団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

待つ辛抱ができなくなりました

2014-09-18 09:43:25 | スポーツ

セレッソ大阪と連携した人権啓発活動を大阪・長居公園にあるヤンマースタジアム長居で行ってきました。セレッソ大阪の中心選手の山口蛍、フォルラン、杉本健勇、南野拓実、扇原貴宏の5選手の写真に「いじめNO!」などと書かれたクリアファイル3500枚をサポーターら入場者に配りました。

午後3時30分に集合し、午後4時から配布を開始しました。午後5時30分ごろ、配り終えました。啓発活動に参加しますと、希望者には入場券が手渡され、午後7時キックオフのセレッソ大阪ー柏レイソルの試合が観戦できます。私は当初、観戦を希望し、チケットを渡されました。

炎天下のもと、「セレッソ大阪を応援しよう」などと声を上げて配ったせいか、声がかすれ、やや疲れ気味でした。「キックオフまで1時間30分か。待つのはしんどいな」となり、チケットを返して帰りました。

昨年までは、それくらい待つのが苦にはならなかったのに、です。試合開始の1時間前から両チームの練習が始まりますから、それを見るのも楽しみでした。60代後半になると、体力、気力とも予想以上に衰えてくるようです。

そういえば、3時間を超えるプロ野球の試合を球場で見るのが辛くなりました。昔は、甲子園球場で高校野球の準々決勝4試合を観戦することがちっとも苦にならないどころか、大いなる喜びだったのに、です。

体力、気力に合った愉しみではないと、身が持たなくなったようです。ああ、また老人力がついてしまいました。

コメント

大阪桐蔭のピッチャーライナーは捕るな!

2014-08-28 09:25:16 | スポーツ

夏の甲子園は、大阪桐蔭が4度目の全国優勝を果たして幕を閉じました。三重との決勝戦のラジオ放送を行きつけの寿司店で、寿司定食を食べながら「三重が2点リードしている」とご主人に呼びかけました。

すると、府立高校野球部監督を長年務めた、ご主人は「すぐに追いつきます。大阪桐蔭の打者のヘッドスピードの速さは超高校級です。一巡は抑えられても、二回り目から打ち返します」と答えました。ご主人の予想通り、三重を4対3で破り、深紅の優勝旗を手にしました。

ご主人が率いた府立高校野球部は大阪大会で大阪桐蔭と何回も対戦しました。「全国から集めた優秀な選手を鍛え抜いています。高校生離れをしたガタイの大きな選手もおります。ともかく全員がバットのヘッドスピードが速いので、打球の速さがずば抜けています」と言います。

それで、選手たちには「打球が速いピッチャーライナーとサードライナーは捕るな」と指示しました。グラブを出したら、けがをする恐れが大きいからです。ショートフライがとんでもない高さに上がり、落下するスピードが速くなったため、遊撃手が捕れなかったこともありました。

ガタイの大きさで、思い出したことがあります。日本ハムの中軸打者の中田翔選手(25)が大阪桐蔭の選手だったときのことです。開会式の予行演習で球場に集まった選手たちの中で、背番号をつけたゼッケンがひときわ小さく見えた選手がいました。別の高校の選手だった知人が不思議に思ってその選手に近づいたところ、中田選手でした。

「縦横とも体ががっしりして大きいので、背番号が小さく見えたのです。あの大きな体になるのに、どれだけ練習したのかと考えると、こんなチームには勝てっこないと思いました」と知人は振り返りました。

コメント

マー君の体力、精神力にびっくりですが‥

2013-11-05 10:30:01 | スポーツ

プロ野球日本シリーズは楽天が王者・巨人を4勝3敗で破り、初の日本一を達成しました。最大の原動力になったのが田中将大投手であることはいうまでもありません。今シーズンで初の敗戦投手になった第6戦で160珠も投げたあと、3勝3敗のタイで迎えた3日の最終戦で9回、本人が望んでリリーフに立ち、最後の打者をスプリットで三振を取りました。160球に続いて、15球も投げ抜き、うち9球がフォークボールと同じ握りで投げる、落ちるボールのスプリットでした。

私は草野球を遊びでやった程度ですから、プロ野球で160球も投げたときの肩、肘、手首など体の痛みがどれほどひどいものか、は実感できません。だが、長年、高校野球を見続けてきた経験からいって、いかに過酷なものかは想像できます。高校生投手でも、1試合9回を投げると3、4キロ体重が減るといわれます。

ただ、ホノルルマラソンを完走した体験をもとにすると、田中投手の筋肉疲労は全身がかちかち状態だと思います。マラソンを完走した翌日は、自分の体が自分の思うように動きません。まるでロボットのように手足がコキコキした動きになります。そんな体で、ホノルルの公園をジョギングしますと、少しずつ全身がほぐれてくるのが実感できます。こんな状態でマー君はマウンドに立ったのですから、体力の強さ、たくましい精神力にはびっくりです。

