団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

「詞先」だったメンデルスゾーンの「パウロ」

2019-02-21 10:18:19 | アート・文化

歌謡曲の作り方に「詞先」「曲先」があります。歌詞が先に作られ、そのあとに曲をつけるのが「詞先」です。阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲の「横須賀ストーリー」「プレイバックPart2]などは阿木さんの詞に宇崎さんが曲をつけました。宇崎さんが「詞ができたら、曲はどんどん作るから、詞を書いて書いて」と妻の阿木さんにせっついたといいます。

反対に曲ができて、それに詞をつけるのが「曲先」です。「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など永六輔作詞、中村八大作曲のヒット曲は中村さんが書いた曲に、永さんが詞をつけました。永さんは「八大さんは早稲田大の先輩です。当時は先輩の命令は絶対です。こんな曲ができたから詞をつけて、といわれたら、はいわかりました、です」と話していました。

京都コンサートホールで先日開かれた京都シティフル合唱団創立60周年記念演奏会でメンデルスゾーンのオラトリオ「パウロ」を聴きました。パンフレットにあるドイツ語の詞とその訳に目を向けながら、合唱、独唱、関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏に耳を傾けました。

荘厳な調べに比べて、その訳(ドイツ語は私はわかりません)は詩的な要素がみられません。訳の冒頭に(使4:24,26,29)とか(マタイ23:37)(ヤコブ1:12)などと書かれています。

楽曲の解説を読んで、はたと気が付きました。「パウロの伝道の様子を記した新約聖書の使徒言行録を中心とした聖書から選択された、ドイツ語のテキストによる45曲」と書かれていました。(使)は「使徒言行録」のことでした。

メンデルスゾーンは聖書の文章に曲をつけ、2時間を超えるオラトリオをつくりあげたのです。「パウロ」は1836年に初演され、27歳のメンデルスゾーンの作曲家としての名を確固たるものにしたといいます。

そんなことを、元合唱団員の友人に話したら「聖書を題材にした合唱曲はほとんどそうだよ」と、そんなことも知らなかったのか、という顔をされました。

 

コメント

紙の鍵盤でピアノの練習をしました

2019-01-17 09:37:13 | アート・文化

友人の70代半ばのNさんは20代のころからベートーヴェンの「月光」を弾き続けています。それも第一楽章だけです。Nさんとピアノとのかかわりを舞台劇にした「ムーンライト」が京都市で開かれので見てきました。

劇は、演出家の村川拓也さんがインタビューする形で進みました。ピアノを弾くきっかけになったのは、「月光」のレコードを初めて聴いたとき、「僕ならもっと良い音が出せる、違う演奏ができる」と思い込んだことです。当時、通っていた教会にピアノを弾く女性がいたので、頼んで教えてもらうことにしました。

でも、貧乏学生ですから、ピアノを買うお金はありません。音楽雑誌の付録についていた紙の鍵盤で練習を重ねました。楽譜を見ながら、声で音を出して「月光」を弾きました。ピアノの鍵盤にタッチできるのは、女性の元で教えてもらうときだけでした。

念願のピアノを購入できたのは、娘が小学生になった40代でした。ピアノを習いたいという娘に、二つ返事で了承しました。以来、自宅で「月光」第一楽章を弾き続けたといいます。

この話を聞いたとき、「本当に好きなことならば、どんな状況でも、始められるし、続けられる」と思いました。

同じように紙の鍵盤でピアノを独習した作曲家に武満徹さん(故人)がいます。「才能とやる気があれば、紙の鍵盤でもピアノをマスターできるのか」と驚いたことを覚えています。武満さんには、このことを知った同じ作曲家の黛敏郎さん(故人)が妻のピアノを贈ったというエピソードがあります。

コメント

枯れた花にも華がある

2019-01-11 09:39:10 | アート・文化

華道家元池坊では「枯れた花にも華がある」といいます。枯れた花にも美を見出し、その花が育った環境を想像し、草木の風情を理解することを大切にしているそうです。

日本学術会議in京都のシンポジウム「いけばな~日本の知恵の世界発信~」の対談の中で、池坊次期家元の池坊専好さんに教えていただきました。専好さんは池坊の歴史上、初の女性家元です。

