夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

シニアの利用に適したスマートフォンと料金プランの選び方、時代遅れの私は学び・・。

2023-09-15 13:27:22 | 喜寿の頃からの思い
先程、ヤフージャパンより配信された記事を見ている中で、

◆シニア(高齢者)がスマホを選ぶときのポイント

▼1. できる限り周囲の人と同じものを選ぶ・・《略》

<picture><source srcset="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20230914-00071856-nallabout-002-1-view.jpg?exp=10800&fmt=webp" type="image/webp" /><source srcset="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20230914-00071856-nallabout-002-1-view.jpg?exp=10800" type="image/jpeg" /></picture>

シニア向けスマートフォンは、特に設定をすることなく大きなアイコンや文字で利用できる。
購入したショップで使い方を教えてもらいやすいのもメリットだ

◆料金プランは「大手3社」のサブブランドが狙い目

▼「折り畳み型の携帯電話」を利用している人の選び方・・(略)

▼すでにスマートフォンを使っている人の選び方・・(略)

◆シニア(高齢者)におすすめのスマートフォン4選

▼2. あんしんスマホ【NTTドコモ】・・(略)

▼3. BASIO active【au/UQ mobile】・・(略)

◆シニア(高齢者)におすすめの料金プラン3選

▼1. 「irumo」3GBプラン【NTTドコモ】

▼2. 「ミニミニプラン」【UQ mobile】

▼3. 「シンプルS」【ワイモバイル】

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。





今の私の生活にはスマホは必要ではないが、
何らかの形でスマホに入門した時、熱中型の私は、女子中学・高校生に負けないくらい、
睡眠時間を削って、初心者コースは習得するだろう・・と微笑んだりしている。

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「オフロード電動自転車」、最高時速50キロの恐怖、なぜ野放しなのか?、私も学び、動顛して・・。

2023-09-14 14:05:34 | 喜寿の頃からの思い
先程、ヤフージャパンより配信された記事を見ている中で、
『 最高時速50キロの恐怖…
     「オフロード電動自転車」はなぜ野放しなのか? 』、
と題された見出しを見たりした。


最高時速50キロの恐怖…「オフロード電動自転車」はなぜ野放しなのか?|話題の焦点

最高時速50キロの恐怖…「オフロード電動自転車」はなぜ野放しなのか?|話題の焦点

 今月6日、東池袋の歩道で、23歳無職の女が運転する電動キックボードが60代女性に衝突。肋骨が折れる大ケガを負わせ...

日刊ゲンダイDIGITAL

 

 

「オフロード電動自転車」に関して、私は初めて知り、
街中で走行した時、驚きながら記事を読みながら、
やがて震撼させられたりした。

多くの御方と共有致したく、記事の殆どを転載させて頂く。



《・・
7月1日の改正道交法の施行以来、
運転免許不要の手軽さと貸し出し台数の急増で、移動手段として急速に普及。

だが、飲酒運転による事故多発など、利用者のモラルの低さで都内は“無法地帯”に──。
その電動キックボード以上に「怖い」、「どうにかしてほしい」という声があがっているのが、
オフロードの電動自転車だ。


「横断歩道を渡ろうとしたとき、バイクのような大きな車体が突っ込んできて、
危うくぶつかりそうになりました。
おそらく20キロ以上は出ていたと思いますが、あれがバイクでないのには、驚きました」(50代男性)


「西新宿付近を自転車で走っているとき、
ペダルをこがずに、ものすごいスピードで疾走するオラオラ系のお兄さんのイカツイ電動自転車に
追い抜かれました。
フル電動は、原付扱いのはずなのに、ナンバーはありませんでした」(20代女性)



■ナンバーなし、無免許で爆走

最近、若者の間で流行している太いタイヤをはいたオフロード電動自転車を、
出前の配達員などが運転する姿が、多数目撃されている。
多くは子供を乗せる電動アシストのママチャリ同様、自転車扱いになっているが……。


「ペダルはついていますが、手元のアクセルで自走できるので、実際は原付バイクです。
無免許、ナンバー、保険なしで野放しにされているのが、理解できません。
車体も大きいことから、衝突時のエネルギーは、ものすごいはず。
死亡事故が起こらない限り、警察は取り締まらないのでしょう」(自動車評論家・国沢光宏氏)