ところで、マー君です。連投による酷使に心配の声があがっています。ネットを見るとーー。

 レンジャーズのダルビッシュが楽天・田中の体を心配した。自身のツイッターで、ファンから田中の連投について質問されると「間違いなく身体には良くないですね。肩、肘の炎症はまだとれてませんので」。

 前日に160球投げたことには「メジャー各球団のスカウトは冷や冷やでしょうね」とつぶやいた。また、CBSスポーツの看板記者ジョン・ヘイマン氏らも「前日160球投げて、また15球投げるなんて驚きだ」とつぶやくなど、米国でも大きな反響があった。

 マー君の米国での評価の高さにほっとしています。

 マー君が投手部門で第1位! 米移籍情報サイト「トレード・ルーマー」は3日(日本時間4日)、今オフFA市場の目玉選手をランク付けし、楽天・田中将大投手(25)が投手では最高となる全体5位に格付けされた。

 夏の高校野球で、早稲田実業との決勝で2試合連投した田中投手ですから、自分の体の痛み具合を十分に承知したうえでの日本シリーズでの連投です。アイシングなどの体の手入れで、酷使の疲労を取ることでしょう。そう信じています。

コメント

東京五輪の思い出 続

2013-09-13 09:45:39 | スポーツ

1964年の東京五輪では、テレビ観戦で楽しみましたが、唯一スタンドで観戦したのはサッカーの決勝でした。

マイナー競技が不入りだったためか、サッカー決勝のハンガリー対チェコスロバキアのチケットが、学校か、サッカー部を通してか、忘れましたが、回ってきました。高校時代の友人もマイナー競技のチケットをもらったが、行かなかったと記憶していましたから、だぶん無料だったのでしょう。サッカーは国立競技場で観戦しましたが、ネットで確認したら、観衆7万5000人とありますから、主催者は決勝を超満員にしようとチケットをばらまいたようです。

東京五輪で12得点を挙げ、得点王に輝いたハンガリーのフォワード、ベネ・フェレニク選手は決勝でも1点を決め、その決定力を目の当たりに見ることができました。ベネ選手をはじめ、両チームの選手たちの体力、技術レベルの高さに、高校の弱小チームの弱小部員であった私は本当にびっくりしました。

そんなことを考えていたら、別の高校で同学年だった友人から、東京五輪の思い出がメールされてきました。

昭和39年10月10日の2週間前だったか、1週間前だったか、都立高校のいくつかの2年生が国立競技場に集められ、開会式リハーサルの、そのまたリハーサルみたいなことをやらされました。後から思えば時間計測のモルモットにされたようです。体育の授業に1時限か、2時限分の出席あつかいになりました。ぼくはモロッコ選手団の一員役。うつろな記憶ですが選手は5,6人しかいなかった。

それぞれの人に、いろいろな記憶が刻み込まれているようです。テレビ観戦では、開会式の各国の整然とした行進より、閉会式の各国の選手が入り交じっての歩みが、私は一番印象に残っています。

コメント (3)

東京五輪の思い出

2013-09-12 09:52:28 | スポーツ

2020年に東京でオリンピックが開催されることが決まったことを素直に喜びたいと思います。東京都の試算では、2回目の東京五輪の国内の経済に与える影響は約3兆円、15万人の雇用拡大といいます。不振の景気を押し上げる力になると信じています。

1964年の東京五輪が開かれたとき、私は高校2年生でした。当時はマイナー競技だったサッカー部員でした。東京下町の進学校で、部員数が少ないので試合には出してもらいましたが、自分から見ても、脚力もキープ力もない、情けない選手でした。

東京五輪で強烈に記憶に残っているのは、クラスの何人かが東京でオリンピックが開かれるのを、そして開かれたことも知らなかったことです。受験勉強最優先の高校生活を送っていた同級生で、いずれも東京大や国立の医学部に進学しました。

そういう「優秀な生徒」をもてはやす先生たちも少なくありませんでした。なにせ、先生が卒業年次を聞くのではなく「同じ学年で東大に行ったのは?」と尋ね「理1に行った〇〇君と同じ学年」というような学校でした。

その後、新聞記者になり、地方に勤務しましたが、そこの進学校も、東京大に進学した生徒を基準にして卒業年次を確認していたことを知り、進学校の先生の考え方が極めて似ているのに驚きました。

東京大の合格者で高校のランキングが決まっていた時代でした。東京五輪というと、五輪騒ぎに関わりなく、受験勉強に専念していた友人を思い出します。観戦した思い出は次回に。

コメント (2)