団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

あぶく銭のお値段は?

2014-06-30 09:34:03 | 健康・病気

「あぶく銭が入ったら、何に使いたい」とカミさんが問いかけます。「旅行かな、温泉でも入ってのんびりしたいな」と答えました。

タケちゃんは競馬、競輪はやりませんし、宝くじは配当率が約50%と極めて低いため(300円の宝くじ1枚は買った段階で150円の価値になります)、滅多に購入しません。このため、あぶく銭のイメージは所有している株が大きく上がって、想定外の儲けが出ることです。最高額でも100万円どまりでしょう。そこで、近場の海外旅行か、国内旅行したいな、となりました。

映画の会のメンバーに「あぶく銭が入ったら、何に使う?」と同じ質問をしました。年金生活の80代の男性は「美味しい料理を食べたい。和食がいいな」と答えました。あぶく銭の額を尋ねますと「10万円か、20万円」と言います。70代の男性は「国内旅行、温泉がいい」でした。私と同じ使い道です。額は50万円~60万円でした。60代の女性は「海外旅行、世界一周もしたい」。あぶく銭の額は2000万円~3000万円です。

あぶく銭を手に入れる方法は、どの人も宝くじが当たる、でした。女性は上位の当選を考え、男性は下位の当選を当て込んでいるようです。

ちなみに、カミさんは3000万円~4000万円で、やはり「宝くじが当たったら」でした。どうやら、夢がかなう額は女性が男性よりずっと高額です。男性の方が現実的ということかもしれません。

そんな話を、80代の女性の患者さんに語ったところ、「私なら1億円のマンションを買います。バリアフリーで車いすが入れるトイレがある、使い勝手の良い家を購入します」。患者さんのあぶく銭を入手する方法は、宝くじで1等が当たるでした。

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夢を与える商売だから‥

2014-06-28 09:22:14 | 健康・病気

映画俳優や歌手は、私たち庶民に「夢を与える商売」といわれます。夢を与えるためには、普通の人たちと同じ服装や化粧ではいけません。きらびやかなドレスを身にまとい、ゴージャスな和服を着るのも、そのためです。

26日まで大阪・上本町の新歌舞伎座で開かれていた歌手の石川さゆり特別公演を見てきました。熱唱のオンステージは、いつもの着物姿ではなく、ドレスアップした姿で「ウイスキーはお好きですか」で始まりました。ピンクのドレスを身に着けたさゆりさんが、舞台の中央に戻り、暗闇になって十数秒がたって、スポットライトが再びあたると、紫のドレスに早変わりです。続いては、黒のドレスに変わり、女性ダンサーが手にしたシルクハットをかぶって、4人のダンサーと踊ります。女性が大半の観客席からため息とともに拍手の渦が起こります。

「スターさんは夢を与える仕事ですから、生活の臭いがするようなことはしませんし、してはいけません」と元大映俳優のMさん(75)は言い切ります。勝新太郎さんから「煙草2、3箱、を買ってきて」と言われ、1万円札を受け取り、3箱を手渡して、お釣りを渡そうとすると「取っといてくれ」と言われます。初任給が1万円だった昭和30年代後半の話ですから、超高額なお駄賃です。

上方喜劇界を代表する喜劇役者で松竹新喜劇の大スターだった藤山寛美さん(1990年5月、60歳で死去)はバーに外車のキャディラックで乗りつけたとき、迎えに出たボーイが「ええ車ですな」と話しましたら、「ほなら、お前にやるわ」とキーを渡したそうです。別のクラブの女性ホステス全員に「今日はええことがあったから」と新調の着物をプレゼントしたといいます。

こんなことをしていたら、お金がいくらあっても足りないことでしょう。でも、そんな行いが「アホの寛ちゃん、おもろいで」と人気が高まるといいます。「夢を与える商売」は、常人ではとてもできることではなく、ましてや生真面目なタケちゃんでは無理難題の世界です。

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監督の権限は絶大。一声で配役下ろされた

2014-06-27 09:26:30 | 健康・病気

5万回切られた大部屋俳優・福本清三さん(71)が初主演の映画「太秦ライムライト」で、腱鞘炎と思われる症状で、福本さんが立ち回り中に刀を落とすシーンがありました。映画の中で撮影していた中島貞夫監督が「殺陣は無理やな、次のシーンはカットしよ」と言います。出演者、製作者ら一同が「監督、最後までやらせてやってください」と頼み込みました。「それなら」と中島監督はフィルムを回し、福本さんは見事な切られ役を演じ、花吹雪の中、死んでいきます。

