「健やかに老いるために 今できること」講演会で「認知症について」話した北大阪病院の安田守孝・副院長(脳神経外科)は古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉を引用して健やかに老いる生き方を述べました。それはーー。
神は人生で成功するために二つの手段を与えた。それは、頭を使うこと、体を使うことである。これは前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよと言っているのではない。その両者で魂と肉体の両方を同時に鍛えよと言うのが神の教えである。この二つの手段によってひとは完璧な存在になる。
原文では、プラトンは二つの手段が教育と運動であると書いていますが、安田さんは高齢者が前向きに取り組むよう頭を使うこと、体を使うことと表現したそうです。
頭と体を使って生き生きと生きることが健康寿命を伸ばすことは「元気な老人たち」が実証しています。頭だけ、体だけではなく、両方を使うことが肝心なのです。
そのうえで、安田さんは「貯金より貯筋、老化は足腰から、まず歩くこと、規則正しい生活、運動、食事、楽しいことに頭を使えば、満足人生」と呼びかけました。
生活綴り方のクラス文集をまとめ、ベストセラーになった「山びこ学校」を出版した教育評論家で僧侶の無着成恭さんが亡くなりました。96歳でした。
無着さんには忘れられない思い出があります。私の声がラジオに初めて流れたのが無着さんのラジオ番組だったからです。小学校5年のときのことです。私のクラスが無着さんと子どもたちが話し合う番組に選ばれました。テーマや多くの同級生に交じって私が何を話したか、については忘れましたが、テーマの一つに「万引きなどの盗み」がありました。
私は学級委員でしたから話をつなげたり、広げたりしなければいけないと考えていたようです。「盗み」が話題に上がったとき、私は「盗みが悪いのは当たり前ですが、高いものでなければ、5円くらいのものならいいか」と発言しました。
すると、金ちゃんが手をあげ「1円でも盗んだら泥棒です」ときっぱり。
確か盗みは途中で出てきた話題だったと思うのですが、ラジオでは私の5円発言に続く、金ちゃんの「1円でも泥棒」発言で締めくくられました。
私のものの見方の「甘さ」が浮き彫りにされた終わり方となりました。こうした「甘さ」でずいぶん損な目に遭いましたが、今は私の特性と受け止めています。
私が受診している男性の歯科医師は「患者ファースト」を心がけています。暑中見舞い(夏休みの通知)、年賀状(正月休みの通知)を患者さんに出しています。私より1歳上の77歳の大ベテランですが、患者さんに「毎度、ご利用ありがとうございます」と腰が低い先生です。
治療の説明も丁寧で、納得ができるので信頼ができます。娘がネットで調べて、患者さんの口コミが良い評価をしていたことから通院するようになりました。
骨付き肉を食べて前歯が折れたときは残った歯を生かしてセラミックの差し歯をしてもらいました。歯に詰めたインレーが取れたらそのまま持って行き、改めて取り付けてもらったことが何度もありました。
歯科医院から届いた暑中見舞いには、先生から娘さんの歯科医(先生の歯科医院に勤務しています)にバトンを手渡す絵が描かれていました。先日、左上5番の歯が割れたため、受診した際、「バトンタッチの暑中見舞いが届きましたが、何かあったのですか」と尋ねました。
すると、先生は「赤血球が減ってしまい、体力が落ちてしまった」といいます。だが、その原因はわからないそうです。このため、治療は娘さんや勤務の歯科医に少しずつ移すようにしているとのこと。当面は診療は続けるといいます。「ご無理はくれぐれもなさりませんように」と伝えました。
後期高齢者になると、体にいつ不具合が生じてもおかしくありません。私もせいぜい自重します。
私と同じ76歳の男性がかかりつけの医師で、毎月一回の定期健診を受けています。20年ほど前から降圧剤を服用するようになりました。薬を購入するためには医師の処方せんが必要で、診察を受けてから30日分の降圧剤、コレストロールを減らす薬などを薬局で買っています。
医師は昨年秋、大腸がんの摘出手術を受けました。1カ月ほど入院しましたが、その間は同じ医師である二人の娘さんとそれぞれの夫が交代で診療に当たりました。退院後は週一日~二日を診療日とし、娘さんらと交代で患者さんを診てきました。
医師に伺うと大腸を約50センチ切除したといい、退院した時は10キロやせたといいます。内科・外科が専門ですが、診察室では問診、触診、血圧測定などを欠かさない信頼できる医師です。大腸がんを患ったものの、これからもかかりつけ医として私の体を診てくれると思っていました。
ところが、6月下旬に受診した際、医師は「体調が思わしくないので8月末で閉院することにしました。代わりの医師を探してほしい」といわれました。「娘さんが継いではくれないのですか」と尋ねますと「病院での仕事があり、後を継ぐことはできないといわれた」そうです。
かかりつけの歯科医の暑中見舞いには娘の歯科医にバトンを渡す図柄が描かれていました。そのことは次回に。