団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

鳥羽一郎は茶碗に人差し指を入れていた

2019-10-29 10:36:37 | アート・文化

5000曲以上の歌謡曲を作曲した船村徹記念館(栃木県日光市今市)には、美空ひばり、春日八郎、村田英雄、鳥羽一郎、北島三郎の5人の歌手が船村さんのエピソード&メッセージを語るシアターがありました。そのわきには、船村さんがそれぞれの歌手との思い出が書かれています。

デビュー曲の「兄弟船」がミリオンヒットになった鳥羽一郎との思い出を船村さんはこのように綴っていました。

歌よりも生活習慣を整えるのが大変でした。茶碗を持つのに、左手の人差し指を中に入れて、他の4本で支えている。郵便物を取りに行くのに、裸足のまま庭に出て、そのまま上がってくるので、廊下や室内が砂だらけになる。

人差し指を入れて茶碗を持つ、それってなんだろう、と思いました。

鳥羽一郎は三重県鳥羽市の漁師で、マグロやカツオを取る遠洋漁業に5年間従事したあと、船村さんに弟子入りしました。船の上では、船村さんが作曲した「別れの一本杉」や「なみだ船」をいつも歌っていたといいます。

船での食事は揺れるため、人差し指を入れる持ち方をしていたらしい。左手の親指で茶碗のふちを持ち、他の4本で高台を下から支える持ち方しか知らない私は驚きました。

ネットで調べたら、人差し指を茶碗の内側に入れる持ち方をする写真や絵がたくさん載っていました。そして「行儀の悪い、良くない持ち方」と添えられていました。

 

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「二代目船村徹」って誰だろう?

2019-10-28 09:35:53 | アート・文化

5000曲以上を作曲し、歌謡曲の作曲家として初の文化勲章を受けた船村徹記念館(栃木県日光市今市)を見学しました。

春日八郎の「別れの一本杉」、美空ひばりの「哀愁波戸場」「みだれ髪」、村田英雄の「王将」、島倉千代子の「東京だヨ おっ母さん」、北島三郎の「なみだ船」「風雪流れ旅」、鳥羽一郎の「兄弟船」、細川たかしの「矢切の渡し」、ちあきなおみの「紅とんぼ」など、船村さんはたくさんのヒット曲をつくりました。文化勲章を受章した翌年の2016年、享年84歳で死去しました。

初めての大ヒットとなった「別れの一本杉」を作詞したのは、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)時代からの友人の高野公男さんでした。高野さんは肺結核で26歳という若さで亡くなりました。茨城県出身の高野さんは、栃木県出身の船村さんにこう呼びかけていました。「俺は茨城弁の詞を書く、お前は栃木弁の曲を書け」

船村さんはこの思いを生涯持ち続けました。「船村徹 人生と仕事」のコーナーでは、巻紙に作曲への思いを綴った自筆の文が展示されていました。その最後に「二代目船村徹」と書かれていました。

「初代は誰?」と思い、記念館の女性職員に尋ねました。その文章が書かれたのは1978年(昭和53年)で、コロンビアレコードの専属からフリーになることを決心した年でした。46歳でした。その翌年、歌を愛する大衆と演歌を通して対話する演歌巡礼を始めました。

ヒットメーカーになった船村徹から、初心に帰って新たな作曲家人生を踏み出すという想いを込め「二代目船村徹」を名乗ったのではないか、との説明でした。

 

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「詞先」だったメンデルスゾーンの「パウロ」

2019-02-21 10:18:19 | アート・文化

歌謡曲の作り方に「詞先」「曲先」があります。歌詞が先に作られ、そのあとに曲をつけるのが「詞先」です。阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲の「横須賀ストーリー」「プレイバックPart2]などは阿木さんの詞に宇崎さんが曲をつけました。宇崎さんが「詞ができたら、曲はどんどん作るから、詞を書いて書いて」と妻の阿木さんにせっついたといいます。

反対に曲ができて、それに詞をつけるのが「曲先」です。「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など永六輔作詞、中村八大作曲のヒット曲は中村さんが書いた曲に、永さんが詞をつけました。永さんは「八大さんは早稲田大の先輩です。当時は先輩の命令は絶対です。こんな曲ができたから詞をつけて、といわれたら、はいわかりました、です」と話していました。

