団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

若い人から見れば、年寄りはみな年寄り?

2012-03-31 09:44:35 | 健康・病気

おしゃれで、身のこなしはダンディーで実際の年齢より若く見える先輩の男性がおりました。本人も、若く見えることを意識しており、身だしなみも若づくりを心がけていました。その先輩が定年を迎え、映画館に行った時のことです。

「シニアです」と言うと、窓口の若い女性は年齢を示す証明書の提示を求めることなく、1000円のシニア券を手渡してくれました。「60歳なのですか、お若いですね、とか言われると思ったのに‥」と先輩はぼやいていました。

JR堺市駅前にある与謝野晶子文芸館にタケちゃんは先日、行きました。受付の女性が「一般の方ですか、一般の方ですね」と二度も確認しました。受付台に置いてある入館料の表示には「一般500円」と書いてあります。それに目を通していて、一番下に書いてあった文章で納得できました。「65歳以上の方は無料です」。そうか、私は65歳以上に見られていたのか、とうれしくはないことですが、得心できました。「65歳にもうすぐなりますが、今は一般です」と言って500円を払いました。

そういえば、私が若いとき、40代以上の人たちはみな同じような年寄りに感じたことを思い出しました。立場が違って、今度は私たちが年寄りに見られるようになったのです。このようなことはこれからも何度も起こることでしょう。そのたびに嫌な思いをするのも、けったくそが悪いので、「まあ、しょうがないか」と軽く受け止めることにしました。

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死を覚悟するということ

2012-03-30 09:50:05 | 社会・経済

私が小学校から大学までに習った先生たちのほとんどが従軍経験がありました。召集令状が届いたとき、何人かの先生方は承知していたことはいえ、自らの動揺を教え子の私たちに語ってくれました。

中学校の化学部顧問の先生は、いずれ戦場に行かなければならないことはわかっていたものの、なぜ20代の若さで死ななければならないかが理解できず、酒や遊興におぼれる生活に陥ったそうです。そんな生活がしばらく続いたあと、夢の中で目の前にベンゼンの分子構造「ベンゼン環」(通称亀の甲)が突然浮かんできたそうです。

「俺は化学の勉強をするために学校に入ったのだ。入隊するまでの残された時間にできるかぎり学ぼう」と決心し、勉学に励んだといいます。幸い戦病死することなく帰還できましたが、生活のため、研究者の道をあきらめなければなりませんでした。自分が極められなかった研究の道に進む教え子を育てたい、と中学校の教師になったと聞きました。私は文科系に進みましたが、化学部の多くの教え子が理科系の大学から研究者の道に進み、先生の願いの一端はかなえられたと思います。

大学時代の恩師は自分が死ななければならない意味がつかめず、奈良、京都の神社仏閣をを訪ね歩いたそうです。そして「我が国のすばらしい文化を守るため、戦うのだ」と自らに言い聞かせて入隊しました。恩師も運よく帰還することができ、戦地となった中国と友好的な関係をつくるにはどうしたらよいか、と中国経済をライフワークにしました。

「戦争を知らない子どもたち」のタケちゃんらは、先生たちの苦悩を味わずに、これまでの人生を送ることができました。この「平和」を支えていたのは「戦争の放棄」を明文化した憲法9条だと確信しています。

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肉体労働をしないですんだ団塊世代

2012-03-29 09:22:08 | 社会・経済

1947年から49年に生まれた団塊世代は、肉体労働をしないで定年を迎えた初めての世代と言われています。団塊世代の人たちが働いた時代は、高度成長に乗って、事務系のホワイトカラーの仕事が拡大し、業務の高度化に伴って頭脳労働の分野が広がりました。体を使って働かなければならない肉体労働のウエートが減ってきたのです。

私たちが子どもの時代によく歌った童謡に「船頭さん」があります。「村の外れの船頭さんは今年六十のおじいさん」という、あの歌です。子ども心に60代の人たちはおじいさんであり、おばあさんでした。顔のしわは深く、腰も曲がり、とぼとぼ歩いている姿を良く見かけました。それが、今では、体力年齢は、実際の年齢の七掛け、八掛けといわれるほど若々しい高齢者が目立ちます。60歳なら体力年齢は七掛けなら42歳、八掛けなら48歳というわけです。

肉体労働をしないですんだだけに、体力は結構維持できているものです。七掛け、八掛けの高齢者は周りを見渡せば、何人かの名前が浮かぶことでしょう。

ところで、「船頭さん」を調べてみたら、この歌は昭和16年の太平洋戦争に突入した年につくられ、60歳の年寄りでも頑張って働いているのだから、若い人たちは「お国のために」もっと尽くすよう、鼓舞するために作詞作曲されたそうです。「戦争を知らない世代」で戦争を体験しないまま人生をまっとうできそうなことを、タケちゃんは心底から幸せに思っています。

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「弁護士余り」は国策だったとは!

