団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

「連合赤軍女性兵士の日記」を読んで

2022-03-14 14:24:57 | 社会・経済

あさま山荘事件から50年ということで、連合赤軍を取り上げた記事がネットにあふれています。そんな記事を見ていたら、私が一度だけ会ったことがあり、その後、連合赤軍に参加し、リンチ殺人で亡くなった女性が書いた手記が「優しさをください 連合赤軍女性兵士の日記」(大槻節子著、彩流社、1998年5月新装版)として発刊されていることを知りました。

図書館から借りて読みました。大槻さんは1948年2月生まれ。66年4月に横浜国大教育学部に入学しました。私と同じ経済学部の同級生の男子が彼女と一時交際していたことがあり、キャンパスで紹介されました。小柄で目の大きい、かわいい女性という印象があります。

当時は世界的に学生運動が活発でした。アメリカではベトナム反戦運動、フランスではカルチェラタンを中心とする「五月革命」、中国では文化大革命が起こりました。大学では、教授が「原潜が来ようとしているのに、授業をのんびり受けていてよいのか」と呼びかけました。ノンポリの私が初めて参加したのは、横須賀港への米国原潜寄港反対デモでした。

学生運動に参加しないことに気後れする雰囲気がキャンパスにはありました。「日記」を読むと、彼女は反帝平和戦線から京浜安保共闘、革命左派に移り、連合赤軍に参加していました。71年12月、運動の先行きを心配した知人が「家に帰るよう」求めましたが、彼女は「仲間を裏切ることはできない」と言って、アジトの山に行き、約1週間後に亡くなりました。23歳でした。

彼女の恋人も70年12月18日の上赤塚交番襲撃事件で負傷逮捕されました。この事件で警官に射殺された柴野春彦さん(当時24歳)も面識がありました。

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