団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

高級ブランデー・ナポレオンが500円

2018-12-28 09:48:17 | 社会・経済

「高級酒を高く買い取ります」のチラシが郵便受けに入っていました。自宅には、高級ブランデーの「マルキ・ドウ・モンテスキュー・ナポレオン」などがテレビ台の下のスペースに置いたままになっています。私が買った覚えがないので、どなたかにもらったものでしょう。

カミさんが「売ってきてもよい」というので、お酒を控えていることもあり、「いいよ」と答えました。すると、その夜、「いくらで売れたと思う」とカミさんが聞きました。確か、2、3万円はしたはずだから「5000円くらい」と言いました。「甘い。たったの500円。それで売らずに持って帰りました」

「そうか、そんなに安いのか」と思わず声が出ました。ネットで調べたら、モンテスキュー・ナポレオンは箱入りの新品ならば2万5000円でした。私の記憶に、値段はそんなに間違いがありませんでした。

でも、ヤフーオークションやメルカリをのぞいたら、平均6588円ですが、1000円~1万4867円で売られていました。1000円ならば、引き取り価格500円でも不思議ではありません。5本、6本のまとめ売りもありますから、亡くなった夫の遺品の高級ブランデーを家族が投げ売りしたのかな、と勘繰りたくなる安さです。

「500円の高級ブランデーならば、自宅で気軽に飲もう」と考えました。

そんな話を患者さんにしたら、母親譲りの結城の着物を持ち込んだ女性が「着物は500円。あほらしくなって持ち帰りました」と話しました。着なくなった背広上下10着を売ろうとした男性は「10着で1000円でした。当然、やめです」。

高価買い取りは「うたい文句」だけのようです。

500円のナポレオンを愉しみながら、年末を過ごす所存です。みなさま、良い年をお迎えください。

 

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坪当たり1000万円がいまや32万円

2018-12-27 10:58:29 | 社会・経済

高松市の繁華街に4階建てのビルを所有する知人の男性から連絡がありました。父親から相続したビルですが、自分も高齢になったので売却することにしました。「いくらで売れたと思う」と聞かれました。最盛期には坪(3.3平方メートル)当たり1000万円で25坪で2億5000万円と聞いていましたので、「地価が下がっていますが、3分の1の8000万円くらい」と答えました。

電話口で知人が噴き出しました。「その10分の1の800万円」。こっちがびっくりです。「かつての一等地がそんなに安くなったのですか」

私鉄の駅前からの商店街でした。映画館やレジャー施設、大手ショッピングセンターもあり、いつも買い物客で混雑していました。地価公示では、高松市の商業地で最高額がつけられたところでした。

それが、モータリゼーションの発達とともに、大きな駐車場を備えた郊外のショッピングセンターに買い物客が移っていたことから、年々、さびれていきました。人通りもまばらになり、一店一店とシャッターを下ろす店が増えていきました。

知人は「シャッター街になってしまったから、ずいぶん安くなると思っていたが、周辺の相場を調べても、まあ妥当な価格なので、売ることにした」と言いました。

それにしても坪1000万円が今や32万円です。地方経済の衰退ぶりを見せつけられ、言葉もありませんでした。

 

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家康は運動、節制、趣味で75歳まで長生き

2018-12-25 09:36:16 | 健康・病気

武家政治を司った将軍は強いストレス、次々と押し寄せる不安と闘いながら政治に携わなければなりません。NHKラジオの健康ライフで「歴史上の人物に学ぶ健康」をテーマに話した日本大医学部の早川智教授によると、将軍の平均寿命は鎌倉幕府が38.1歳、室町幕府は38.7歳、江戸幕府は49.7歳でした。

