「革命と青春 日本共産党員の群像」(山岸一章著、新日本出版社、1970年)に書かれていた特高警察の拷問を受けて亡くなった友人男性の叔父は梶哲次とありました。
青山学院3年のとき、軍事教育に反対活動をして退学処分となり、その後、肺結核を発症し、富山県の生家に戻り、闘病生活。農民組合運動の指導者として活躍し、党中央農民部員のとき、特高に検挙されました。ひどい拷問で病状が悪化し、仮出獄した翌日、昭和9年5月に死亡しました。29歳と9か月の生涯でした。
友人は昭和19年生まれですから、叔父さんとは面識がありません。叔父さんの弟から「兄は特高の拷問で虐殺された」と聞いたそうです。新聞記者となり、北海道で勤務していたとき、梶哲次を取り上げた本が出版されたことを聞き、1970年に購入したといいます。
「革命と青春」には、このほか九州地方委員長西田信春さん(福岡署の特高によって虐殺。30歳)、機関紙「無産青年」の配布網を再建した共産青年同盟の高橋まとさん(特高に急襲され、2階から飛び降りた際、脊椎の複雑骨折の重傷。寝たきりとなり、1年後に死亡。24歳)、電灯料金不納同盟の河野登喜雄さん(24歳8か月)ら9人が取り上げられています。
東京帝大、京都帝大、日本女子大などを卒業して革命に青春をかけた若者たちでした。
話は変わりますが、中学生か高校生のとき、読んだ小林多喜二の本にあった多喜二の死体を見た衝撃はいまだに忘れません。太ももが内出血で膨れ上がっていました。小心で臆病な私は、撲殺死だけは御免だと思いました。一方で、仕事とはいえ、拷問で虐殺する「ヒトの怖さ」を感じました。