団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

「南海トラフ地震は100年に1回起きています」

2024-03-12 09:15:33 | ニュース

NHKラジオの明日へのことば「正しい知識が命を救う~地震のメカニズム」で鎌田浩毅・京都大名誉教授(地球科学)は「南海トラフ地震は100年に1回は起きている」といいます。次の地震は2035年±5年で発生すると予測します。

鎌田さんによると、南海トラフ地震は1707年の宝永地震、1854年の安政南海地震、1946年の昭和南海地震とほぼ100年置きに発生しています。南海トラフ地震は海からのプレートが陸のプレートに沈み込み、陸側のプレートのひずみがたまってはじけたときに起こります。

震源地は静岡県沖、愛知県沖、高知県沖の三カ所で、次の地震は宝永地震と同じ三か所同時発生となると予測しています。

その根拠となるのが、高知県・室津港の地震の隆起量です。地震のエネルギー量を海岸の隆起量で測るそうです。地震が大きければ隆起する高さが大きい、さらにプレートの沈み込みで地盤が沈んでいきます。前の地震で隆起した分と同じくらい沈めば次の地震が起こると予測します。

どれだけ隆起したかという100年以上前のデータはないのですが、唯一高知県の室戸岬にある室津港に土佐藩の港番が記録していた古文書があったのです。それによると、宝永地震では1.8メートル、安政南海地震では1.2メートルの隆起があり、昭和南海地震では1.15メートルでした。それらをもとにはじいた次の地震の予測値が2035年±5年です。

だが、東京新聞記者の小沢慧一さんが書いた「南海トラフ地震の真実」(第71回菊池寛賞受賞)によると、室津港は人工的に何度も掘り下げ工事が繰り返されており、隆起の高さを測定するには合理的なところではありません。しかも、この測定方法で地震を予知しているのは南海トラフ地震だけといいます。小沢さんは南海トラフ地震の予測について「百害あって一利なしです。各地域にどんなリスクがあるのかを伝えるべきです」と話しています。

 

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南海トラフ地震で最大の津波34メートル

2024-03-11 09:26:20 | ニュース

9日午前4時過ぎに目覚め、眠れなかったのでNHKラジオ深夜便の「明日へのことば」を聞きました。鎌田浩毅・京都大名誉教授(地球科学)が「正しい知識が命を救う~地震のメカニズム」(再放送)と題して話していました。

南海トラフ地震について2035年±5年に起こるといい「最大34メートル、11階建てのビルの高さの津波が押し寄せてきます」と話しました。

「34メートルの津波? 地震対策がまったく違ってしまうではないか」と思いました。というのは、南海トラフ地震でも自宅(マンションの4楷)がある大阪市内は10メートル以内と受け止めていたので地震が発生したら自宅に避難と考えていました。4階は12メートはあるので津波は避けられると判断していたのです。

さっそく調べました。内閣府が平成24年8月に発表した「南海トラフ地震の震度分布、津波高、浸水域被害想定等の推計結果」をみると、マグネチュード9.1の地震で津波の最大高さは高知県34メートル、静岡県33メートル、和歌山県20メートル、大阪府5メートルとあります。

高知県や静岡県などの人たちには申し訳ありませんが、大阪府5メートルでこれまで通りの地震対策でよいのだとほっとしました。

その日、昼食を摂りながら家族と南海トラフ地震の対策について話すと、準備がよい娘が「100回分の簡易トイレ、地震グッズ2セットなどを購入しています」といいます。こちらもちょっと安心です。

地震の予知はできないとされるのに、南海トラフ地震だけが2035年±5年に起こるとされる鎌田さんの説明については次回に。

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報道写真で活躍する後輩のカメラマンたち

2012-08-10 10:20:40 | ニュース

大阪・梅田のハービスホールで16日まで開かれている「世界報道写真展2012」を見てきました。東日本大震災、アラブの春、ノルウェー郊外のウトヤ島の無差別大量殺人など2011年に世界各地で起こった事件、事故、政治運動、災害のほか、自然、スポーツに入賞した62点が展示されています。うち、11点が東日本大震災を撮った写真でした。

東日本大震災の写真の中では「ニュースの中の人々の部」で組み写真1位に選ばれた千葉康由さん(AFP通信社)、「一般ニュースの部」で単写真3位に決まった恒成利幸さん(朝日新聞社写真部員)の写真を、とりわけ感慨深く見つめてきました。千葉さんの写真は、宮城県東松島市で、がれきの中から見つけ出した娘の中学校の卒業証書を掲げて見せる若い母親を写したものでした。半ば泥に埋まった自分たちの家屋の中で、父母、娘二人が思い出の品を探していました。母はタンスを見つけて、中にあった娘の卒業証書を両手に持って「あんたの卒業証書があったよ」と叫んでいました。

恒成さんの写真は、宮城県名取市で、がれきの山の中で道路に座り込んで涙を流している若い女性を撮った作品でした。恒成さんは「申し訳ない」という気持ちでシャッターを切ったといいます。だが、取材中、多くの人たちから「私たちのことを伝えて」と頼まれました。今回の写真展を通じて世界の人たちに被災者の声を伝えることができたのではないか、と思っているそうです。

千葉さんは元朝日新聞社写真部員で、退社後、フリーカメラマンを経てAFP通信社のカメラマンとして世界を飛び回っています。恒成さんはラグビー愛好家で、受賞作品のように被写体になる人の気持ちに配慮したうえで、最前線でカメラを向けるタイプです。二人と一緒に仕事をしたことがある私にとって、後輩のカメラマンの活躍を見る機会はうれしいものです。若い人たちはどんどん伸びていきます。まさに「後生恐るべし」です。

91歳の父の世話をするため、11日から15日まで、東京の実家に帰ります。掃除、洗たく、料理、マッサージをしてきます。ブログはしばらく休みとさせてもらいます。

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