高齢者のケースですが、妻に先立たれた夫の余命が3年なのに対して、夫に先立たれた妻の余命は13年といわれます。おじいさんは家事ができませんから、おばあさんに先立たれると、何もできません。室内はゴミ置き場状態になりかねませんし、同じ衣服を何日も着ているありさまになりかねません。食事は外食か、コンビニ弁当で酒浸りの生活になってしまうかもしれません。これでは体に良いわけはなく、3年もたたないうちに妻の後を追う形になります。
おばあさんは家事全般ができますから、おじいさんが亡くなっても、収入や蓄えがあれば、生活に困りません。おじいさんの重しがとれて生き生きと毎日を送っているおばあさんは身近によく見ることができます。口うるさく、頑固な夫が亡くなり、着飾って観劇に出かけたり、趣味のお茶やお花、ピアノなどの稽古事に励んだりして、急に若やいだおばあさんを何人も知っています。そして、夫の死から十数年以上、元気に暮らしておりました。
さだまさしさんが自作の「関白宣言」の中で、妻に向かって「おれより一日遅く亡くなれ」と歌っていましたが、そううまくいけば「結構、毛だらけ」です。そういかなかったことを考えたら、一通りの家事を習得する必要があります。私は洋服屋のせがれですから、裁縫やアイロンかけは苦になりませんし、掃除、洗たくもお手の物です。でも、料理はレシピを見ながらの「もたもたつくり」です。妻には「毎日やっていれば上手になるから、三食つくる?」と時折はっぱをかけられていますが、料理上手な妻の料理の方がずっと美味しいので、いまのところ決断は先送り状態です。
90歳の父は「男子、厨房に入らず」で育った大正生まれですから、家事は「なーんもできません」。家事をすべてこなしてきた母が三年前亡くなり、妹が世話をしています。妹の手助けをするため、年末年始は東京の実家に行きます。みなさま、良い年をお迎えください。