原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ある少女の“孤独”

2009年04月26日 | 教育・学校
 その少女には母親がいない。
 現在17歳(16歳??)。 いわゆる“父子家庭”で父親との二人暮らしである。

 小学校低学年までは、少女は公立小学校に併設されている学童保育所で放課後を過ごしていたようだ。高学年の児童は預からない学童保育所だったため、小学4年生以降は夜までの長い時間を子どもがどう過ごすか、家庭内で考えざるを得ないことになる。

 そんな娘に父親は子犬を与えた。 ところが、幼い少女に犬のしつけ、調教など出来る訳もなく、保健所にさえ無届状態だったようだ。
 学校の放課後になると、少女は連日友達グループを家に連れ込み、集合住宅内で子犬と共に大騒ぎして遊ぶようになる。その騒音や、建物内のエレベーター等の至る所に犬の排泄物を目の当たりにした住民から苦情が出始め、管理組合を通じてその家庭に注意を促すことになる。
 ところが、深夜の帰宅になることも多くほとんど家には不在の父親は、日頃の娘の悪戯の実態を露知らない。犬を飼っていることに関しては保健所には届け出た模様だが、「我が家の娘はそんなことはしていない」と話し合いにはまったく応じず、門戸を閉ざしてしまったようだ。
 
 その後反抗期に入った娘は、父親の留守中に奇怪な行動に出始める。家中の窓を開け放して大音量で音楽の騒音を撒き散らしてみたり、バルコニーの手すりを金属製の棒か何かで叩き続けたり、そこから大声で叫んでみたり、北側のベランダに布団を干して何時間もその布団を叩き棒で叩き続けたり…。

 そんな少女の姿を見かねた私は思い切って持ち前の老婆心を発揮し、少女の保護者宛に、失礼がないように重々配慮したつもりの一通の手紙をしたためた。
 「お嬢さんは寂しくてストレスが溜まっているのではないのか。心を外に解放できるように、お嬢さんの興味のあることに何でもいいから打ち込ませてあげる等の配慮を要するのではないか、云々…」
 これが、とんでもなく余計なお節介だった様子だ。父親の逆鱗に触れてしまったようで、我が家はその後、その父娘の目の敵の存在となってしまう。

 中学生になった少女は多少落ち着いたかに見えたものの、やはり奇怪な行動は続き、集合住宅の玄関先で友人らと座り込んで雑談をしている姿を見かけるようになる。 そのうち異性にも興味を持つようになった様子で、早くも家に男の子を連れ込む姿も目にした。
 高校受験が近づくにつれ友人らは塾にでも通うのか、少女が単独で行動する姿を見かけることが多くなってきた。

 中学を卒業した少女は、どうやら高校には通っていないようだ。定職にも付いていない風で、昼間は在宅していることが多い様子だ。たまに見かけるその姿は、金髪に近い茶髪にお化粧をし、超ミニスカートといった派手ないでたちである。
 17歳(16歳?)になっている現在、少女が何を思って何をして生きているのかは不明である。一つだけ感じるのは、今尚我が家を目の敵にしているような嫌悪感が彼女から“グサリ”と伝わってくることである。(我が家にその少女と同世代の娘がいて、少女の目には、我が家が“一見”幸福そうに映るという背景もあるためかと、私は推察するのだが…)

 保護者が話し合いに応じてくれたなら、少女の心を救う手立てもあったはずだ。ピシャリと門戸を閉ざされてしまったのでは、周囲の一般市民はプライバシー保護や個人情報保護の観点からも手の差し伸べようがない。


 子どもは決して一人で育つことは出来ない。特に義務教育終了まではどうしても保護者の後ろ盾を必要とする。 
 母子家庭、父子家庭等「ひとり親」家庭において、2人きりでの暮らしを余儀なくされている家庭は現在急増中であろう。親から見てしっかり者の子どものように感じても、年端のいかない幼い子どもが一日のうちの何時間もを毎日一人で過ごさざるを得ないこととは、大人の想像を遥かに超えて過酷な実態であろう。そのような環境の中で、子どもの健全な精神が育つはずもない。
 
 このような場面で、現在の教育行政はその救いを“地域力”に期待しがちであるが、特に都会においては各家庭が孤立化し、“地域”という概念は形骸化して有名無実の存在と化しているのが現状である。  
 いつまでも実体の無い“地域”に周囲の子どもの成長を見守る責任を押し付けるのではなく、行政の責任において、「ひとり親」家庭をはじめとする親との接触が手薄な子供達のための、健全な育成のシステム作りに着手するべきであろう。
       
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