団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

入院生活が両脚をあれほど萎えさせるとは!

2013-11-29 10:01:37 | 健康・病気

NHKテレビで放映された「認知症800万人時代 母と息子 3000日の介護記録」を見て、びっくりしたのは、高齢者が転倒して大腿骨を骨折し、退院したときの両脚の筋肉があれほど細くなってしまうのか、ということでした。「3000日の介護記録」は、元NHKディレクターの相田洋(ゆたか)さん(77)が、認知症を患った母を100歳で亡くなるまで看取った映像記録です。

お母さんは看護師として勤務し、夫が亡くなったあと、一人で子どもたちを育てた女性です。90歳代になっても、足腰はしっかりしていました。いつ骨折し、何カ月入院したか、は番組では放送されていませんでしたが、大腿骨折を起こし、病院から帰って自宅で療養している姿が放映されました。

両脚の太さが、腕と同じくらいにやせ細っていました。「これほど脚の筋肉が萎えてしまうと、自分で立つこともできないな」と感じました。相田さんの母は、それ以来、移動は車いすとなりました。

相田さんは「病院からリハビリ施設を勧められましたが、見学すると、ラジオ体操をする程度なので、これなら自宅でもできると思ってしまいました。今から考えるとリハビリ施設に入ってもらった方が良かったかもしれない」と話していました。見学した施設が納得がいかなかったようです。リハビリ施設も「いろいろ」です。患者さんの症状に合った、適切な施設を家族は探さなければなりません。

それにしても、入院生活が両脚をこれほど萎えさせるとは、あらためて感じ入りました。厚労省の調査では、寝たままになると、1週間で筋力は20%低下し、2週間で36%のダウン、4週間で88%の低下とされています。相田さんのお母さんは4週間以上、入院生活を送ったようです。

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「無理に食べさせないで」とリビング・ウィルに追加

2013-11-28 09:53:21 | 健康・病気

私は重篤な病気にかかったとき、延命措置はしないようリビング・ウィル(生前の意思)に書いていますが、「食べたくない」という意思を表示したら、無理に食べさせないように付け加えます。103歳の女性が「食べたくない」と言って食物を口にしなくなってから、1週間後に亡くなった話を聞いて確信しました。食べ物を口にしないということは、生命体としての人間の命の灯が消える前の「通過儀礼」と思えるからです。それが「安らかな死」につながると信じます。

23日夜、NHKテレビで放映された「認知症800万人時代 母と息子 3000日の介護記録」を見ました。NHKのディレクターだった相田洋(ゆたか)さん(77)が認知症の母を100歳で看取るまでの8年間を、家で介護しながら撮影した映像です。

相田さんは、食べることをやめた母親になんとか食事をしてもらおうと苦心します。流動食にして、スプーンで口に入れます。母はごくんと飲み込みますが、食道ではなくて気管に入り、誤嚥性肺炎を発症します。

高齢者はものを飲み込む嚥下能力が衰え、食べ物を食道に送り込むことが困難になります。番組は、相田さんの体験に基づく考え、医師、介護福祉士ら専門家の意見を交えながら進められました。誤嚥性肺炎(死因はこの病名でした)の恐れを指摘された相田さんは思わず叫びました。「母を私が殺したのですか」

遅かれ早かれ助からない病状だったのです。食事を拒否した相田さんの母は間もなく実に穏やかな表情で亡くなりました。

食べ物が口に入らなくなったら「死ぬべきとき」であることを悟りました。そして、それが「安らかな死」につながることも。

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「食べたくない」と言って1週間後、亡くなりました

2013-11-26 09:56:41 | 健康・病気

食事もトイレも自分でできた103歳の女性が「食べたくない」と言って床に臥せったままになりました。世話をしている二男の家族が食事を勧めますが、首を横に振るだけでした。そして1週間後、眠るように亡くなりました。

80歳間近の女性の患者さんの叔母さんの話です。葬儀に集まった親類縁者から「103歳の大往生だ」と祝福する声さえ上がったといいます。それにしても、最後の最後まで自分で食べ、トイレに行くことができたのは「ご立派」としか言いようがありません。しかも、わずか1週間の寝たきり生活であの世に旅立ったことも、ご立派過ぎます。タケちゃんは、こんな最期にあやかりたいと心底思います。

厚生労働省の調査では、2010年の日本人の男性の平均寿命は79.55歳、女性が86.30歳です。ところが、健康上の問題で日常生活が制限されないで暮らすことができる期間を現す健康寿命は男性が70.42歳、女性は73.62歳です。男性の場合、約9年間、女性では約13年間が寝たきりなどで介護が必要な年月なのです。