日本のいけばなは、西洋のフラワーアレンジメントとは異なり、花や枝を左右非対称に生ける特徴があり、余白の美や枯れていく美しさまでも表現するそうです。想定外の事実を受け止め、そこから新たな価値を見出すという科学と通じるところがあるとして、シンポジウムに組み込まれました。

日本学術会議副会長の渡辺美代子さんが聞き役となり、対談は進みました。専好さんは、池坊では木は後ろ、草は前に生けることで自然の縮図を現わすといいます。いけばなが最終的に目指すのは社会の縮図だそうです。それだからこそ、枯れた花にも華があるとみるのです。

いけばなの精神には、とんと疎い私にはよくわからない話ですが、「枯れた花にも華がある」という考え方には共感できます。

それとは別に、対談していた約40分間、専好さんのスカートの膝がきちんとついたままだったことに「正座の世界」で育った姿を感じました。

コメント

トットちゃんの挿し絵はちひろさんの遺作から選んだのです

2018-09-14 09:20:26 | アート・文化

戦後最大のベストセラーといわれる黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」。黒柳さんの自伝的物語で、単行本、文庫本を合わせて累計800万部も売れました。

挿し絵を描いたのは絵本作家で画家のいわさきちひろさん。トットちゃんにぴったりの女の子が表紙を飾っており、物語に合わせて、ちひろさんが描きあげたものと、私はずっと思っていました。

ところが、ちひろ美術館・東京(東京都練馬区下石神井4丁目)を訪ねて、「トットちゃん」の原稿に合わせて、ちひろさんが子どもたちを描いた未発表の3000点の中から絵を選んでいたことを知りました。

調べてみたら、ちひろさんが肝臓がんで55歳という若さ亡くなったのが1974年8月、「トットちゃん」が発刊されたのは、7年後の1981年3月です。

ちひろ美術館で、黒柳さんがこの間の経緯を話したDVDが上映されていました。出版元の講談社から自伝を書くよう求められていた黒柳さんは、挿し絵はちひろさんに描いてもらおうと決めていました。でも、一度も会ったことはありません。新聞でちひろさんの死亡記事を読んで、涙があふれて止まらなかったそうです。

ちひろさんの遺族のもとに、自伝的物語を書こうと思っていることを綴った手紙を、お花とともに送りました。長男の松本猛さん(67)らが、ちひろさんのたくさんの遺作の中から、ストーリーに合う絵を探し出すことを申し出ました。

これを受けて、黒柳さんは「トットちゃん」を書き始めました。「猛さんらが物語にぴったりの絵を選び出してくれました。この協力がなければ、トットちゃんを書き上げることはできなかったと思います」と黒柳さんは話していました。

ちなみに、黒柳さんはちひろ美術館・東京、安曇野ちひろ美術館の館長を務めています。ちひろさんの夫は元衆議院議員の松本善明さん。

コメント

マタイ受難曲を聴いてきました

2017-07-03 09:25:39 | アート・文化

友人のNさん(72)がテノールのメンバーの京都シティーフル合唱団のバッハ作曲「マタイ受難曲」(明石好中さん指揮、テレマン室内オーケストラ)を、京都コンサートホールで聴いてきました。レコードでは何十回も聴いたことがある作品ですが、生の演奏、独唱、合唱で聴くのは初めてです。

Nさんは網膜色素変性症という遺伝性の病気を患い、60代になってから両目が見えなくなり、今ではほぼ失明状態といいます。それでも、若いときからバッハが好きで、とりわけマタイ受難曲を歌いたいと定年後に合唱活団動に参加しました。

第一部、第二部に分かれて演奏しましたが、合わせて3時間5分という大作です。しかも、すべてドイツ語です。Nさんは大学で第二外国語にドイツ語を専攻したといいますが、その後は使うことはなく、すっかりサビついているというのが本人の弁です。

ソプラノ、アルトの女性が約80人、テノール、バスの男性が約60人という大合唱団です。ほぼ全員が譜面を手にしています。時折、譜面に目を落としている人もおりましたが、あくまで参考までに見ている様子でした。Nさんを含め、ドイツ語の歌を暗譜するには、ずいぶん練習を重ねたことだろうと思いました。

舞台の後方にスクリーンが設けられ、独唱、合唱で歌うドイツ語の日本語の訳が映し出されました。演奏の進行と同時にストーリーがわかり、クラッシック通ではない私にとって、マタイ受難曲の理解が深まる、ありがたい演出でした。

コメント