原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「問い」を学ぶ

2008年06月05日 | 学問・研究
 学問とは何か?  それは、その字の通り“「問い」を学ぶ”業である。


 先だっての5月30日(金)朝日新聞夕刊「こころ」のページの相談コーナー「悩みのレッスン」において、この“学問”が取り上げられた。

 では、いつものようにまず「悩みのレッスン」の相談者の相談内容から要約してみよう。
 この春浪人生になったが、大学受験に落ちたショックから新たな気持ちで勉強できない自分がいる。周囲も行くから大学に行くことを当たり前だと思い目指してきたが、今は大学に行きたいという強い意志が薄れ、自分がなぜ大学に行きたかったのかわからない。自分がこだわっていた学問って何なのか?少しの興味で学部を選択していいのか?大学へ入る意義など何かヒントが欲しい。

 この相談に対する哲学者、永井均氏の回答を以下に要約する。
 ときどき、高校までの勉強は嫌いだったが大学の勉強は好きだという人がいる。(逆もいるが。)両者には根本的な違いがあるからだ。
 高校までの勉強は、現在までのところ知られている学問の成果を理解して記憶することが中心である。歴史を例にとると、史実とされている内容を記憶し定説となっている因果関係を理解することが学習の中心となる。その史実のバックグラウンドや、なぜ教科書にその史実が取り上げられているのか、また過去にそういう出来事があったからといってそれが何だというのか…、といった最も肝心のところが素通りされている。
 大学に入って初めて、答えではなく「問い」を学ぶことができる。同時に、いま学者達の意見が一致していない最先端の論争状況を知ることができる。その二つはつながっている。面白い。
 面白いのみならず、そのような観点に立ったとき初めて人間とは何であり、何のために生きているのかの問いと、学問の営みとのつながりが理解できる。
 大学には行ってみた方がいいと思う。
 以上が、永井氏の回答の要約である。


 学問に励む意義等については、本ブログのバックナンバーでも何度か取り上げてきている(学問・研究カテゴリー「学問は虚無からの脱出」等を参照下さい。)が、私論も上記の永井氏とまったく同様である。

 高校までの学習とはその分野の如何にかかわらず既存の事実の理解、記憶作業に過ぎない。言わば受身の学習でありそれ故につまらなさも伴っているため、嫌いな人が多いのではなかろうか。もちろん、その既存の事実に興味を持って学習に励み知識を積み重ねていくことは人間にとっての成長につながるし、こういう作業が得意な人々も存在するであろう。

 片や、大学での学問とは、まさに「問い」を学ぶ業である。
 ただ、残念ながら学問のこの本来の意味さえ知らずして大学を卒業していく学生も多いのかもしれない。なぜならば、学問に取り組む前提として高校までの学習による知識が欠かせないのにそれが元々満たされていなかったり、大学側に学問を伝授していく教育力がなかったりする現状だからである。これについても既に本ブログの教育・学校カテゴリーバックナンバー「大学全入時代への懸念」で取り上げたが、大学入学者の学習能力不足が著しいため、名立たる大学においても中高の復習をしているという事例が少なくない実態らしく、悲しいかなこれでは大学本来の「問い」を学ぶ学問からは程遠い。


 私事になるが、この私も決して最初から学問好きだった訳ではない。私が学問に目覚めたきっかけは、社会人になってから民間企業で医学分野の業務に携わっていた時に「免疫学」に触れて以来だ。私の場合、医学分野の国家資格も取得しており基礎知識を有していたことが幸いして、当時の最新の「免疫学」にはまってしまったのだ。私が従事していた免疫学分野の関連研究の最新情報(まさに学者達のホットな論争状況)を入手したくて、会社の出張費で全国を飛び回り免疫学関連の学会に出席したり、文献を読みあさったりしたものだ。(学問・研究カテゴリーのバックナンバー「self or not self」を参照下さい。)
 それがきっかけで「問い」を学ぶことの面白さに目覚めた私は、更なる学問を志し、30歳を過ぎてから再び新たな学問を志すことになったといういきさつである。

 永井氏が述べられている通り、学問とは面白いだけではない。学問に勤しむことにより、人間とは何であり、何のために生きているのかという人間本来の「問い」にも直面できる。どのような分野の学問であれそれに触れることにより、必ずや人間はさらに人間らしく生きられるような実感もある。

 上記の私自身の「免疫学」の例のように、決して大学だけが学問を修める場であるという訳ではないが、せっかく一度大学での学問を志したのならば、大学や教官による当たり外れは覚悟の上で、是非行くことを私もお勧めしたい。
  
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