団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

「ずっと伝えたかった」を読んで 続

2013-03-31 09:00:48 | 健康・病気

遷延性意識障害で意識がないとされてきた中島基樹さん(31)は、両親や友人の介助で、フェルトペンで文字を書けるようになると、次々と言葉を現しました。

「ぼくはいしきがないとおもわれていました けれども ずっとわかっていました みんないしきがあります けれど どうしていいか わからないのです」

「ぼくはいしきがあります わかっているのに わからないとおもわれてきた これからは たくさんはなさなければなりません」

遷延性意識障害について、日本脳神経外科学会は▽自力で移動ができない▽自力で食事ができない▽排泄が失禁状態▽ほとんど意思疎通ができない、など6項目が3か月以上続くことと定義しています。

ところが、意思を伝える方法を見つけ出せれば、基樹さんのように意志疎通ができるようになるのです。意思を伝えることができるようになると、基樹さんの病状も大きく改善したといいます。

光にほとんど反応しなかった基樹さんですが、言葉を取り戻して1か月後の2月初旬、視力が回復してきました。最初は明るさがわかる程度だったのが、今では本の文字も読むことができるといいます。脳波はこれまで平坦だったのが、脈打つようになったそうです。

人間の脳の回復力は、医学の常識では考えられないほど、大きいようです。基樹さんは書きます。

「あきらめないでください ぼくもあきらめません いきていきましょう きっといいことがあります」

Nさんのおかげで、「すばらしい記事」を読むことができました。

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「ずっと伝えたかった」を読んで

2013-03-30 09:29:32 | 健康・病気

網膜色素変性症で目が不自由になりましたが、ピアノのレッスンに励み、混声合唱団の一員としてヴェルディのレクレイムに取り組んでいるNさんから電話がありました。「私ごとですが、弟の息子が植物人間状態になって10年以上意識がなかったのだが、特殊な器具を使って文字を現すことができるようになったら、言葉が表現できるようになった。そのことが、弟が勤めていた北日本新聞で一面トップで掲載され、連載もされた。時間があったら読んでほしい」

北日本新聞に3月17日付で掲載され、24日まで連載されました「ずっと伝えたかった」でした(「北日本新聞」「ずっと伝えたかった」で検索すると、読むことができます)。富山県高岡市の重度意識障害の中島基樹さん(31)は北海道大学の2年生だった2002年1月、サッカーサークルの練習中に心臓発作を起こし、心肺停止状態になりました。一命は取り留めましたが、脳に大きなダメージを受けました。低酸素脳症による遷延性意識障害になり、医師の診断は「回復の見込みはない」でした。

両親は、遷延性意識障害の専門病院からリハビリ技術を学び、在宅介護に移ってからも、回復を願ってリハビリをずっと続けたそうです。さらに、全国の病院を巡って、リハビリのノウハウを学ぶ中で、さまざまな手法を使って重度障害児の言葉を引き出してきた国学院大の柴田保之教授(障害児教育学)のことを知りました。そこで、今年1月、柴田さんを自宅に招いて、筋肉のわずかな動きを拾う特殊な器具で、五十音を読み上げたところ、基樹さんが選んだ文字がパソコンの画面に次々と表示されました。

「どうしてわかるのですか ゆめのようです なつかしいです はなせたころのことが」

そして、今では両親や友人の介助があれば、ペンで文字を書けるようになったといいます。

聴力も取り戻しました。両親が「これまで何を考えていたの」と耳元で話しかけると

「つらかった でも ぜつぼうではなかった いつかだれかがきづいてくれるとしんじていた」

遷延性意識障害がある人は全国で推計5万5000人いるといわれます。

基樹さんは綴ります。

「ぼくのようなじょうたいでも いきるいみがある いのちのたいせつさをうったえることが ぼくのしめいです」

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老年症候群が確実に押し寄せていました

2013-03-29 10:01:01 | 健康・病気

中学時代の恩師の法事に参加した中学時代の同僚の男性教師3人、別の中学の教え子の男性2人、それに恩師の奥様は加齢に伴う老年症候群による疼痛に悩まされていました。教師は85歳が2人、80歳が1人です。すると、私たちが中学校に入学したときは32歳、27歳でした。随分、おじさんに見えたのですが、結構若かったのですね。当時は大人が大人の顔をしていたようです。

85歳の1人は脊柱管狭窄症による腰痛で通院治療を続けています。野球部の顧問で放課後のグラウンドでノックバットを振っていた姿が目に焼き付いています。もう1人は長年の腰痛と右手首の関節痛で定期治療を受けています。この先生も卓球、テニス、バスケットとスポーツ好きで、テニスは今でも続けておられるということです。右手首の関節痛があるため、主治医にはテニスを控えるように言われているそうですが、「テニスは楽しみの一つなので、痛みをこらえてプレーしている」と話していました。80歳の先生は右手首の腱鞘炎に悩んでいました。

他の中学の教え子の2人はともに77歳。1人は激痛が走る腰痛に苦しみ、週2回、4500円を払って鍼治療を受けています。「1年で約50万円をつぎこんでいるのにいっこうに良くならない」と嘆いていました。80代の先生の奥様も両膝の疼痛に苦しんでおられました。

