団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

お年寄りにやさしい桜の通り抜け

2012-04-22 09:19:08 | まち歩き

大阪造幣局の桜の通り抜けに行ってきました。大川沿いの造幣局の南門から北門までの約560mに129品種、354本の八重桜が今を盛りと咲き誇っていました。「きれいやな!」の歓声の中に、中国語、朝鮮語、英語も交じり、年々国際色豊かになる感じがします。昨年は東日本大震災の影響で中止となっただけに、2年ぶりの桜の通り抜けを楽しむ人たちで終日にぎわっていました。

大阪の春を彩る桜の通り抜けを心待ちにしているお年寄りは多く、車いすや杖をついて桜のトンネルを通る高齢者の姿が目につきました。「あと何回、この桜が見れるやろ」と問いかける車いすのおばあさんに、孫と思える娘さんが「さあー、何回見れるでしょうか」とのどかに答えていました。車いすのおばあさんや杖をついたおじいさんが来ると、桜の前に立っていた人たちが、お年寄りが桜がよく見れるように、さっと避けていたのが印象的でした。桜を愛でる気持ちが人々を心優しくするようです。

私が桜の通り抜けを初めて訪れたのは、大阪に来て数年後の、昭和57年のことでした。今から30年前の昔のことですが、そのときの驚きはいまでもはっきり覚えています。桜の花の色は桜色、つまり薄紅色とばかり思っていたのに、目の前に咲き誇る桜は黄緑だったからです。生まれて初めて見た黄緑の桜にびっくりし、見惚れてしまいました。

「黄緑の桜があるのか」という驚きでした。花の名前を見ると「御衣黄(ぎょいこう)」と書かれていました。別の種類の黄緑の桜もあり、それには「鬱金(うこん)」とありました。さらに「黄桜」という品種もあり、「お酒の名前といっしょやないか」と笑ってしまいました。当時は土の道で晴れても風のある日は土ぼこりが舞い、雨が降るとぬかるみの通り抜けとなりましたが、今では赤煉瓦で舗装され、快適に歩くことができます。

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聞くは一時の恥

2011-11-14 09:12:21 | まち歩き

紅葉の季節は近場のハイキング。茨木市の竜王山(標高510m)に登ってきました。阪急バスで忍頂寺バス停を下りて東海道自然歩道に入り、徒歩約30分で山頂に。近くに木組みの高い展望台があり、大阪平野、生駒山、六甲山などが一望にできます。ここでおにぎり2個を食べて、下山。車作の集落まで約30分の計1時間の山行でした。東海道自然歩道は要所要所に案内板があり、道に迷うことはありませんでした。それにハイキング中、人に会ったのは同じ山登りの中年男性1人だけ。集落近くを流れる安威川のアマゴ、マス遊漁場のそばにガードマンさんがいたのですが、道を聞かずに通り過ぎてしまいました。

それで、大まかな地図をたよりに阪急バスの停留所を求めて歩き始めました。ダンプカーがじゃんじゃん走る道路の端を歩きながらバス停を探しましたが、30分以上歩いても見つかりません。山際に新名神高速道路の工事が進んでおり、そこの進入路のガードマンボックスに中年のおじさんがいたので尋ねると「バス停は反対方向」とのことです。元の集落近くに戻り、停まっていたダンプカーの運転手さんに聞くとわからないといい、「近くにガードマンがいるので聞いたら」と言われました。先のガードマンさんのところにまで歩き、伺うとダンプカーがひんぴんと走る例の道路を反対側に進み、トンネルを抜けてしばらく歩き「酒屋のところを右に折れるとバス停が見えます」と説明してくれました。そして「トンネル内は歩道はないので気をつけてください」。確かに、トンネル内は独立した歩道はないものの、車道とは白のラインで区別され、トラックや自動車がハンドルを間違わなければ事故の恐れはありません。ただ、車の排気ガスが充満し、のどが痛くなったうえ、地響きを上げて往来するダンプカーには恐怖感がありました。

トンネルを出てしばらく歩くと、阪急バスが停車しているのが見えました。急ぎ足で歩きましたが、バスは発車し、酒屋の横を通って茨木市方面に走り去っていきました。「車作バス停」にはもう一台の阪急バスが停車していましたが、「回送」の表示が出ていました。運転手に聞くと、次のバスは1時間後の午後3時17分の発車とのことです。

柿がたわわに実り、水路にほとばしる水の流れを見たりして集落を散策し、1時間後にバスに乗りました。でも、先のガードマンさんに「道を確認しておけば、こんなに遠回りをしないですんだのに」と少し反省しました。

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カツ丼は牛、豚のどちら?

