーでレプリカの室内を見学していると、早速ボランティアの一人の方が私に声をかけて下さった。
「(世界地図を指差しながら)若田さんが乗っている国際宇宙ステーションは、今現在この辺を飛行しています。」
「そうですか。どれ位のスピードで地球の周りを飛行しているのですか?」との私の質問に対し、
「一日に約○回転半程です。(うろ覚えのため、ここでは詳細の表示は回避する点ご了承下さい。)」
「へえー!! ものすごく速いスピードですね!」と私。
引き続き、地上約4000kmの高さを飛行していることや、宇宙ステーションには一応小さい窓があること、宇宙ステーション自体は光を発していないが、太陽光や月との関係で明け方と日の入りの頃に地球からも飛んでいるのが見える時がある話、等々を伺った。
その後、深海探索艦「しんかい」のレプリカコーナーでも、ボランティアの男性に声をかけていただき、このボランティアの方にはその後我々親子“専属”で海底探索科学コーナーにずっとお供いただいて、海底科学の現状と未来に関する相当詳細の知識をご伝授いただけたのである。
さて周囲を見渡してみると、ボランティアスタッフから話を聞いている入場者はどうやら我々親子のみのようである。春休み中のためか子連れの親子グループらしき姿が目立つのだが、誰もボランティアスタッフを“有効利用”している入場者はいない。子どものほとんどは体験コーナーで遊ぶのに熱心で、スタッフの語りかけには興味がないようだ。 また、親や大人の入場者はスタッフと“話す”こと自体が面倒臭そうな様子で、あえて避けているとも見受けられる。
一方、ボランティアスタッフにしてみれば、入場者と対話することにより自分の専門知識を活かすことがボランティアの趣旨であり、入場者からの質問を得ることによりできるだけ“対話”に持ち込もうと努力している様子である。
入場者との“対話”の多いボランティアスタッフほど、達成感を得られることであろう。それを重々察知している私は、半ばサービス精神もあり、自分の専門ではない科学分野の「質問」に努めたのである。
人に「質問」する事とは確かに容易なことではない。特に科学等の専門分野における「質問」とは、たとえこちらが素人とは言えある程度の知識がなければ「質問」になり得ない。そして、質問を受ける相手の「答える能力」の程も見極めないことには話が繋がらない。
今回の科学未来館の場合、ボランティアスタッフの専門能力は相当高いとみなした私は、とっさに質問内容のレベルの程を吟味したものである。 加えて、相手が博物館のスタッフであるとは言え人間同志としての礼儀は当然ながら貫くべきであり、専門分野を定年退職されている(と思しき)人生の先輩のスタッフの方に失礼のないような言葉遣いや態度を吟味しつつの“対話”であった。 その成果もあり、こちらとしてはある程度有意義な情報が得られ、相手のボランティアスタッフの方にもおそらく有意義な時間を共有していただけたのではないかと思う。
人間関係の入り口は「対話」にあると私は常々考えている。
人が人としての関係を築き深めていくためには「対話」を続ける必要がある。 例えば、人間が複数存在する場で一人よがりに喋り続けたところで、決して「対話」にはなり得ない。その辺を勘違いしている人間が蔓延っている現状の社会に、辟易とさせられているのは私一人なのであろうか。
「対話」の原点は人に対する“問いかけ”である。人に問いかける能力とは相手に対する配慮であり、相手の能力を見極める力量であり、何よりも相手と話したいと思う自分からの相手への愛情であろう。
もしも誰にも問いかけることすら興味がないと言う人がいるのであれば、その相談に応じてあげたい気がする私でもある。
今回の私の記事のごとく大袈裟に考えずとも、少しでも問いかけたい事があってその相手がいるのならば、それだけで人間関係は開かれているも同然である。
とにかくその相手に“問いかけ”てみてはどうか。
この博物館の一番の特徴は、スタッフとの“対話”により諸科学の情報収集が出来るところにあるようだ。 あらかじめ、知人よりその旨の話は聞いていたのだが、確かに館内の至る展示場に各種スタッフが配置されている。 そして、その中でもオレンジ色の制服を着た科学専門知識を持つ数多くのボランティアスタッフが、入場者に気軽に声をかけるというシステムになっているようだ。