道交法で、最高時速が24キロまでに制限されている電動自転車だが、
1000~1200ワットのモーター搭載のオフロード電動自転車は、
最高時速が45~50キロまで設定可能。
20万~30万円台の価格も性能も、バイク並みなのだ。


日本で速度制限のリミッター解除品を自転車として販売できないはずだが、
ナンバーなしの爆走バイクが街中を跋扈している状況だ。
大惨事が起こってからでは遅いだろう。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、若者の間で流行している太いタイヤをはいたオフロード電動自転車、
私も初めて学び、やがて動顛したりした・・。

そして「電動キックボード」、今回の「オフロード電動自転車」に伴う法改正、
《・・「ペダルはついていますが、手元のアクセルで自走できるので、実際は原付バイクです。

無免許、ナンバー、保険なしで野放しにされているのが、理解できません。
車体も大きいことから、衝突時のエネルギーは、ものすごいはず。
死亡事故が起こらない限り、警察は取り締まらないのでしょう」(自動車評論家・国沢光宏氏)
・・》、

道交法で、最高時速が24キロまでに制限されている電動自転車だが、
1000~1200ワットのモーター搭載のオフロード電動自転車は、
最高時速が45~50キロまで設定可能・・》、

都市部の街中の道路の利用は、無免許などは無理難題であり、
どうして改正したのか、私は理解できないでいる・・。

最低限、道路を走行する時には、標識、信号など最低限の義務があるので、
バイクで排気量50㏄以下の原付免許に相当する免許証が必要と思われ、
うわべの利便性より、安全第一で利用して頂きたい、と私は思い深めている。

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電動キックボードひき逃げで、60代女性が骨折の大ケガ、私は学び、震撼させられて・・。

2023-09-13 15:51:32 | 喜寿の頃からの思い
先程、ヤフージャパンより配信された記事を見ている中で、

☆「当たってはいない」容疑を否認して

☆現場をレポートするSNSユーザーも現れて

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回の電動キックボードひき逃げで、60代女性が骨折の大ケガ、
私は学び、震撼させられたりした・・。

そして「電動キックボード」に伴う法改正、
《・・16歳以上であれば「免許は不要」、
時速6キロ以下であれば、「歩道の通行」(モード切り替え)が認められ、
ヘルメット着用も「任意(努力義務)」・・》、
都市部の街中の道路、歩道の利用は、無理難題であり、どうして改正したのか、
私は理解できないでいる・・。

最低限、道路を走行する時には、標識、信号など最低限の義務があるので、
バイクで排気量50㏄以下の原付免許に相当する免許証が必要と思われ、
うわべの利便性より、安全第一で利用して頂きたい、と私は思い深めている。

尚、今の世の中は、現場をレポートするSNSユーザーも現れ、
逐次状況が報告され、78歳の私は驚いたりしている。

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高齢者にとっての「生きがい」とは何か?、78歳の私は、こっそりと学び・・。

2023-09-12 12:13:37 | 喜寿の頃からの思い
先程、ヤフージャパンより配信された記事を見ている中で、

好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と人生の信条している私は、

 

290人のシニアに聞いてみた、高齢者にとっての「生きがい」とは何か?(斉藤徹) - エキスパート - Yahoo!ニュース

290人のシニアに聞いてみた、高齢者にとっての「生きがい」とは何か?(斉藤徹) - エキスパート - Yahoo!ニュース

高齢者にとって「生きがい」とはいったい何でしょうか。一般に「生きがい」とは、「生きることの喜び・張り合い」「生きる価値」のことを指し、「生きがい」を持つことで、...

