水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

怪奇ユーモア百選 21] 昨日(きのう)来た道

2016年03月27日 00時00分00秒 | #小説

 伊崎は久しぶりのドライブで気分よく走っていた。一度も来たことがない無目的の場所を、何の計画もなく、そのときばったりで車を走らせるのが伊崎の楽しみだった。
 この日は生憎(あいにく)、夏の猛暑が朝から各地を襲う最悪の状況だったが、伊崎の気分は車を走らせるだけで高揚(こうよう)していた。
 馬場野(ばんばの)という広大な原野の高速道の途中、伊崎は急に腹が空(す)いてきた。どこぞで車を止めようと辺(あた)りを窺(うかが)っていると、左前方に立った電信柱の上に[馬糞(うまぐそ)S.A→1Km]と書かれた標識が見えた。伊崎は見ただけで一瞬、ウッ! と食欲が失(う)せ、躊躇(ためら)ったが、それでも空腹は我慢できず、そのサービスエリアで車を止めることにした。しばらく車を走らせていると、その馬糞S.Aが見えたので、伊崎は車を止めた。食堂や売店で、適当に腹を満せて寛(くつろ)ぎ、伊崎はようやく人心地ついた。少し減っていたガソリンも給油し、万全の状態で伊崎はふたたび車を走らせ始めた。
 馬場野を越え、腕を見るとすでに5時近くになっていた。夏場のことでもあり、日射(ひざ)しはまだ高かったが、それでも時間からすれば、そろそろ今夜の宿を探さねばならなかった。幸い、鹿宿という近辺の町で宿を確保でき、伊崎は翌朝を迎えた。そして、また車の旅が順調に続くかに思えた。ところが、である。宿をチェック・アウトし、車をしばらく走らせていると、伊崎は、おやっ? と奇妙に思え、思わずアクセルの踏み込みを緩(ゆる)めていた。前方に流れる景観は、確かに昨日(きのう)見た景観だった。初めのうちは、ははは・・そんな馬鹿なことはない…と車を走らせていた伊崎だったが、前方を流れる景観が昨日とまったく同じだと気づき始めると、顔面蒼白(がんめんそうはく)となった。だが、まだ気持では信じていなかった。そのまま車を走らせていると、左前方に立った電信柱の上に[馬糞S.A→1Km]と書かれた標識が見えた。間違いなく、昨日、来た道だった。伊崎はともかく車をサービスエリアの駐車場に止めた。そして、車の中でしばらく冷静に考えることにした。そして、伊崎が得た結論は、ただ一つだった。現代科学で考えれば、今日の展開は有り得ないのだ。あるとすればただ一つ、それは、伊崎が道を間違え、元来た道に戻(もど)った…という以外になかった。要は、ぐるりと一周して元来た道に出た・・ということである。それなら辻褄(つじつま)が合うのだ。な~んだ、そうか…と伊崎は得心し、食堂や売店で、適当に腹を満せて寛ぐと、また車を発進させた。昨日と違うのは時間のずれ[タイム・ラグ]があるということだった。腕を見ると、まだ昼過ぎだった。当然、まだまだ走れたから、宿を取る必要はなかった。気分よく伊崎は車を走らせた。ところが、である。行けども行けども車は一向に前へ進んでいる兆(きざ)しがなかった。いや、確かに車は前方へかなりの速度で走っていた。だが、行けども行けども景色が変わらなかった。そして、そうこうするうちに腕を見ると、5時近くになっていた。あとは昨日の繰り返しだった。
「あのう…私はどうなったんでしょうね?」
「はっ? いや、私には分かりません」
 昨日、泊った鹿宿の番頭に訊(たず)ねると、番頭はニヤリ? と笑った。
 あとから分かった話では、時折りこの地方では、馬や鹿が化かすんだそうである。狐狸(こり)ではなく馬や鹿が化かす馬鹿な話だった。

                  完


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