2011-10-25 09:36:10 | まち歩き

小腹がすいていたので、閉店間際のそば屋さんに入り、ざるそばを注文しました。私のほかは、中年の男性がビールを飲んだあと、カツ丼に箸を伸ばしていました。その男性が「これ、豚じゃないの。カツ丼はトンカツやろ」と叫んで箸を置きました。おかみさんが出てきて「うちは40年前から牛ですが」と答えました。男性は「牛のカツ丼なんて知らんわ」と言い残して、カツ丼を半分以上残して勘定を払って引き揚げました。

おかみさんは当惑した様子で、私に「うちでは、ずっと牛なんですが。よそではトンカツなんですか」と問いかけてきました。「関東では、カツ丼はトンカツですが、大阪では牛カツのカツ丼も結構ありますよ」と答えましたが、おかみさんは納得がいかない様子でした。

そこで、インターネットで調べたら、ウィキペディアには「どんぶり飯の上にトンカツをのせ、出し汁と砂糖と醤油で鶏卵とじにした具をのせる」とあり、基本はトンカツのようです。ちなみに、福井名物のソースカツ丼、名古屋の味噌カツ丼もトンカツです。

ところが、大阪では「肉は牛」という嗜好が強く、豚のひき肉を使ったまんじゅうは東京では肉まんといいますが、大阪では「豚まん」と呼んでいます。大阪の食習慣が広がる関西では、トンカツを使ったカツ丼を「ポークカツ丼」とメニューに書いている店もあります。東京の食文化が関西に入り込み、うどん中心の大阪でもそばの需要が高まっている現状では、「ビーフカツ丼」としてメニューに出している店も増えてきています。

それにしても、肉は安くなりました。私が小学生だった五十数年前、コロッケが5円、豚のひき肉が少し入ったメンチカツが10円、トンカツが50円でした。トンカツはもちろん、メンチカツもめったに口にすることはありません。もっぱら、コロッケです。給食に出る豚の脂身がまずいこと、まずいこと、この上なく肉は嫌いになりました。牛を初めて食べたのは、父が良いことがあったのでしょう、浅草の「菊水」というすき焼き屋に家族4人で出かけ、すき焼きを食べたときです。その時のすき焼きの味は忘れましたが、店の名前をいまだに覚えていることから、とてつもなく美味しかったのでしょう。私の家がとりたてて貧乏だったのではなく、周りの家もほぼ同じ食事情でした。

そんな生活だったですから、今日のように、食べ放題の焼き肉店が現れようとは私の子ども時代は想像もできませんでした。牛でも豚でも、ニワトリでも上質な肉を好きなだけ食べられる、ありがたい時代を素直に喜んでいます。

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キンモクセイの香り

2011-10-12 08:22:01 | まち歩き

キンモクセイ(金木犀)の甘い芳香が漂ってきます。タケちゃんはこの香りが大好きです。私が育った東京の下町には、キンモクセイを庭に植えている家庭はありませんでした。だから、成人になるまでキンモクセイを知りませんでした。会社に入って初めて赴任した香川県にある第86番札所、志度寺(さぬき市)に行ったとき、境内に広がるこの香りの強さに驚きました。「海女の玉取り伝説」で知られる志度寺のお坊さんに聞いてキンモクセイと知りました。スケッチ写真にできないかと随分狙いましたが、オレンジ色の小さな花なのでとても絵にならず、あきらめた思い出があります。

それ以来、この香りが漂うところをコースに選んでジョギングを楽しみました。奈良公園の春日大社の周辺、小泉八雲の旧居がある松江市、民家の庭先から香ってくる大津市など、西日本の人たちがキンモクセイを大事に育てているのがよくわかります。先日、京都市美術館に行ったら、彼岸花の群落が咲き誇る中、甘酸っぱいキンモクセイの香りが広がっていました。

ネットで調べたら、キンモクセイは江戸時代に中国から移入されましたが、なぜか雄株だけしか渡来せず、日本ではキンモクセイの実はならないとか。花の香りは雄株が良いので、雄株の挿し木で増やしたそうです。その後、雌株も移入されましたが、日本ではなかなか実をつけないとのことです。中国の雌株で実るキンモクセイの実の写真が掲載されていましたが、不思議なことですね。

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