2012-03-27 10:14:34 | 社会・経済

「弁護士もつらいよ」とつぶやいた後、図書館で借りた「いったい、この国はどうなってしまったのか!」(2003年4月発刊、NHK出版)を読んだら、「弁護士余り」になった背景に国策があったことを知りました。この本は、元共同通信の司法記者だった魚住昭さんと、週刊文春などの元記者でフリージャーナリストの斎藤貴男が雑誌「ダカーポ」に連載した「メディア時評」をまとめたものです。

魚住さんは「司法制度改革の大きな狙いに弁護士層の解体がある」と指摘します。法科大学院を創設し、毎年の司法試験の目標合格者数を3000人とし、「2割司法」(トラブルの2割しか裁判で争われず、残り8割は泣き寝入りか、暴力団に頼んでいるとの見解)を改善したいと始まった司法制度改革の目的が「弁護士層の解体」であれば、「弁護士余り」の現状はまさに政府側の思うとおりの事態になっているわけです。

魚住さんは「弁護士層は戦後民主主義の強固な担い手集団で、弁護士約2万人の何割かは人権意識を持って仕事をしてきた。国にとってそれが邪魔で邪魔でしょうがない。弁護士層をどうやったら解体できるか、弁護士を増やし、競争が激化すれば、人権問題に熱心に取り組む弁護士の層が極めて薄くなるし、食っていけなくなるから、金もうけを考えなければならなくなる」と話していました。

斎藤さんは「比較的教育程度が高くて、必ずしも体制に与していない職業層がいくつかあり、代表的なのが弁護士であり、マスコミであり、大学の教員、学校の教職員だった。これらの層がことごとく体制に取り込まれていく流れがとても気になる」と訴えていました。

今回は弁護士に限って言及すると、国策の狙いは大成功だったと思います。日本弁護士連合会の登録弁護士数は2012年3月現在で3万2107人で、ここ10年間で1万人以上増えました。弁護士事務所に机を置かせてもらうものの、給料も先輩弁護士の指導もない「軒弁」どころか、いまは「宅弁」といって弁護士事務所に机も置かせてもらえず、自宅で開業する一人弁護士が増えているそうです。実務経験が乏しい「宅弁」に依頼するところはないので、大部分の「宅弁」はとても食べていけない現状といいます。

法科大学院は74校が設立されましたが、受験者が定員に満たないところが続出し、閉校した大学院も出ています。法科大学院ができたことで、大学教授OBらが専任教員として1721人が就任したほか、文部科学省、法務省の役人が職員として多数天下っています。

新聞やテレビは当時、司法制度改革を「開かれた司法」と絶賛していました。批判的な記事を読んだ記憶がありません。こうした背景が分かっていながら、書かなかったということはマスコミはとっくに体制に取り組まれていたということでしょうか。マスコミに在籍していた私としては信じたくない話ですが、原発報道を見ると「そうなってしまったのか」と肯かなければならないのが悔しくてなりません。

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初めて新聞に名前が載った日

2012-03-26 09:17:26 | 社会・経済

化学部員の中学校1年の10人は、〇〇先生に高校で習う対数を教えてもらい、定量分析の実験を重ねました。先生の提案で夏休みに「公衆浴場の湯の汚れ方」を調べることになりました。教え子の親が公衆浴場を営んでいるところに了承を取り、お風呂屋さんが始まる午後3時から1時間ごとに午前零時に終わるまでの風呂の湯を採取して、窒素、有機物、塩素の量を測って「お湯の汚れ方」を調査しました。

土曜日の午後3時から、部員が二人一組でお風呂屋さんに交代して行き、試料瓶に詰めて持ち帰りました。それを実験室で窒素、有機物、塩素の量を測定しました。私たちが採取した時間の窒素分(アンモニア分)が急に増え、「風呂の中でおしっこをしたのではないか」と先生や他の部員たちから冗談を言われたのもなつかしい思い出です。実験試料を採取するとき、入浴するわけではありませんから、おしっこができるはずがないのです。でも、予想外の測定結果が出たため、1回目の実験の分析結果は参考データになりました。

2回目のお風呂屋さんの湯の定量分析結果は、予見した通り時間の経過とともに窒素、有機物、塩素の量が増えていきました。午後7時に採取した湯が急激に汚れが進んだので、入浴していたお客さんの様子も考えて「体を使って働いている工場労働者が多かったのでは」と結論付けました。定量分析は深夜に及ぶこともあり、部員の家族が迎えに来ることもありました。その際、ラーメンの差し入れをしてくれる部員の祖父がおり、このラーメンの美味しかったことが記憶に残っています。

この分析結果は「公衆浴場の湯の汚れ方」として区内の中学校理科部の研究発表会で発表したところ、読売新聞が都内版で掲載してくれました。タケちゃんの名前が初めて新聞に載った日です。でも、母がアルバムに貼ったスクラップ記事を見ると、中学校名も発表者(私もその一人)4人の名前の1人が間違っていました。悪いことをしないで新聞に載ることは少ないので、うれしかったことは覚えていましたが、正確さが一番という新聞記事に、こんなに誤りが多いことを知った日でもありました。

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