最高権力者として、当時の最高の医療を受けることができたのに、鎌倉・室町幕府では30代で亡くなり、江戸幕府でも「人生50年」に届きませんでした。

その中で、江戸幕府を開いた徳川家康は75歳と長命でした。家康は健康に人一倍の関心があり、医学・薬学を学び、薬づくりもしました。

さらに、深酒を控え、大食を慎み、遊女とは接触しませんでした。鷹狩りなどの運動に励み、猿楽、囲碁、香などの趣味を楽しみました。こうした節制、運動、趣味が長寿につながりました。

江戸幕府で最も長寿だったのは、77歳で亡くなった最後の将軍・徳川慶喜でした。大政を奉還し、その後は写真、狩猟、投げ網、囲碁、謡曲など趣味を楽しみ、晩年ま没頭できる趣味の数々に興じたといわれます。一方、静岡に一緒に移り住んだ家臣たちの困窮ぶりには、一切目を向けず、「貴人に情なし」といわれました。

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西郷隆盛が蚊に刺されなかったら‥

2018-12-24 09:36:53 | 健康・病気

せごどんの西郷隆盛は蚊が媒介するフィラリアに苦しみました。フィラリアはリンパ管を閉塞させ、炎症を起こし、両脚がゾウの足のようにむくみます。象皮病ともいわれ、西郷の膨らんだ足は直径60センチほどになり、歩くのが困難になりました。

NHKラジオの健康ライフで、日本大医学部の早川智教授が「歴史上の人物に学ぶ健康」をテーマに話したことで、西郷さんの象皮病を知りました。西郷は2度目の流罪になった沖永良部島で蚊に刺され、感染したといいます。

西郷は西洋に行きたいと夢見ていましたが、象皮病のため、願いがかないませんでした。もし、西郷が西洋を見聞していたら、世界情勢の視野が広がり、「西南戦争を起こさなかったかもしれない」と早川教授は話していました。

平清盛は熱病で享年64歳で亡くなりました。体があまりにも熱くなり、水風呂で冷やしたといわれます。早川教授は、清盛は蚊が媒介するマラリアにかかり、死亡したとみています。

一方、生活習慣病の糖尿病で亡くなったのは藤原道長です。62歳でした。「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」と歌ったほどの権勢を誇った道長ですが、51歳のころからしきりに水を飲み、その後急速にやせて、目も不自由になりました。典型的な糖尿病の症状です。

上杉謙信はトイレで倒れ、そのまま亡くなりました。49歳でした。大の酒好きで塩辛い食べ物が大好きでした。高血圧性の脳出血でした。

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人生は偶然が支配するあみだくじ

2018-12-21 09:46:32 | 健康・病気

「人生は偶然が支配するあみだくじ」といわれますが、60代の生け花の先生の女性は「ほんまにそうやな」と振り返ります。

教育熱心な母親の勧めで、小学校に入ったばかりから、ピアノ、習字、そろばんを習い始めました。「ピアノは自分の希望で教室に通いましたが、習字、そろばんは母にいわれて」

ピアノは中学まで習いましたが、残りは小学校で興味がわかなくなり、やめたそうです。高校に入って、母親から強く勧められたのが、生け花と茶道でした。どうやら花嫁修業だったようです。

「お花もお茶もそれほど好きではなかったの。母にいわれて、何となく続けていましたが」。それがお花を一生涯の仕事にする転機が訪れたのは、大学を卒業した年でした。

華道の家元の高齢男性を前に、師範を取った人たちが並んで自己紹介をする機会がありました。後から考えると、翌年の春、ワシントンのポトマック河畔の桜まつりに同行する若手を選ぶ場だったようです。

先生が一行の一員に選ばれました。桜まつりを彩る花を、家元の薫陶を受けながら生けるメンバーの一人になったのです。稽古に一段と熱が入りました。そのことが華道に打ち込むきっかけになり、生涯の仕事につながりました。

「ワシントンに行かなければ、華道を一生の仕事にすることはなかったでしょう。人生って、あみだくじで一本横線が加わっただけで、全く変わってしまうものです」。家元に気に入られた自己紹介ですが、「何を話したか、全く覚えていない」そうです。

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