今さっき、大好きなこの曲を聴いていて、なんで好きなんだろう?とふと思いました。
歌詞の内容としては
「僕」が素敵なものを拾った→でも隣の人のほうがそれが必要そうだった→また探していればもっといいものがあるだろうと、それをあげた→喜ばれた→また別のものをひろったけど、同じように人にあげた→これの繰り返し→結局そのまま、最後は自分はなにもないまま→しかし、あげた人たちの幸せそうな笑顔を見て「これが僕が一番欲しかったものだ」と気づく。
ミもフタもありませんねこんな書き方じゃ!(どうにかならんのか)
しかし、まあ、こんな感じです。歌詞を見ながら思ったのは、「素敵なもの」とは一体なんだったのか?ということ。
あげた人たちが、幸せになるもの。
最初は漠然と、「愛」とか?と考えていたのですが、それじゃあ「僕」が「拾った」っていうのは…比喩だとしてもおかしくないかと。「愛」って落ちてるのか?やっぱり与えたり、与えられたりするものでは?そもそもあげて減るもんじゃない…「最後にはなにも見つけられないまま」というのは変じゃないかなあ?と。
あ、でも「拾う」っていうのはめっちゃ比喩なのかもしれないですよね。大体、最後の最後に「僕はとうとう拾うことができた」って言ってるし。そこにあることに気づく=拾う、なのかしら。
「愛」じゃないとすれば…なにか、物だったんでしょうか?極端な話、お金とか。
隣の人は自分よりそれを必要としていることがわかった…ということは、その人が面と向かって頼んできたわけじゃない?それください、おねがいですから、とかは言われなかった。「僕」も、惜しいとは思った。やっと見つけたものだから。でも自分は「もっと素敵なもの」が見つかるだろうと、あげた。探していれば、見つかるさと。
「今の僕以上に」……隣の人が今、必要とするもの…。「僕」が今、必要としないもの。実際、「僕」にとって「本当に必要なものではない」から、手放せた?
これだと、お金、品物、どちらも、いける気がする。だけど、なんかがめつい感じがしちゃうなあ(笑)(性格出るね!)。なんか他に…あ、「チャンス」とかも?
この「僕」って人間じゃないのかも、とかまで思い出したり。天使とか。そういう。うーんでも、この「僕」は一応探すのには一生懸命みたいだし…。
わざわざ「素敵なもの」と言ってぼかしてるところにつっこみすぎるのもなんですので、まとめへ。
色々考えて、ポイントはやはり、
・自分が余裕が出たときに、困っている人に気づくことができるか。
・他人に何かをしてあげることができるか。
・「情けは人のためならず」(=自分のためである)
というところじゃないかと思いました。
この「僕」は見事3つともクリアということですが。やっぱり人間じゃないのかも。人間だとしたら、これは悟りの境地じゃないかな。
自分になにが必要で、なにが必要でないか、ちゃんと理解して行動できるか。
たとえば隣の人が借金かかえて困ってるからといって、かわりにかかえて自分が窮地に、というのは間違った解決法で、…ならどうしてあげるのがいいのか。
今の私は、とうていできそうもありません。
欲しいものばかり、そして隣を見る余裕なんぞ今は1ミリもなく、きっと隣の人が泣いてても気づかない。
そして、最後に振り返ったら本気で一人…とかね、…あ、今、そんな未来が見えた!イーーーヤアーーーーー!!
どんなに物を手に入れても、大切のものをなくしていったら、結局最後には幸せだとは思えないはず。
欲しいものってなんだい?それを見つけられるかい?
今、大事なものはなんだい?隣の人が見えてるかい?
ああ、そういう意味、なのかも…
そういう歌。うん、うちの中で納得したので、これでよし。
そして、そういう風に考えれる人に、少しでも近づきたい。
…と、今、思ったことを、この歌を聴くたびに、思い出すこととしよう。