団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

最高指導者の強い意志が歴史をつくるのか

2013-04-30 09:38:34 | 健康・病気

世界史に残る出来事は、経済史の手法で分析すると構造的につかむことができます。アメリカの奴隷解放をめぐる南北戦争は、工業化で労働人口の増大が必要な北部と、黒人奴隷による農業を主な産業としている南部との労働力をめぐる戦いという経済史の記述が、すごくよく理解できました。奴隷解放が、人道的に許してならないという米国大統領・リンカーンの強い意志で成し遂げられたという話には、「きれいごとすぎる」と思っていました。だから、米国の経済史で、上記の文章を読んだとき、ストンと胸に響きました。

それが、映画の会でスピールバーク監督の「リンカーン」を見て、奴隷解放にかけるリンカーンの強い想いが奴隷解放を実現させたことを知りました。映画は、リンカーンが大統領に再選された1865年1月から暗殺されるまでの最期の4カ月が描かれています。再選されたとき、南北戦争は4年以上続いており、60万人以上の戦死者が出ていました。

リンカーンは1862年9月、奴隷解放宣言をしましたが、戦時の立法措置であるため、戦争終結とともに効力が失ってしまいます。奴隷を永久に解放するためアメリカ合衆国憲法修正第13条を議会で可決しなければなりません。

このため、下院議員の3分の2以上の賛成が必要です。与党の共和党の支持だけ、このラインを超えることができません。野党の民主党の支持か、棄権をもぎ取らなければなりません。大統領側と野党との攻防がテーマです。

経済史による見立てでは、南部連合は下院議会に議員を送っていませんから、北部を中心とする議員の3分の2以上の賛成で、あっさり可決されたものと思っていました。それが、南部連合に加盟していない南部各州の議員はもちろん、北部の議員も憲法修正第13条に賛成していたわけではなかったのです。大統領を支える側近からも「可決は到底無理」と声があふれていました。

リンカーンの指示で、次の下院選挙で落選しそうな民主党議員を主なターゲットにして、郵便局長、保安官などの公職に就かせることを条件などにして「賛成」するよう工作します。その結果、賛成119対反対56で可決に漕ぎつけるのです。「無理です」を連発する側近や工作スタッフを叱咤激励して、賛成票をかき集めるリンカーンの「策士」ぶりも描かれています。

高校時代の世界史で、ロシア革命が成功した理由の第一に、先生が挙げたのが「レーニンがいたこと」でした。リンカーンがいなければ、奴隷解放は実現していなかったでしょう。少なくても数十年は遅れていたことが理解できました。

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コミュニティーハウスで亡くなるということ

2013-04-29 09:27:23 | 健康・病気

奈良県斑鳩町のコミュニティーハウスでの共同生活は8年が過ぎましたが、ハウスで最期を迎えた人が3人になります。車いす生活になっても自立した生活ができるよう、ヘルパーさんの訪問介護もあります。消防署と直通の緊急電話があり、即座に救急車が駆けつける態勢になっています。

今年になって88歳の女性が急死したといいます。女性は、一足先に入居していた姪の勧めでハウスに入居しました。両脚がやや不自由でしたが、栄養士で看護師の姪の指導で、出きる限り自分で歩くようにしていました。

朝、起床して、いつも通りIHクッキングヒーターでお湯を沸かしたあと、トイレに入りました。トイレに入って、一向に出てこない女性を心配して、ドアを開けて見たら、倒れていました。緊急電話で救急車の出動を要請する一方、ハウスの呼びかけ人のMさんがベッドに運びました。

救急隊員が到着したとき、心肺停止状態だったといい、搬送先の病院で亡くなりました。ズボンも下ろしておらず、用を足そうとする前に、命の灯が消えたようです。最期まで自立した生活をしたあとの大往生でした。

他の2人も病死でした。共同生活を営んでいますので、入居者の体調の悪さは、他の人がすぐに気付いてくれます。ハウスでは孤立死や孤独死はありません。一人で生活しければならない事態になったとき、「遠くの家族より近くの他人」の方が頼りになるものです。私も終の住処の選択肢にコレクティブハウス(コミュニティーハウス)を入れたいと考えています。