春休み中にもかかわらず入場者はさほど多くなく、むしろボランティアスタッフの方が人数が多いとも見受けられる館内である。
5階の「地球環境とフロンティア」フロアのボランティアスタッフは、全員がご年配(失礼な表現をお許し下さい)の男性である。おそらく科学専門分野の仕事を定年退職されたのかと思しき男性達が、この博物館でかつての各々の専門知識をボランティアという形で活かされているのであろう。
スペースシャトルコーナーでレプリカの室内を見学していると、早速ボランティアの一人の方が私に声をかけて下さった。
「(世界地図を指差しながら)若田さんが乗っている国際宇宙ステーションは、今現在この辺を飛行しています。」
「そうですか。どれ位のスピードで地球の周りを飛行しているのですか?」との私の質問に対し、
「一日に約○回転半程です。(うろ覚えのため、ここでは詳細の表示は回避する点ご了承下さい。)」
「へえー!! ものすごく速いスピードですね!」と私。
引き続き、地上約4000kmの高さを飛行していることや、宇宙ステーションには一応小さい窓があること、宇宙ステーション自体は光を発していないが、太陽光や月との関係で明け方と日の入りの頃に地球からも飛んでいるのが見える時がある話、等々を伺った。
その後、深海探索艦「しんかい」のレプリカコーナーでも、ボランティアの男性に声をかけていただき、このボランティアの方にはその後我々親子“専属”で海底探索科学コーナーにずっとお供いただいて、海底科学の現状と未来に関する相当詳細の知識をご伝授いただけたのである。
さて周囲を見渡してみると、ボランティアスタッフから話を聞いている入場者はどうやら我々親子のみのようである。春休み中のためか子連れの親子グループらしき姿が目立つのだが、誰もボランティアスタッフを“有効利用”している入場者はいない。子どものほとんどは体験コーナーで遊ぶのに熱心で、スタッフの語りかけには興味がないようだ。 また、親や大人の入場者はスタッフと“話す”こと自体が面倒臭そうな様子で、あえて避けているとも見受けられる。
一方、ボランティアスタッフにしてみれば、入場者と対話することにより自分の専門知識を活かすことがボランティアの趣旨であり、入場者からの質問を得ることによりできるだけ“対話”に持ち込もうと努力している様子である。
入場者との“対話”の多いボランティアスタッフほど、達成感を得られることであろう。それを重々察知している私は、半ばサービス精神もあり、自分の専門ではない科学分野の「質問」に努めたのである。
人に「質問」する事とは確かに容易なことではない。特に科学等の専門分野における「質問」とは、たとえこちらが素人とは言えある程度の知識がなければ「質問」になり得ない。そして、質問を受ける相手の「答える能力」の程も見極めないことには話が繋がらない。
今回の科学未来館の場合、ボランティアスタッフの専門能力は相当高いとみなした私は、とっさに質問内容のレベルの程を吟味したものである。 加えて、相手が博物館のスタッフであるとは言え人間同志としての礼儀は当然ながら貫くべきであり、専門分野を定年退職されている(と思しき)人生の先輩のスタッフの方に失礼のないような言葉遣いや態度を吟味しつつの“対話”であった。 その成果もあり、こちらとしてはある程度有意義な情報が得られ、相手のボランティアスタッフの方にもおそらく有意義な時間を共有していただけたのではないかと思う。
人間関係の入り口は「対話」にあると私は常々考えている。
人が人としての関係を築き深めていくためには「対話」を続ける必要がある。 例えば、人間が複数存在する場で一人よがりに喋り続けたところで、決して「対話」にはなり得ない。その辺を勘違いしている人間が蔓延っている現状の社会に、辟易とさせられているのは私一人なのであろうか。
「対話」の原点は人に対する“問いかけ”である。人に問いかける能力とは相手に対する配慮であり、相手の能力を見極める力量であり、何よりも相手と話したいと思う自分からの相手への愛情であろう。
もしも誰にも問いかけることすら興味がないと言う人がいるのであれば、その相談に応じてあげたい気がする私でもある。
今回の私の記事のごとく大袈裟に考えずとも、少しでも問いかけたい事があってその相手がいるのならば、それだけで人間関係は開かれているも同然である。
とにかくその相手に“問いかけ”てみてはどうか。