世界史に残る出来事は、経済史の手法で分析すると構造的につかむことができます。アメリカの奴隷解放をめぐる南北戦争は、工業化で労働人口の増大が必要な北部と、黒人奴隷による農業を主な産業としている南部との労働力をめぐる戦いという経済史の記述が、すごくよく理解できました。奴隷解放が、人道的に許してならないという米国大統領・リンカーンの強い意志で成し遂げられたという話には、「きれいごとすぎる」と思っていました。だから、米国の経済史で、上記の文章を読んだとき、ストンと胸に響きました。
それが、映画の会でスピールバーク監督の「リンカーン」を見て、奴隷解放にかけるリンカーンの強い想いが奴隷解放を実現させたことを知りました。映画は、リンカーンが大統領に再選された1865年1月から暗殺されるまでの最期の4カ月が描かれています。再選されたとき、南北戦争は4年以上続いており、60万人以上の戦死者が出ていました。
リンカーンは1862年9月、奴隷解放宣言をしましたが、戦時の立法措置であるため、戦争終結とともに効力が失ってしまいます。奴隷を永久に解放するためアメリカ合衆国憲法修正第13条を議会で可決しなければなりません。
このため、下院議員の3分の2以上の賛成が必要です。与党の共和党の支持だけ、このラインを超えることができません。野党の民主党の支持か、棄権をもぎ取らなければなりません。大統領側と野党との攻防がテーマです。
経済史による見立てでは、南部連合は下院議会に議員を送っていませんから、北部を中心とする議員の3分の2以上の賛成で、あっさり可決されたものと思っていました。それが、南部連合に加盟していない南部各州の議員はもちろん、北部の議員も憲法修正第13条に賛成していたわけではなかったのです。大統領を支える側近からも「可決は到底無理」と声があふれていました。
リンカーンの指示で、次の下院選挙で落選しそうな民主党議員を主なターゲットにして、郵便局長、保安官などの公職に就かせることを条件などにして「賛成」するよう工作します。その結果、賛成119対反対56で可決に漕ぎつけるのです。「無理です」を連発する側近や工作スタッフを叱咤激励して、賛成票をかき集めるリンカーンの「策士」ぶりも描かれています。
高校時代の世界史で、ロシア革命が成功した理由の第一に、先生が挙げたのが「レーニンがいたこと」でした。リンカーンがいなければ、奴隷解放は実現していなかったでしょう。少なくても数十年は遅れていたことが理解できました。