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コミュニティーハウスで暮らすということ

2013-04-27 09:37:29 | 健康・病気

終の住処は、日本では次の三つに分かれます。

1、自宅または介護サービス付き高齢者住宅

2、老人ホーム、老健施設などの介護施設

3、集合住宅(コレクティブハウス)

「小さな農と食の愉しみ」が開かれた奈良県斑鳩町にあるコミュニティーハウスは、3の集合住宅です。入居者が終身自立して生活できる終の住処をめざして2004年10月、つくられました。北欧を中心に広がっている集合住宅で、各世帯が独立したうえで共同生活を営んでいます。

オープン時は8世帯、13人が生活していましたが、3人の方が亡くなり、次の希望者が入居し、現在では7世帯が共同生活をしています。中には、セカンドハウスとして3人の女性がシェアハウスとして時間のあるときに訪れているハウスもあります。コミュニティーハウスのイベントで知り合い、気の合った女性たちで、ご主人が亡くなったら、一緒に暮らす考えだそうです。空いている一室も60代の女性が入居を望んでいるので、間もなく満室になるといいます。

コミュニティーハウスは、地主さんから50年契約で借りた約700平方メートルに鉄骨2階建て延べ640平方メートル。夫婦用は約70平方メートル、単身者用は約40平方メートル。うち27%、約170平方メートルがテーブル、椅子を揃えて一緒に食事もできるイベントスペース、来客用の応接室などの共用部分です。

玄関はオートロック方式、バリアフリー、電化システムのキッチン(IHクッキングヒーター利用)、床暖房、温水器が設けられています。車いす生活になってもハウスを移動できるよう2階へのエレベーターも備えています。

入居者のハウスには、トイレ、浴室があり、各自の好みに合わせてつくられていました。呼びかけ人のMさん夫婦のハウスを見せてもらいました。トイレは車いす生活になっても困らないよう、可動式の手すりが取り付けられており、現在は不要なので、上にあげられていました。エアコンも設置されていましたが、日当たりが良いうえ、床暖房もあるので、厳冬期でも使用することはないそうです。

共同生活のルールはとくにありません。「出きる人が出きることをする」が共通認識で、共同スペースの清掃、月1回程度の持ち寄り食事会などを開いています。他人同士が共同生活をするのですから、対人関係の難しさがあるのではないか、と思いますが、ハウスづくりで協議を重ねてきたうえ、各種のイベントなどで気心が知れた関係になっていたので「親類以上の関係」になっているそうです。

終の住処をコミュニティーハウスで迎えるのも悪くないな、と感じて帰宅しました。

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「餅は餅屋」に任せるべき!

2013-04-26 09:45:44 | 健康・病気

息子夫婦が1歳3か月の孫の男の子を連れて来院し、歩き始めた孫と楽しいひと時を過ごしたあと、一日の仕事を終えて引き揚げようと電動シャッターのボタンを押したところ、シャッターが下<wbr></wbr>りません。電源スイッチを切ってから入れ直すことを何回もしまし<wbr></wbr>たが、ボタンを何度押してもウンともスンともいいません。やむなく、ガラスドアのカギをかけて帰宅しました。

翌朝、開院の準備をしていますと、管理人さんが跳んできて「シャッターが開いたままでした。どうかしたのですか」と尋ねましたので、事の顛末を話しました。シャッターは貸主のオーナーさんの所有ですから、不動屋さんに電話して「オーナーに連絡して業者を派遣するよ<wbr></wbr>う」頼みました。だが、オーナーは昼間連絡がつきにくいので、夜になるかもしれない、とのことでした。<wbr></wbr>

