コンピューターが普及する数十年前から、コンピューターに着目し、独自の学習に取り組み、経理システムを開発した新聞社の元常務取締役のMさんが肺がんで5年間の闘病生活の末、亡くなりました。74歳でした。
Mさんは高校を卒業してすぐ新聞社に入社。経理課員として勤める傍ら、コンピューターに注目、独自に勉強を重ね、システムづくりができるまで技術を高めました。会社でこうした取り組みに励んだ結果、帰宅はいつも最終電車だったといいます。
経理部長、経理局長を務めたあと、取締役、常務取締役に起用されました。退職後も顧問として経理システムの更新などに力を尽くしたそうです。
Mさんに肺がんが見つかったのは69歳の時。切除手術で取り除いたのですが、今度は切除が困難なところに肺がんが発症し、「余命半年」の診断が出ました。
妻とは知り合ったその日にお互いが一目ぼれ、翌日、結婚の約束をしたおしどり夫婦です。肺がんになったことは妻だけに知らせ、二人の子ども、親類、友人にも告げませんでした。私が見事な終活と感じた、妻との5年の歩みは次回に。