水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

四方山(よもやま)ユーモア短編集 (98)一人(ひとり)と大勢(おおぜい)

2021年12月04日 00時00分00秒 | #小説

 九十八話では、一人(ひとり)と大勢(おおぜい)の違いを考えてみようと、思わなくてもいいのに思うことにした。^^
 一人は、言うまでもなく他人数ではないから、自分だけの意思で行動することが出来る。逆に言えば、他人を自分の意思で行動させられない訳だ。動かすには、それなりの決定力や権限を持つ必要がある。総理とか社長とか司令官とか、そういった地位が決定力、権限をなった人に与える訳だ。ただ、大勢に対して、果たす責任は自ずと生じる。ミスれば解任されるだろう。
 とある中央省庁の大臣室である。審議官、参事官といった大臣官房の中枢を握る数人が応接セットで大臣とともに話している。
「どうなのかね?」
「なにがですっ?」
「ほら、アレだよアレっ!」
「ああ、アレですか…。アレは大勢には財源的に無理だろう・・という結論となっておりますが…」
「そうか…。国民全部だからなぁ~」
「はあ、まあ…」
「私、一人だけ返上・・と言ってもなぁ~」
 大臣官房の中枢を握る数人は、『当たり前だろっ!』とは思ったが、次期の事務官ポストのこともあり、とてもそんなことは言えず、お互いを牽制(けんせい)しながら笑って暈(ぼか)した。
 一人の場合は、大勢に対してやはり権威が必要・・という結論に至る。権威があれば、馬鹿なことを言ってもやっても作っても、馬鹿でなくなる訳である。中央省庁の方々に対し、苦言を呈したつもりは毛頭ないので、誤解なきようお願いを致します。^^ ということで、一人と大勢を考察する四方山話を終わります。^^

                   完


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