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ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

新春早々に告別式

2019-01-08 00:58:19 | 葬式

1月7日(月曜日)

三男の嫁の父が4日に亡くなり、昨日が通夜で今日が告別式です。めでたいお正月と重なるかもと思っていましたが、それを避けるかのように亡くなりました。享年80歳は男性の平均寿命の少し手前。告別式は11時半から大阪豊中市の葬儀場「玉泉院」で行われます。親族は式の1時間前には行かねばと、9時に出発しました。7日は仕事初めの会社が多くて道が混み、所要時間は1時間半ほど見ていました。所がどこも渋滞が無く、す~いすい。ナビの指示通り走れば10時に到着。早く着き過ぎたようで、しばらくカーテレビで時間を費やします。ボチボチ式場に入りましょ。10時20分ですが、受付の方はまだ着席しておりません。控室の看板が目に入り、行けば入り口で嫁の母親とバッタリ。お悔みの挨拶をし、中に入れば孫の晴太や三男の嫁の妹夫婦、子どもがおります。通夜の夜はこの部屋で、皆さんが過ごしたようです。若嫁と孫はコンビニに買い物に行きおりません。コーヒーをいただいていると帰って来ました。やがて親類の皆さんが顔を出します。天草からも親族がお見えになっています。帰省のUターンと重なり、さぞかし切符を取るのが大変だったことでしょう。10時過ぎから親族の集合写真を撮り終えれば、告別式が始まりました。

家族葬ですが、参列者は親族と、母親の踊り(花柳流)の師匠仲間のようです。読経、焼香、お悔み電報と淡々と進み、30分で式は終わりました。後はつらい故人とのお別れです。白装束の上から一張羅の背広、ネクタイが。個人はなかなかのオシャレなお方でした。皆さん故人の周りを花で飾ります。最愛の奥さんが最後の声を掛けると、周りも自然と涙が流れます。12時半に出棺です。

霊柩車はクラクションを鳴らし、豊中斎場へ。私はこれを見送り、妻の入院している病院に、 「持って来て!」と依頼されているジャンパーを持ち行きました。病室に入ると、「本日のリハビリ1時40分~」の紙が有ります。時計を見れば1時42分。リハビリ時間は1時間掛かります。高校ラグビー決勝戦を観て待とうとテレビを点けると、2時からと判明ました。4階のリハビリ室は、まだ見たことが無いので初めて行きました。ここには60名もの療法士がおられます。どこでリハビリしているかな? 室内に入る分けにもいかず諦めて病院を後にしました。本日は朝早くからツ・カ・レ・タ・・・。

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50日祭

2017-06-10 00:45:01 | 葬式

6月9日(金曜日)
今日は4月下旬に亡くなった、親類のオジサンの50日祭でした。仏教で言えば49日に当たります。
10時から亡くなったオジサンの家で法要が始まり、その後、納骨で墓に移動しました。
今日は昨日と一転して気温31度と、真夏を思わせる暑さです。坊主頭に容赦なく太陽が降り注ぎます。
正に頭が焼ける!
法要は1時間ほどで終わり、仕上げ膳は車で10分の寺田「だいや」でした。

故人の兄弟で、生存している方は一人です。どなたも独身だったので、子どもも孫はおりません。
従って、参列者は6人だけでした。
ビールを飲んだ者は私一人。美味しい料理を腹一杯いただきました。

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親類の葬儀

2017-04-23 23:52:58 | 葬式

4月23日(日曜日)
親類の方が亡くなり、22日は通夜、23日は告別式でした。
隣組の方の葬式であれば、何かと忙しいのですが、親族の席に座って会葬者にお礼のお辞儀をするだけです。

お亡くなりになった方は享年82歳。兄弟姉妹5人の内で生きているのは、弟さん79歳だけです。お二人とも独身なので、親族と言っても数えるほどしかおりません。
故人は、京都市内で元中学校の教師。退職後は梅の研究をして、30数種類の梅を育ていました。観梅の季節になれば、観梅客の皆さんにあれこれ説明していた姿が思い出されます。広大な田んぼ、畑を所有し、兄弟で手を取り合って頑張っていました。これを弟さんが一人でやるのは不可能です。近所の梅畑も、主が亡くなり放置された畑が多々あります。売れたらいいのですが・・・。

通常の葬式であれば、最後のお別れで棺の中へお花を入れる時 ”すすり泣き”の声が聞こえてきます。しかしながら、奥さん、兄姉妹がいないので、すすり泣きが聞こえず、誰も涙を流すお方はおりません。静かな出棺でした。葬儀場の方が、「出棺のとき、男性の方は霊柩車まで皆さんで運んでください」と言い、私と叔父を名指します。「叔父は85歳を超えているので無理」と葬儀場の方に告げ、私一人だけ。8人の内7人が葬儀場の男性でした。親類の他の男性は遺影を持ったり、位牌を持ったりと手の空いている方はおりませんでした。こんな光景は珍しいのでは。
1時過ぎに出棺し、宇治市の斎場へ。3時半には”骨上げ”し、引き続き10日祭(仏教で言う初七日)が執り行われました。その後、仕上げ膳をいただきます。

6時前に無事終わりやれやれ。連れ合いも子どももいない葬式は、寂しいの極みでした。
残された弟さんは、今回の葬式は本当に大変だったと察します。何もかも一人でやらねばなりません。無事葬儀を終え、ほっとした気持ちと独りぼっちになった気持ちと複雑な気分かな。

土曜は花見の飲み会、日曜は円山公園でのライブは参加出来ず残念でした。
でも、阪神タイガースが巨人に2対1で勝ったと知り ”ヨシ!”としましょう。

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冨男さんを見送る

2017-04-01 22:59:47 | 葬式

4月1日(土曜日)

隣組の方が亡くなり、昨日は通夜、今日は告別式と二日間お手伝いでした。お手伝いは「受付」「粗供養の渡し」の二つです。○○さんはこちらの受付、○○さんはあちらの受付、○○さんは粗供養の渡しと隣組長の私が指図します。私は受付。少し前までは受付の仕事は大変でしたが、近頃は随分と楽になりました。香典帳に名前、金額の記入はまったくしません。参列された方がカードに名前、住所を書き香典を添えて受付に渡してくれます。カードと香典に通し番号をふり、カードは参列者名簿のバインダーに綴じ、香典は箱に順番に並べ、それで完了! 

告別式は1時から始まり、出棺は2時過ぎでした。

最後に喪主の奥さんが、参列者の皆さんにお礼の挨拶をします。故人は山登り、スキーが趣味だったと初めて知りました。 「共働きの時は家事、洗濯をやってくれ助けてくれました」は、見聞きして知っていました。洗濯物を干すのは、我が家の畑の柵に物干しを設置し、そこに今も昔も干しています。数年前まで、亡くなった旦那さんが干していました。男性が人目のつく通路で、女性下着を干す姿を初めて見れば、ビックリすることでしょうね。日常の光景になれば、何とも思わなくなるから不思議です。話を聞いていると、自然に涙があふれて来ます。一日おきの透析を8年間は、さぞかし辛かったことでしょう。霊柩車を見送り、一旦帰宅しました。隣組の皆さんは、夕方からの初七日に参列し、仕上げ膳をいただきました。

今月誕生日を迎える、堀井冨男さん享年79歳。安らかにお眠り下さい。

合掌

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