団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

菅首相を見習って腹筋100回にしてみたら

2020-11-30 11:41:49 | 健康・病気

菅義偉首相が毎日、腹筋100回を続けていると知って、私も腹筋台での腹筋の回数をこれまでの50回から100回に増やしました。

1週間もしないうちに効果が現れました。通勤の際、十三大橋の坂道を自転車で駆け上がるのですが、そのスピードが上がりました。体幹が安定してきたためでしょうか、ペダルを踏み出す力がアップしてきたようです。

寝起きの腰痛が軽減しました。寝返りの回数が増えたようです。寝返りが10回未満になると、寝起きの腰痛が発症するとされていますが、10回を超えるようになったのかもしれません。

整骨院でのトレーニング機器を使った運動では、腹筋は腹筋台だけでなく、バランスボールを使って30回以上しています。それに、仰向けに寝てお腹を思いっきり引っ込めるドローイン1セット(20秒間、5回)を2セットしています。ドローインは腹横筋などのインナーマッスルを鍛えます。

腹筋の回数が倍になったことで、押し出す力が強くなったのでしょうか、便通がよくなりました。1日に2回以上、お通じがあるようになりました。

 

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「あゝ上野駅」を聞いて

2020-11-27 10:39:00 | 社会・経済

NHKFMラジオの「歌謡スクランブル」で、井沢八郎さんの「あゝ上野駅」が放送されました。東京五輪が開かれた昭和39年の5月に発売された曲です。

上野は おいらの 心の駅だ/くじけちゃ いけない 人生が/あの日 ここから 始まった

の歌声に続いてセリフがはいりました。

「父ちゃん、僕がいなくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうな。今度の休みには必ず帰るから、そのときは父ちゃんの肩も母ちゃんの肩も、もういやだっていうまで叩いてやるぞ。それまで元気で待っててくれよな」

上野駅は東北から集団就職する中学卒業生の終着駅でした。高度成長期、「金の卵」と呼ばれた子どもたちの支持と共感を集め、「あゝ上野駅」は100万枚のヒット曲になりました。

集団就職をした15~18歳の父母ならば、30代後半から40代です。働き盛りが畑仕事で疲れ果てているの、思ってしまいました。1960年代の働き盛りはそんなに疲れていたのか?

私たち団塊の世代は、40代はモーレツ社員として働き、コマーシャルでも「24時間闘いますか」とはっぱをかけられました。

そんな話をカミさんにしたら、「私の中学時代、父や母の腰や肩をよくもまされたわ」との言葉が返ってきました。

団塊の世代から事務職などの頭脳労働が中心になりましたが、60年代の働き盛りは肉体労働が主でしたから、疲れ方が違うのかもしれないと思い至りました。

 

 

 

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超悪玉コレストロールは減らせるのだ!

2020-11-26 10:31:35 | 健康・病気

大阪府健活マイレージ「アスマイル」を毎朝開いて、体重、血圧、脈拍などを打ち込むとともに、健康コラムを欠かさず読んでいます。それを読んでいたら、超悪玉コレストロール(sd LDL-CHO)は中性脂肪を減らせば、悪玉コレストロールに戻る、と書いてありました。

「えっ、超悪玉コレストロールを減らすことができるの」。ネットで調べたら、その通りでした。

超悪玉コレストロールは直径25.5nm以下(nmは10億分の1m)の悪玉コレストロール(LDL-CHO)で、動脈硬化を促進します。人間ドッグでは超悪玉を減らすことが動脈硬化の悪化防止につながることから、超悪玉を測定するようになりました。

 

基準値は30mg/dl未満ですが、私は2017年48.5mg、2018年51.4mg、2019年43.0mg、2020年46.4mgと一度もクリアできていません。

中性脂肪は2019年96mg、2020年102mgと基準値(150mg/dl未満)を下回っています。「これを続ければ、超悪玉を減らせるのか」

中性脂肪が増える原因は甘いものとお酒です。甘いものはほとんど口にしませんが、お酒は減らせないなあ。また悩みが増えました。

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133人の韓国孤児を育てた「38度線のマリア」望月カズ

2020-11-24 09:26:45 | 健康・病気

大阪韓国文化院(大阪市北区中崎2丁目)で開かれている、韓国の風土と人々を撮り続けている写真家藤本巧さん(71)の写真展「誠信の交わり」の中に「民族の垣根を越えて韓国の人たちと接した日本人 韓国の地に眠る」という特別企画があり、6人の日本人が取り上げられていました。

6人とも私がまったく知らない人たちでした。その一人が韓国の孤児133人を育て、「38度線のマリア」と呼ばれた望月カズさんでした。

その経歴を読んで、とてつもない過酷な運命を生き抜いてきたことに驚きました。父の顔を知らないまま、4歳で母親と満州に渡りましたが、6歳のとき、母が亡くなり孤児に。農奴として転売されながら、生き抜きました。

戦後、ソウルにいたとき、朝鮮戦争が勃発、銃弾で倒れた女性の胸に抱かれた男の子を助けたことから、孤児を育てることを決意したといいます。バラックを建て、肉体労働や露天での理髪業を営み、時には売血をして孤児たちを育て続けました。

1963年に理髪業の資格を取得してから、「愛の理髪師」として、その名が知られるようになり、手記の「この子らを見捨てられない」はベストセラーに。この本を原作にした映画「愛は国境を越えて」は日本でも上映されました。

長年の重労働から体調を崩し、1983年11月12日、ソウル市内の自宅で亡くなりました。56歳でした。「富士山の見える所で眠らせてほしい」と生前、話していたことから、静岡県の瑞林時に分骨埋葬されています。

圧倒された生き方でした。「望月カズ」はウイキペディアにも載っていましたから、私が知らなかっただけかもしれませんが、すさまじい人生を生き抜いた日本女性でした。

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3カ月ごとに健診を受けていたのに、白血病で急死

2020-11-23 09:41:09 | 健康・病気

水道工務店を立ち上げ、丁寧な仕事ぶりが受けて顧客を増やしていったYさんが急性白血病で急死しました。77歳でした。健康にはひときわ注意を図り、3カ月おきに定期検診を受けていたのですが、そのはざまで亡くなりました。

「疲れやすくなった」といい、かかりつけの病院で診療を受けたところ、そのまま入院し、数日後に亡くなりました。3カ月ごとに血液検査などを受けていたのですが、白血病がわからなかったそうです。

40代半ばの息子に社長を譲り、自らは会長に退き、余生を楽しもうと妻と話していた矢先でした。

2世代でも一緒に住めるように、鉄筋3階建ての自宅を建て、風呂好きなので4畳半のスペースがある浴室をこしらえました。ところが、息子は結婚して別居し、娘も嫁いで家を出ました。

自宅には、妻が一人で住むだけ。息子、娘の子どもたち、4人の孫が遊びに来るのが愉しみの一つといいます。

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