映画の会のメンバーで元大映俳優のMさん(75)に聞きました。「監督の一声で次のシーンがなくなっちゃうの?」

「撮影現場では、監督の権限は絶対です。スターさんは別ですが、出番に間に合わなければ、配役も即、交代です」とMさんは自らの体験を語りました。

1964年3月公開の市川雷蔵主演の「剣」で、Mさんは大学剣道部のマネージャー役を務めていました。同時公開の勝新太郎主演の映画「座頭市千両首」の浪人役でも出ていました。鞆の浦(広島県福山市)でのロケで浪人役を演じ、翌日、大映京都撮影所に戻り、「剣」のマネージャー役として演じる予定でした。

ところが、勝さんが東京で酔い過ぎて、鞆の浦の撮影現場に戻れなくなり、浪人役のシーンが一日延びました。Mさんは「剣」の三隅研二監督に電話をかけ「京都に戻るのが一日遅れます」と告げました。返ってきた返事は「帰って来んでいい」でした。

マネージャー役は別の俳優が演じることになり、すでに撮っていたシーンは別の俳優で撮りなおしたことを、Mさんはあとで知りました。「それでも、それまでの出演料はいただきました。良い時代でした」

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大部屋俳優はタイヘンです。時には命がけ!

2014-06-26 08:14:57 | 健康・病気

元大映京都撮影所の大部屋俳優だったMさん(75)は京都・桂川の上流での立ち回り場面で、急流に足を取られ、溺れそうになったことがあります。

浪人姿で手甲、脚絆をつけて流れに入っていたとき、足を滑らせたのです。深さ約60センチで、立つことができるはずですが、袴と着物が水をたっぷりと吸って重くなり、手甲、脚絆も水に濡れ、手足も自由に動きません。流れも速いため、下流にあっという間に流されました。水を何度も飲みましたが、浅瀬にひっかかり、なんとか助かりました。「こりぁ、ダメだ。死ぬかと思った」とMさんは振り返ります。

水死したケースもあります。井筒和幸監督の映画「東方見聞録」で、滝つぼに落ちるシーンを撮影中、重さ9キロの鎧をつけた21歳の男子俳優が流れにのまれて亡くなりました。1991年9月のことです。

スターさんでもあわや、ということがおこります。アカデミー賞スターのアンソニー・ホプキンスさんは映画「ワイルド」(1997年)で真冬のカナダで撮影中、凍った川に誤って転落しました。心臓麻痺を起こしかねない冷たさでしたが、首の痛みで強い痛み止めを服用していたため、水の温度を意識せず、低体温症にかかって病院に運ばれましたが、一命を取りとめたといいます。

Mさんの話に戻ります。

真冬に夏のシーンを撮影することもあります。汗を出すため、体や顔にオリーブオイルを塗り、霧吹きで霧をかけます。すると、水の玉ができ、汗のように見えます。セリフを言うと、口から白い息が噴き出るため、口の中に氷を含んで、セリフを語ります。セリフはあとでアフレコで吹き込みますから、口パクで行うといいます。いやはや、スクリーンの陰で、俳優さんはタイヘンです。

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花輪を贈り、割り当て入場券を購入してくれた三島由紀夫

2014-06-24 07:33:12 | 健康・病気

映画の会のメンバーで元大映映画の俳優、Mさん(75)は、大映の経営不振などから、出演依頼が少なくなってきたため、東京を本拠とする劇団七曜会の団員になりました。七曜会を主宰していたのは、NHKテレビ「事件記者」の中央日日のキャップ・ウラさんを演じた高城淳一さん(2011年8月死去、86歳)。高城さんは西部警察シリーズなど多数のテレビ番組に出演しています。

新宿・紀伊国屋ホールでブレヒト劇を公演することになり、Mさんはあいさつを兼ねて作家の三島由紀夫さんを訪ねました。歓待してくれたうえ、劇団員は入場券の割り当てがあるだろうから、と言って、Mさんが割り当てで所持していた入場券20枚をすべて購入してくれました。

三島さんは劇作家、劇団員もしていましたから、団員が割り当て入場券をさばくのに苦労をしていることを良く知っていたようです。

そして、公演初日、Mさんあてに「三島由紀夫」名で大きな花輪が届きました。公演を見に来てくれたうえ、紀伊国屋書店の田辺茂一社長と昵懇だったこともあり、紀伊国屋ホールの総務部長に公演に便宜をはかるよう伝えたそうです。

劇団内のMさんの評判は一気に上昇し、鼻高々になりました。「映画の世界でのつながりの広さ、深さが劇団の世界では少ないようです。三島さんの心配り、気配りは本当にありがたかった」とMさんは振り返ります。

それだけに、1970年11月25日、三島さんが自らが率いる民兵組織「楯の会」の会員4人とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ、クーデターを促す演説をしたあと、割腹自殺をした「三島事件」に強い衝撃を受けました。テレビニュースを見て、市ヶ谷駐屯地にすぐに駆けつけましたが、外から見守るだけだったといいます。

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