京都コンサートホールで先日開かれた京都シティフル合唱団創立60周年記念演奏会でメンデルスゾーンのオラトリオ「パウロ」を聴きました。パンフレットにあるドイツ語の詞とその訳に目を向けながら、合唱、独唱、関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏に耳を傾けました。

荘厳な調べに比べて、その訳(ドイツ語は私はわかりません)は詩的な要素がみられません。訳の冒頭に(使4:24,26,29)とか(マタイ23:37)(ヤコブ1:12)などと書かれています。

楽曲の解説を読んで、はたと気が付きました。「パウロの伝道の様子を記した新約聖書の使徒言行録を中心とした聖書から選択された、ドイツ語のテキストによる45曲」と書かれていました。(使)は「使徒言行録」のことでした。

メンデルスゾーンは聖書の文章に曲をつけ、2時間を超えるオラトリオをつくりあげたのです。「パウロ」は1836年に初演され、27歳のメンデルスゾーンの作曲家としての名を確固たるものにしたといいます。

そんなことを、元合唱団員の友人に話したら「聖書を題材にした合唱曲はほとんどそうだよ」と、そんなことも知らなかったのか、という顔をされました。

 

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紙の鍵盤でピアノの練習をしました

2019-01-17 09:37:13 | アート・文化

友人の70代半ばのNさんは20代のころからベートーヴェンの「月光」を弾き続けています。それも第一楽章だけです。Nさんとピアノとのかかわりを舞台劇にした「ムーンライト」が京都市で開かれので見てきました。

劇は、演出家の村川拓也さんがインタビューする形で進みました。ピアノを弾くきっかけになったのは、「月光」のレコードを初めて聴いたとき、「僕ならもっと良い音が出せる、違う演奏ができる」と思い込んだことです。当時、通っていた教会にピアノを弾く女性がいたので、頼んで教えてもらうことにしました。

でも、貧乏学生ですから、ピアノを買うお金はありません。音楽雑誌の付録についていた紙の鍵盤で練習を重ねました。楽譜を見ながら、声で音を出して「月光」を弾きました。ピアノの鍵盤にタッチできるのは、女性の元で教えてもらうときだけでした。

念願のピアノを購入できたのは、娘が小学生になった40代でした。ピアノを習いたいという娘に、二つ返事で了承しました。以来、自宅で「月光」第一楽章を弾き続けたといいます。

この話を聞いたとき、「本当に好きなことならば、どんな状況でも、始められるし、続けられる」と思いました。

同じように紙の鍵盤でピアノを独習した作曲家に武満徹さん(故人)がいます。「才能とやる気があれば、紙の鍵盤でもピアノをマスターできるのか」と驚いたことを覚えています。武満さんには、このことを知った同じ作曲家の黛敏郎さん(故人)が妻のピアノを贈ったというエピソードがあります。

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枯れた花にも華がある

2019-01-11 09:39:10 | アート・文化

華道家元池坊では「枯れた花にも華がある」といいます。枯れた花にも美を見出し、その花が育った環境を想像し、草木の風情を理解することを大切にしているそうです。

日本学術会議in京都のシンポジウム「いけばな~日本の知恵の世界発信~」の対談の中で、池坊次期家元の池坊専好さんに教えていただきました。専好さんは池坊の歴史上、初の女性家元です。

日本のいけばなは、西洋のフラワーアレンジメントとは異なり、花や枝を左右非対称に生ける特徴があり、余白の美や枯れていく美しさまでも表現するそうです。想定外の事実を受け止め、そこから新たな価値を見出すという科学と通じるところがあるとして、シンポジウムに組み込まれました。

日本学術会議副会長の渡辺美代子さんが聞き役となり、対談は進みました。専好さんは、池坊では木は後ろ、草は前に生けることで自然の縮図を現わすといいます。いけばなが最終的に目指すのは社会の縮図だそうです。それだからこそ、枯れた花にも華があるとみるのです。

いけばなの精神には、とんと疎い私にはよくわからない話ですが、「枯れた花にも華がある」という考え方には共感できます。

それとは別に、対談していた約40分間、専好さんのスカートの膝がきちんとついたままだったことに「正座の世界」で育った姿を感じました。

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