Yahoo!ニュース

 
今回、シニアマーケティングの専門家で、電通電通シニアラボ研究主幹の斎藤徹さんの寄稿文であり、
多々教示されたりした・・。
多くの御方と共有したく、あえて記事の要点を転記させて頂く。

《・・高齢者にとって「生きがい」とは、いったい何でしょうか。

一般に「生きがい」とは、「生きることの喜び・張り合い」、「生きる価値」のことを指し、
「生きがい」を持つことで、「生活の質(QOL)」が向上し、
認知機能や健康状態が改善するとも言われています。

若い頃であれば、仕事や趣味など、さまざまな事象に対して好奇心が生じ、
積極的に「生きがい」を見出せる機会も生まれてくるでしょう。

一方で仕事をリタイアし、社会的繋がりを次第に失っていく高齢者は、
どのような時に「生きがい」を感じているのでしょうか?

そこで、「今、あなたの「生きがい」は何ですか?
何をしている時、誰と会っている時、どのような時にあなたは、
「生きがい」を感じているでしょうか?」という設問を投げかけてみたところ、
290人の60歳以上の方々から回答をいただきました。

以下、回答をランキング形式で順番に説明していきたいと思います。


 

☆第10位●食事のとき

美味しいものを家族や孫と一緒にするときに、
生きているという実感やありがたさを感じることはあるでしょう。

こうした際の食事は、単なる食ではなく、
生きるための恵みを、ともに分かち合うという気持ちなのではないでしょうか。

 

☆第9位●日々、穏やかな生活をおくること

何か特別な生きがいを特に求めるのではなく、
日々穏やかな生活が送れれば、それで良い、という意見も一定数ありました。

 

☆第8位●旅行

シニアにとって旅行の存在は、日々の生活に彩りを与えてくれるもの。

それだけに、年に数回の旅行を楽しみにしている人も多いでしょう。
コロナが治まりつつ現在、旅行にいけることを楽しみにしているシニアも多いことでしょう。

☆第7位●スポーツをしている時 

近年、フットネスクラブなどへの高齢者の参加率は、高まる傾向にありますが、
運動習慣を持つことは健康にも良いですし、仲間とのコミュニケーションも高まり、
「生きがい」を感じる人も多いでしょう。




☆第6位●健康であること

「生きがい」を「健康であること」とお答えいただいた方もいらっしゃいました。

「日々健康であり続けることこそが、何かを行うことの起点になる」
と考えている方も多いのではないでしょうか。

☆第5位●孫との時間

やはり、というか、当然のことというか、「孫」はシニアにとって、
強力な「生きがい」のひとつです。

 

第4位●仕事をしている時 

高齢期になって、仕事をリタイアせざるを得ない人も多いですが、
自分で選んだ仕事を続けられていらっしゃる方もいます。
仕事が生きがい、天職だと答えられる方はある意味で幸せな方と言えるでしょう。

☆第3位●とくになし

すべてのシニアの人たちが、「生きがい」を感じて生活しているわけではありませんし、
また「生きがい」を求めているわけでもありません。
そもそも「生きがい」という言葉自体も、極めて抽象的でもあるので、
答えづらく感じた方もいらっしゃった方もあるかもしれません。


 

☆第2位●夫婦や子供、家族との時間 

第5位の「孫との時間」同様に、
夫婦や子供との時間を大切に感じている方も非常に多かったです。

☆第1位●趣味の時間 

「生きがい」を感じる時の第1位は、「趣味の時間」でした。

一口に趣味と言っても、その内容は幅広く、
中には「査読をしているとき」と答えられた方もおり、
こうなると、何が趣味の範疇に入るのかということもありますが、
ずっと続けられる、楽しく夢中になれるものがあることが、
高齢期の「生きがい」と密接につながっていることがわかります。

・「レコードやCDを聴く。本を読む。
 文化遺産や自然景観を堪能する。数学や物理を勉強する」(65歳・男性・愛知県)

・「趣味の絵を描いている時。
 没頭できるので、若い頃からの生きがいだと思います」(75歳・女性・大阪府)

・「親しい近場の仲間とサークル活動を通して、楽しく生活すること、
 退職した会社の現役社員やOBとたまに飲み会を開くこと、
 同じく学生時代の友人と定期的に合った食事をすること、
 そして時にはおいしい料理に舌鼓を打つこと等、
 楽しく、生きがいを持って日々生活していくこと」(72歳・男性・千葉県)

・「陶芸の同好会を主催しており、会の仲間と作陶したり
 会食したりするのが生きがいの一つになっている」(77歳・男性・東京都)