介護関係者の間では、「寝たきり3か月」であの世に行けたら理想的な亡くなり方といわれます。3か月あれば、親類縁者、知人、友人らとの別れを告げることができ、家族も「十分な介護ができた」と思うことができるからです。

それでも、亡くなる側から言えば、介護期間が短ければ短いほど成仏できるものです。103歳まで、自分で生活ができ、1週間で亡くなれば、まさに「ピンピンコロリ」です。

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「やってみたら、結構できるものだよ」

2013-11-25 09:24:40 | 健康・病気

網膜色素変性症で60代から目が悪くなり、今では明るいところがぼんやり見える程度というNさん(69)は、病気が進行性であることから、早め早めに対策を講じていました。視覚障害者に認定されると、目の不自由な人たちを支援するライトハウスの各講座を2年間、無料で受講できるということです。

Nさんはまず、白杖の使い方の講習を受けました。街頭での実地研修も受け、今では普通の人と同じ速さで歩いています。肩を貸して同行している私が気を使って、ゆっくりと歩いていますと「もっと早く歩けないの」と督促されることがよくあります。

続いて、受講したのが音声パソコンの使用方法です。画面を黒白反転すると、文字は何とか読むことができますが、いつか全く見えない事態になることを考えて、音声でパソコンを使えるようになるためです。

子どもたち3人はいずれも独立し、事情は知りませんが、奥様とは離縁しました。マンションで一人で暮らしています。そこで、料理講座を受けました。料理の腕を上げ、毎日の食事は自分で調理するということです。「第九」を一緒に聞いた日も、この秋6回目の栗ごはんをこしらえたと話していました。

受講期間2年間の最後の3か月は、点字の学習でした。点字の読み方を習得したあと、残りの2日間で、点字プリンターの打ち方を教えてほしい、と要請しました。指導した先生は「2日間では覚えるのは到底無理です」と難色を示しましたが、「基本を教えてもらえれば、あとは勉強します」と答えて、2日間の講座を受けました。

点字プリンターは点字と左右が逆になるので混乱するのですが、元々理科系で原理がわかるとマスターは早いようです。仕上げのテストでは、100点中99点で間違えたのはわずか1問だったといいます。点字プリンターは、趣味で集めた多数のCDに曲名、作曲者名を打ち込むということです。

目が見えなくなったというのに、この行動力と積極性には目を見張ります。そう言いますと、Nさんは「やってみたら、結構できるもんだよ」とこともなげに答えました。

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「第九」の管弦楽団の打楽器はチョー大変だ!

2013-11-22 10:20:16 | 健康・病気

京都「第九」をうたう会のメンバーの新聞社時代の同僚だったNさん(69)の誘いで、先日、大阪・フェスティバルホールで開かれた大阪芸術大管弦楽団・混声合唱団のベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付」を聴いてきました。

Nさんは網膜色素変性症で60代になってから目が見えにくくなり、今では明るいところがぼんやりと見えるだけといいます。ところが、行動力は年齢を重ねるほど活発になり、「第九」をうたう会には昨年から参加し、12月7日、京都交響楽団の「第九」でドイツ語の合唱を歌い上げる予定です。自分の合唱の参考になるから、ピアノの先生に勧められて大阪芸術大の演奏会を聴きに来ました。

京都から友人と一緒に姿を見せたNさんと、フェスティバルホールの赤いじゅうたんを敷いた階段下で合流して、会場入りしました。入場が遅かったせいか、席は3階の第2列の3席でした。旧フェスティバルホールには何十回も行きましたが、新ホールになってからは初めてです。天井の高さが20mとこれまでより2.2m高くなったせいでしょうか、音が天井から降ってくるような感じがします。

3階席も高さ約15mもあるのでしょう、下を見下ろすと、余りの高さに緊張します。そのおかげで、管弦楽団の一人ひとりの動きがはっきり見えます。パーカッション(打楽器)の5人のうち、ティンパニは第1楽章から演奏に加わっていますが、他の4人は座ったままです。第4楽章の「歓喜」になってやっと出番がやってきました。トライアングル、シンバル、ドラムです。小刻みに打ち鳴らして演奏は終わりました。

管弦楽団96人。ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、フルート、ホルンなど管弦楽器はフル演奏です。パーカッションは演奏に欠くことができないパートですが、ほんのちょっとしか出番がありません。私の人生にもよく似ているな、とほろ苦い思いで、「第九」に聴き入りました。

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