団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

おばあさんの生き方が健康長寿

2011-12-28 09:32:46 | 健康・病気

高齢者のケースですが、妻に先立たれた夫の余命が3年なのに対して、夫に先立たれた妻の余命は13年といわれます。おじいさんは家事ができませんから、おばあさんに先立たれると、何もできません。室内はゴミ置き場状態になりかねませんし、同じ衣服を何日も着ているありさまになりかねません。食事は外食か、コンビニ弁当で酒浸りの生活になってしまうかもしれません。これでは体に良いわけはなく、3年もたたないうちに妻の後を追う形になります。

おばあさんは家事全般ができますから、おじいさんが亡くなっても、収入や蓄えがあれば、生活に困りません。おじいさんの重しがとれて生き生きと毎日を送っているおばあさんは身近によく見ることができます。口うるさく、頑固な夫が亡くなり、着飾って観劇に出かけたり、趣味のお茶やお花、ピアノなどの稽古事に励んだりして、急に若やいだおばあさんを何人も知っています。そして、夫の死から十数年以上、元気に暮らしておりました。

さだまさしさんが自作の「関白宣言」の中で、妻に向かって「おれより一日遅く亡くなれ」と歌っていましたが、そううまくいけば「結構、毛だらけ」です。そういかなかったことを考えたら、一通りの家事を習得する必要があります。私は洋服屋のせがれですから、裁縫やアイロンかけは苦になりませんし、掃除、洗たくもお手の物です。でも、料理はレシピを見ながらの「もたもたつくり」です。妻には「毎日やっていれば上手になるから、三食つくる?」と時折はっぱをかけられていますが、料理上手な妻の料理の方がずっと美味しいので、いまのところ決断は先送り状態です。

90歳の父は「男子、厨房に入らず」で育った大正生まれですから、家事は「なーんもできません」。家事をすべてこなしてきた母が三年前亡くなり、妹が世話をしています。妹の手助けをするため、年末年始は東京の実家に行きます。みなさま、良い年をお迎えください。

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過去の肩書、役職は言いません

2011-12-27 09:22:38 | 健康・病気

老人ホームで、おばあさんにもてるおじいさんは、手に職がある人だそうです。大工さんや料理人、左官屋さん、その他の人たちです。一番もてないのは大会社の管理職だそうです。確かに、えらそうな顔をして、上から目線の物言いをすれば、嫌われるのは当たり前です。そんな大会社の元役員に「あなたは何ができますか」と問い合わせたら、「私は管理職ができる」と答えたという「笑えない話」があります。老人ホームに入所している同士で、管理職は要りません。

定年で退職したのに、名刺を持たないと落ち着かない男性もおります。タケちゃんも「元〇〇会社部長」「元??会社役員」といった名刺を受け取ったことがあります。過去の肩書は、地域や同好会の仲間たちには、関係ありません。新しい仲間に過去の肩書や役職をひけらかすような行いは嫌われるだけです。

会社社会を離れ、地域や同好会、ボランティア団体に入って仲良くやっていく秘訣は、下請け仕事を率先してこなす、決して仕切ろうとはしない、そして過去の肩書を口にしない、ことだそうです。なんだか、肩書を除けば、新入社員と同じ心構えですね。

私の知人の女性が郷土の観光ボランティア団体に入ったものの、お局様、牢名主然の男性が役員を占め、観光ボランティアの役目は回ってこず、雑用しかさせてもらえないとこぼしていました。まして、新入りの男性が「良い役回り」をさせてもらうことはありません。男性に期待されているのは「力仕事とパソコン」と割り切って、裏方業務に精出した方が賢明とのことです。

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時間はひとりでにつぶれない

2011-12-26 09:11:32 | 健康・病気

会社を定年で退職して会社のネットワークがなくなると、交遊範囲が極端に狭くなる男の高齢者たち。地域のネットワークの壁を乗り越える努力をしないことには、地域縁も持つことができません。「時間はひとりでにつぶれない」のです。自分から交遊の縁を広げる努力をしなければなりません。

そこで、タレントの永六輔さんは「おばあさんを見習いましょう」と呼びかけています。おばあさんは長年、家事を受け持っていますから、炊事、洗たく、掃除など家事全般を一通りこなすことができます。つまり、生活面での自立ができているわけです。おじいさんはここから覚えていかなければ、自立の道に到達できませんが、このことは別の機会に述べることにし、今回は交遊の縁を結ぶ「生き方上手」のことに留めたいと思います。

