いい湯加減だ…とばかりに、村中は浴槽で目を閉じた。こうなれば、自(おの)ずと出てくるのが鼻唄(はなうた)である。
「♪ハァ~~お湯の山にぃもぉ コリャ 花が咲くよぉチョイナチョイナァ~♪ と…」
言わずと知れた草津節の一節である。まあ、村中としてはどんな唄でもよかったのだが、なんとなく出た一節(ひとふし)だった。
浴室を出ると、今朝、収穫したトマトが冷蔵庫で十分に冷えて村中を待ち構えていた。村中は、軽い塩でこれを風呂上りに食べるのを楽しみにしていた。そこへ冷えたピールをグイッ! とやれば、これはもう、極楽の蓮(ハス)の上の観音さまになったような心地だった。
「おい、トマトは?」
「出てるわよ…」
妻の美麗(ミレ)は料理が上手(うま)く、菜園で採れたほとんどの食材は調理したが、トマトだけはサラダ以外、手をつけなかった。村中が専門に食すからである。
村中がキッチンテーブルへ座ると、美麗が言ったように、食塩の小皿とトマトのスライスが皿に盛られて出ていた。その横には、どうぞ! とばかりの冷えた生ピールがジョッキで泡(あわ)を昇らせていた。いつものとおりだ…と村中は、さも当り前のようにグビッ! とジョッキのビールを喉(のど)に流し込むと塩を少し摘んでトマトへパラパラ…っとかけ、フォークでガブリ! とひと口いった。えも言われぬ満足感がヒタヒタと村中を包み込んだ。そのときだった。
『♪ハァ~♪』
どこからともなく、聞いたことがない唄声が村中の耳に届(とど)いた。
「おい! 今、なにか言ったか」
「いいえ、どうかした?」
料理を作る美麗が振り向いた。
「いや、なんでもない。ははは…そんな馬鹿な話はないよな、ないない!」
村中は、そう言いながら、グビッ! と一杯やると、トマトにガブリ! と食らいついた。そのとき、また村中の耳に唄声が聞こえた。
『♪はぁ~ わたしゃ食べられ 満足満足 ぁぁぁ~ 満足さぁ~ トマト小唄でシャンシャンシャン~♪ お粗末! トマト小唄でした…』
「ギャア~~!!」
村中はゾクッ! とする寒気(さむけ)を覚え、思わず叫んでいた。村中がトマトの小皿になにげなく目を落したとき見たもの、それは目鼻がついたトマトの化けものだった。
「どうしたのっ!」
美麗がテーブルを見たとき、そこに村中の姿はなかった。村中は寝室で毛布を頭から被(かむ)りながら、完全なトマトの形で震えていた。
完