団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

ボランティアは自己犠牲が基本と言いますが‥

2013-12-28 10:11:14 | 健康・病気

ボランティアはわが身を削って、時間も削り、お金も出し、場合によっては家族を犠牲にして、何らかの奉仕をする。これが欧米のボランティアの基本です。

東洋経済オンラインに掲載されている、宗教学者の山折哲雄さんと竹内洋・京都大名誉教授の対談「リスクと犠牲を教えない、日本のエリート教育」で採り上げられている内容です。国際標準と日本標準の違いについて、ボランティアを例に説明していました。日本標準のボランティアはーー。

日本のボランティアは永続的にやるという考え方ではなくて、できるだけ自分を守って、自分の領域を守って、その余力でサービスをする。ライオンズクラブもロータリークラブも全部がそうだ。社会奉仕といいながら、結局余力でやっている。

国際標準のリーダー・エリート教育は自己を犠牲にするかが基本だが、日本のエリート教育はリスクと犠牲を教えない。だから、日本ではエリートが育たない。

家族を犠牲にしてまで奉仕活動をせよ、と求められましたら、エリート層も含めて、日本ではほとんどの人たちがボランティアはできなくなるでしょう。欧米のエリートは貴族であり、超富裕層です。しかも、世襲により、その地位を受け継ぐ人たちが多いのです。調理人も家政婦もいて、執事がいるのです。家族を支える人たちを雇うことができるエリートです。日本のエリートといっても、そんなに多くの使用人を雇える人たちはごくごく一部でしょう。

29日から1月4日まで、92歳の父の世話と大掃除などで東京の実家に戻ります。使用人を雇う経済的な余裕がない庶民は、家族の世話は家族がするしかありません。「子どもの代わりはおまへんから」と思っていましたら、父は27日、うっ血性心不全を起こし、緊急入院しました。医師の診断では1~2週間の入院が必要とのこと。年末年始は病院に見舞いに行きます。少し早いですが、みなさま、良い年をお迎えください。

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「見えないことと向き合う」

2013-12-27 10:49:07 | 健康・病気

「見えないことと向き合う」というテーマで書かれた自分の作文を朗読する中学3年の女生徒Mさんのよどみない声を聞きながら、「えっ」と思いました。Mさんは作文の最初に「私は生まれた時から目が見えません。ただ目が見えないといっても人それぞれで、私の場合は右目に光を感じることができます」と綴っています。目が見えないのに、どうして、です。

中学生人権作文コンテスト表彰式でのことです。最優秀の大阪府人権擁護委員連合会長賞に選ばれたMさんは先生に手を引かれた登壇しました。マイクの前に立ち、自分の作文が印刷された小冊子を開いて、おもむろに「読み上げ」ました。

そうなんだ、Mさんは自分の作文を全部暗記して朗読しているのです。作文は400字詰めの原稿用紙で4枚あります。

大人の人から「あんたみたいな視覚障がい者は、役に立たないからじゃまなだけ」と言われたこともありました。障がいについて家族と話し合ったら、母はいきなり泣き出し「こんな形で生んでしまってごめんね。ママは奇跡が起こって、Mの目が見えるように毎日、神様にお祈りしているよ」と話しました。母の思いを初めて知り「お母さん、私を生んでくれてありがとう。これからは生まれてきた自分の命を大切にして、がんばっていこう」と思うようになりました。

そして最後にこう書きました。

わたしのことを応援してくれる人、支えてくれている人に恩返しをしたいのです。この夢に向かってしっかり学校で学習し、自分のできることに全力で取り組みたいと思います。私もがんばりますので、みなさん私のことを応援してくださいね。

これだけの行数の作文を暗記するには、きっと長い時間をかけたことでしょう。タケちゃんも応援するからね。

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「あのアパートに住んでいたら大震災で死んでいた」

2013-12-26 09:51:09 | 健康・病気

「人の運命は本当にわからない」。60代の男性の患者さんがしみじみとした調子で話し始めました。阪神大震災が起こる1年前の1994年まで兵庫県西宮市の木造アパートに住んでいました。傾斜地を削って建てられた2階建てのアパートで、男性は1階に居住していました。1階は地下1階部分で5部屋あり、2階も5部屋でした。

当時勤めていた神戸市の土木会社が経営不振となり、仕事がなくなりました。このため、知り合いの大阪市の鉄筋組み立て会社の会長に、そのことを告げたら「それならうちの会社に来い」となり、住み込みで勤務することになりました。