元気だったのは、77歳のもう1人の男性でした。体力の衰えを少しでも防ごうと、週3回、ジム通いを続けています。1キロの水泳、エアロバイク、ランニングマシン、筋力トレーニングをしています。運動前後はウォーミングアップ、クールダウンのストレッチに時間をかけているとのことです。

膝痛の奥様にはランニングマシンは控えてエアロバイクをするよう、右手首の腱鞘炎の先生には入浴時の「グーパー体操」を続けるよう、など個別の治療法や生活上気をつけることなどを伝えました。

運動療法の必要性を改めて感じた、恩師の法事でした。

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先生の提言がなければ、全く変わっていた私の人生

2013-03-28 09:18:27 | 健康・病気

中学時代の恩師の26回目の法事に東京に行ってきました。先生の自宅で営まれた法事に参加したのは、先生の奥さん、中学時代の同僚教師3人と別の中学で教えを受けた2人、私と同級生の計8人です。同僚教師は85歳~80歳、別の中学の教え子は77歳、そして私たちが65歳です。みんな、年を取りましたが、会えば、中学校のときの先生と生徒にかえります。

法事は神道で営まれ、各自が二礼二拍手一礼で拝礼したあと、紅茶を飲みながら、奥様を交えて、先生の思い出を語りました。先生は定年を前に退職し、59歳で病気で亡くなりました。ひときわ生徒想いで教育熱心な先生でした。「荒れた中学」に勤務していたといいますから、生徒指導に心を配り、命を縮めたのではないか、といわれていました。

先生は化学部の顧問で、私と同級生は化学部員でした。私たちが初めての部員でしたので、上級生はいませんでした。1年生の10人でスタートしました。夏休み、定量分析に必要だから、と高校で習う対数を私たちに教えました。実にわかりやすい説明で、1年生にも理解ができました。高校に進学して、1年のとき、数学の授業で対数を習ったのですが、「化学部での授業」がずっとわかりやすかったことを覚えています。

先生には、個人的にも大きなお世話になったことを、社会人になった、ずっと後に母から聞かされました。私の父は尋常高等小学校を卒業して洋服屋に小僧として勤めました。母も同じように家事の手伝いに入りました。このため、父は学校は義務教育で十分という考えの持ち主でした。だが、高校皆進学の時代になりましたから、「高校までは行かすが、それからは働いてもらう」が我が家の方針でした。

それを、先生が自宅に何回も来ていただき「成績もよいし、大学に行かせてやってほしい」と提言してくれたそうです。それで、父も「先生がそんなに熱心に言ってくれるのだから」と折れて、二つの条件をつけて大学受験を認めてくれました。

一つ目は学費が安い国公立の大学であること、二つ目は浪人は認めない、でした。第一志望は落ちましたが、第二志望に合格しました。そして、希望の新聞社の入社試験に受かり、社会人生活が始まりました。

先生の提言がなければ、高校卒で就職していたかもしれず、私の人生はいまと全く違った道を歩んでいたかもしれません。法事では、先生には改めて感謝の気持ちを伝えました。

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禁煙、禁酒、薬の適正投与で快復

2013-03-26 09:33:46 | 健康・病気

92歳の父は2月、転倒して柱に頭をぶつけたり、循環器不全を起こしたりで2回、緊急入院しました。循環器不全を診療した専門医は父が服用している1日25種類の薬を調べた結果、不整脈を防ぐ薬が3種類も投与されており、これが心臓の負担になっているとして、掛かりつけの医師宛てに処方箋を変える文書を渡すよう、妹に依頼しました。同時に、心臓、血管に負担を強いる煙草とお酒を控えるよう、伝えました。

父は循環器専門病院に入院した2月16日から禁煙、禁酒を続けています。さらに、2月22日に退院してから、掛かりつけの主治医に病院からの手紙を渡したところ、服用する薬は1日12種類に減りました。

3月22、23日に東京の実家に戻りますと、父がとことこ歩いて玄関に現れ、「いらっしゃい」と言います。妹から父の退院後の様子を聞いていましたが、これほどしっかりしているとは思いませんでした。顔色もよく、話の受け答えも入院前より確かな感じがします。

「調子はどう?」と聞きますと、いつもの「まあまあだね」が返ってきます。「この調子ならば、お迎えが来るのは少し先になりそう」と軽い調子で言いますと、「2、3年は大丈夫みたい」と答えました。

煙草は血管を収縮させ、血圧が上がり、心臓に負担をかけます。お酒は飲むと血管が広がり、血流がよくなりますが、酔いが醒めたとき、逆に血管が収縮します。アクセルを踏んだ後、急ブレーキをかけるようなもので、これまた循環器の支障になります。

毎日の最大の楽しみといえる煙草とお酒を止められた父は、ことあるごとに「一本だけ吸わせて」「お願いだから、一杯でいいから飲ませて」と妹に懇願しますが、妹は「心臓でまた入院したら、今度はそのままあの世へ行くよ」とはねつけています。

禁煙、禁酒、薬の過剰投与の是正が、父を復活させたようです。

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