東京出張で、新大阪から新幹線に乗った時のことです。資料に目を通して一段落したあと、前の席の二人のおばあさんの会話が耳に入ってきました。会話の内容から、初めて会った人たちだとわかりました。お天気から始まり、旅行の目的から、そこで起こったこと、家族の構成や孫の成長の様子、趣味や現在取り組んでいることなど、話は次々と広がりました。うち、一人が新横浜で降り、会話は終わりました。

偶然、隣り合わせに座っただけで、話がこれほど盛り上がり、旅行の楽しさがさらに増しただろう、と私は思いました。おばあさんの付き合い上手に驚くとともに、うらやましいとも感じました。そのうち、はっと気が付いたことがあります。二人は2時間近くも話し合っていたのに、固有名詞が一つも出てこなかったのです。おそらく、二度と会うことはないでしょう。でも、男だったら、きっと名刺を交して挨拶をしていたことでしょう。「袖すりあうも多少の縁」を大事にするものの、固有名詞を聞くほど踏む込まないのが「おばあさんの知恵」のようです。この点でも、タケちゃんは「おばあさんを見習いたい」と思っています。

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時間はひとりではつぶれない

2011-12-25 12:13:39 | 健康・病気

定年後で自分の時間を自由に使えるようになった高齢者の「時間持ち・時間貧乏」の調査をした社会学者の上野千鶴子さん(東京大名誉教授)が、その著「老いる準備」の中で、調査結果はとっても明快で「時間はひとりではつぶれない」「時間はひとりでにつぶれない」ということだった、と書いています。時間持ちの楽しい余生を生きるのには、仲間と、時間をつぶすノウハウが必要だと説いています。

標語のごろの良さに感心する一方、金持ちならぬ時間持ちになるには、それ相応の努力を要するということがはっきりわかります。一人で時間をつぶすのが困難なのは病気で寝ていなければならない状態を考えると、簡単に推測できます。ベッドで寝ていると、本を読むか、ラジオを聞くかして時間をつぶさなければなりません。病気を治そうという目標があるから、ベッドに臥せっていることに我慢できますが、体が元気ならば耐えることはできません。

「ひとりでにつぶれない」のも自明のことでしょう。遊びでもボランティアでも、自分が企画するか、友人の企画に乗るか、しないと動けないでしょう。私は「いっちょかみのタケちゃん」と言われたほど、友人、知人の面白い企画に積極的に乗っかりました。でも会社を退職すると、そんな「いっちょかみ」もできません。自分から動くことの必要性を日増しに感じています。

老人ホームで一人ぽつねんとテレビを見ているのは、男のお年寄りが多いそうです。それも大会社の役員や大学教授らエリートと呼ばれる人たちに目立つといいます。会社社会や大学社会の中でしか生きてこなかったうえ、プライドの高さが交遊の障害になっているようです。大学教授は説教癖があるため、敬遠されるので、上野さんは「私も嫌われそう」と言っています。

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何をしても許される身 光源氏

2011-12-24 09:20:42 | 映画

「映画の会」で「源氏物語~千年の謎」を見てきました。紫式部と藤原道長との恋、光源氏の様々な愛の遍歴が同時進行するという、現実と物語の二つの世界のラブストーリーが交錯する構成で、映像的にも見ごたえのあるシーンが多い映画でした。

光源氏が自らを光に例え「何をしても許される身」として、次々と愛の遍歴を重ねていきます。実母で桐壺帝の妃、桐壺更衣と、うり二つの桐壺帝の妃で義理の母、藤壺と情を交すなど、タケちゃんには理解のできない愛の姿が展開されます。

「源氏物語」は、与謝野晶子の口語訳ですが、何回か挑戦しましたが、いつも途中で読むのをあきらめました。桐壺更衣が幼い時に亡くなり、母の愛を知らないまま育った源氏は愛を求めてさまようとされていますが、幼くして母を亡くした子どもたちはたくさんおりますし、そうした男たちが源氏のように愛の遍歴をたどるわけではありません。

「源氏物語」の口語訳をした瀬戸内寂聴さんが、源氏が帝の子ではなく、絶世の美青年でなければ「ただの強姦魔」と書いていたのを読んだ記憶があります。「何をしても許される身」とは同じ男からみても、傲慢そのものではないでしょうか。

映画は水曜日のレディースデーだったこともあり、9割以上が女性でした。映画が終わって退場する女性たちを見ていると、うっとりした表情の方が多いように思いました。源氏役の二枚目、生田斗真さんの愛の言葉に酔ったようにも見えました。

映画の会世話人のMさんは、さすがに元大映俳優です。視点が違いました。映画の感想は「ライティングが良かったな。ろうそくの灯りを基準にして照明を当てていた」。

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