そして、95年1月17日午前5時46分、阪神大震災が発生しました。かつて住んでいたアパートは全壊し、住んでいた全員が死亡したといいます。「親しかった人も多かった。もし、あのまま住んでいたら、間違いなく死んでいた。それに、あの時間はトイレに行っている時間帯なので、トイレの最中に死ぬのはみっともないな」と振り返りました。

勤務していた土木会社が経営不振にならなかったら、鉄筋組み立て会社の会長が「うちに来い」と言ってくれなかったら、そのままアパートに住んでいたなら、「生きていなかっただろうな。運がいいから、ひょっとすると百歳まで生きるかも」と冗談を交えて言いました。

人の人生は一寸先は闇です。良寛さんが言う「死ぬる時節には死ぬるがよく候 是は災難をのがるる妙法にて候」と私は考えています。

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ファン気質はうらやましい!

2013-12-24 10:06:28 | 健康・病気

ちょっと「青春」してこよう、と思って、舟木一夫ショーを見てきました。高校時代によく歌った「高校三年生」などの青春歌謡を存分に聴きたいと考えたからです。第一部は「いろは長屋の用心棒」の舞台です。気ままな浪人で長屋の用心棒が舟木さんです。第二部が、お目当てのシアターコンサートです。

楽団の前にステンレスの長い台が合わせて四つあります。高いのが二つ、低いのが二つで、左右に高低が一つずつ並んでいます。歌謡ショーを滅多に見ることがない私は、バンドの前になんでこんな長い台があるのだろうか、と不思議に思いました。

でも、すぐに分かりました。ヒット曲「絶唱」から始まり、二曲目になったら、花束を抱えた女性や菓子の袋を手にした女性が次々と舟木さんにプレゼントしました。女性の一人ひとりと握手して受け取った舟木さんは花束は高い台に、菓子の袋は低い台に置いていきます。高い台には赤いバラ、黄色の菊など色とりどりの花が並びます。その数は花束が15、菓子の袋が20に上りました。

プレゼントしたのは女性ばかりでしたが、60代以上が多かったものの、若い女性も目立ち、舟木ファンの幅広さを感じました。69歳になった舟木さんは「大きなジャンプをした気持ちで」と言って「高校三年生」を歌い上げました。

ファンは舟木さんのすべてが好き、すべての歌が好きと聞いています。私は舟木さんの歌に好きなものもありますが、関心がない歌もあります。ましてや、舟木さんのすべてが好きではありません。好きな歌があるだけです。

物事を合理的に考えようと生きてきた私には、自分と違うタイプのファン気質は実にうらやましく、あこがれる存在です。今度、生まれてきたときは「あこがれの人」に夢中になるファン気質を持った人間になりたいな、と思います。

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「私が選んだ品に伝説が生まれます」

2013-12-23 10:41:06 | アート・文化

神戸市東灘区の香雪美術館で23日まで開かれている「茶人 村山香雪」を観てきました。朝日新聞を創刊した村山龍平翁(号・香雪)が蒐集した茶道具約60点が展示されています。龍平翁は藪内流の茶道を修め、明治35年(1902)、大阪の実業界を中心に生まれた茶の湯の会「十八会」の発起人となりました。

重要文化財、重要美術品、大名物などの中で、私が好きな一品が千利休の「籠花入 銘桂川」です。魚を入れるただの籠ですが、千利休が京都の桂川を歩いていたとき、漁師が使っていた古い籠が花入れにふさわしいと考えてもらい受けたそうです。

それに「桂川」との銘をつけ、花を入れて床の間に飾る籠花入れとして使用したところ、わび・さびの境地として絶賛されたといいます。この25日の映画の会で見に行く「利休にたずねよ」の予告編の決め台詞となっている利休の「美は私が決めること。私が選んだ品に伝説が生まれます」を現す一品です。

入館客のほとんどが女性でしたが、高齢の女性の多くから「阪神大震災でよく壊れなかったものですね」との声が上がっていました。展示された茶道具のどれも修理した跡はありません。

茶道具は隣接の村山邸の食器棚に保管されていました。大震災の大揺れの中、食器棚は倒れることもなく、中の茶道具類も破損しなかったそうです。建物の揺れと合わせて食器棚も揺れ、その位置はずれなかったといいます。明治の木工職人の技の素晴らしさを見た思いでした。

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