午後2時前になっても連絡がありませんでした。管理人さんから「2日もシャッターが開けっぱなしだと、泥棒に狙われるかもしれないので、知り合いの電気屋さんがいたら、連絡したらどうですか」と言われました。シャッターのボタンがゆるんでいる感じがしていたので、私はボタンの不具合と考えていました。不動産屋さんに電話すると、「電気屋さんが来てくれるのでしたら、頼んでください」との返事でした。整骨院の改装工事をしてくれた業者を通じて、電気屋さんの派遣をお願いし、昼食を取りに出かけました。

食事をしていると、不動屋さんから電話があり、「オーナーさんと<wbr></wbr>連絡が取れ、シャッター会社のスタッフを派遣します」と言います。すぐに、改装工事の業者に電話して電気屋さんの派遣を止めてもらいました<wbr></wbr>。午後4時前、シャッター会社の人が来院。<wbr></wbr>屋根裏の配線を見るため、天井の扉を開けて調べた結<wbr></wbr>果、配線の一部がショートしていたそうです。一部の配<wbr></wbr>線を取り換えたところ、電動シャッターは再び動き出しました。な<wbr></wbr>にせ、昭和49年にできたマンションで、配線も当時のものが大部<wbr></wbr>分ですから、劣化が起こっても不思議ではありません。

私はボタンの接触不良とみていたのですが、原因はもっと根本的なことで<wbr></wbr>した。スタッフは電動シャッターを取り付けた会社の社員で、内部<wbr></wbr>構造を知らないと修理もできません。電気屋さんに来てもらっても解決できたか、わかりません。「餅は餅<wbr></wbr>屋」「シャッターのことはシャッター屋さん」と改めて教えられました。<wbr></wbr>

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3万6000円しか払わなかったのに医療費は156万円

2013-04-25 09:59:23 | 健康・病気

腰を打って来院された70代前半の女性の患者さんは、心臓の冠動脈のバルーン手術を3回受け、窓口で計3万6000円を支払いました。高額医療費の助成を申請していましたので、この額ですみました。

後日、病院から医療費の明細書が郵送されてきました。そこには「156万円」と記載されていました。施療が終わったあと、患者さんが「私は国民健康保険で1割負担なので、36万円の明細書になると思っていたのに、なんで156万円なんでしょう。私が払う額が増えるわけではないので、個人的にはどうでもよいことですが‥」と私に尋ねました。

ネットで、大阪市の国民健康保険のページを見ました。70代前半の高額医療費は、市民税非課税世帯では1回の医療費が1万2000円とあります。この女性は3回、入院手術を受けていますから、計3万6000円となったと推測しました。次の来院されたとき、それとなく「市民税は払っていますか」と聞きますと、「払っていません」と答えました。それで、70代前半の高額医療費は1回の入院手術につき1万2000円なので、医療費が計156万円かかっても支払う料金は3万6000円ですむことを説明しました。

この女性は不整脈が見つかり息苦しいことが続いたので、医師に勧められてバルーン手術を受けたといいます。1回目は太ももから入れたのですが、症状が改善しなかったそうです。このため、2回目は手首からバルーンを挿入したところ、呼吸が楽になり、毎日の生活がとても楽になりました。

ところが、医師の診断で、冠動脈のバルーン手術をもう一度した方が良いとされ、太ももから3回目の手術をしました。すると、症状は元に戻り、息苦しさが続くといいます。「3回も手術をしたのに、良くならないのはどうしてでしょうか」

3回の手術医療費156万円が高いかどうかはわかりませんが、もし自由診療で全額自己負担でしたら、手術を受けるかどうか、を慎重に検討したうえで判断することでしょう。女性が話したように、国民皆保険で、自己負担が少なくてすむから手術に同意したのでしょう。

自由診療が原則のアメリカでは、高額の手術を受けると、医療保険の保険額がアップしますから、患者は手術医療費の削減を病院側に申し入れるそうです。さらに、手術して症状が改善しなければ、患者側から病院に詳しい説明責任が求められることでしょう。

156万円は当院の年間収入を大きく上回る金額です。日本の国民皆保険のあり方に考え込まさせられるとともに、問題点の一端を見た気持ちがしました。

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