☆生きがいの3つのタイプ

このようにランキングを見てくると、
「生きがい」には、大きく3つのタイプがあることがわかります。

ひとつは、積極的に何かしら求めるのではなく、
「日常の一日一日を穏やかに過ごせる事こそが生きがいだ」というもので、
第10位:美味しい食事、第9位:日々、穏やかな生活をおくること、第6位:健康であることなどが、
それにあたるでしょう。

そして2番目は、「家族とのやりとりや交流が生きがい」というもので、
第5位:孫との時間、第2位:妻や子供、家族との時間、などがそれに該当します。

3番目は、「積極的に何かを行うことが生きがいにつながる」というもので、
第8位:旅行、第7位:スポーツをしている時、第4位:仕事をしている時、
第1位:趣味の時間などがそれにあたるでしょう。

 

こうした「生きがい」のタイプのどれが良い、悪いということは一概には言えませんが、
回答いただいた文面から感じたのは、
趣味やスポーツ、仕事など、積極的に何かに取り組んでいる人の方が、
「生きがい」の感じ方、熱量が総じて高いということでした。

将来、高齢期を迎える人にとって、
いつまでも続けられる趣味やスポーツを持つことの大切さを
感じさせてくれる結果となりました。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

こうした中、出向先は遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、働くことを断念して、
定年後は年金生活を始めたりした・・。


そして私たち夫婦は子供に恵まれず、たった二人だけの家庭で、
息子、娘もいなく、もとより孫もいないので、
こうした甘味な時を共にすることは、無念ながら知らない。。

そして4年半前に家内が大病に遭遇するまでは、
私たち夫婦の共通趣味は国内旅行だったので、各地を幾たびも遊学してきた。



この後、新コロナウィルスの烈風の自粛3年もある中、
私は午前中のひととき、自宅から3キロ範囲のある遊歩道、公園を散策する中、
瞬時に魅せられた情景を、ともすれば忘れることもあるので、
記憶のかたみ・・と思いながらデジカメで撮ったりしている。

こうした中の写真・・ブログの投稿文に於いて、文章の修業の甘い私は、
イラスト代わりに、補(おぎな)っている。

このように齢を重ねるたびに、独り遊びが上手になっている、
と微苦笑したりしている時もある。

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私の秘かに守り神は、石灯籠かしら、と思いながら、微苦笑して・・。

2023-09-11 13:40:24 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


そして近くに生家があり、私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。

こうした中、生家にある本は、農協の発刊する月刊誌の『家の光』ぐらい記憶にない。

やがて小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
居間にある書棚に本が並んでいたを見た時は、私は少年心でも、眩暈(めまい)を感じたりした。


                                   
こうした中で、私は1955年(昭和30年)の小学4年生の頃から、
独りで映画館に通ったりした映画少年であったが、
やがて都心の高校に入学した直後から、遅ればせながら授業は楽しく感じて、
読書の魅力にも取りつかれたりした。

こうした中、新潮文庫本、岩波文庫本を中核に読み、ときおり単行本を購読したのであるが、
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
心の深淵まで綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力に引きづり込まれた。

こうした高校生活を過ごしたりし、映画は相変わらず映画館に通い鑑賞し、
映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、付随しているシナリオを読んだりしていた。

こうした中で、脚本家の橋本忍さんの『切腹』を脚色された作品
(原作・滝口康彦、監督・小林正樹、1962年)を観て、圧倒的に感銘させられ、
やがて東京オリンピックが開催された大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。

                                                           

やがて専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、数多くの作品を映画館で鑑賞しながら、シナリオの習作をした。

その後、養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を食べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。

この当時の私は、中央公論社から確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいの文学全集を読んでいたが
その後に講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた全22巻の文学全集を精読したりした。
こうした中で、純文学の月刊誌の『新潮』、『文學界』、『群像』を愛読していた。

或いは中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしていた。

やがて私は契約社員の警備員などをしながら、生活費の確保と空き時間を活用して、
文学青年のような真似事をして、この間、純文学の新人賞にめざして、習作していた。
                      
しかし大学時代の同期の多くは、大学を卒業して、社会人として羽ばたいて活躍を始めているらしく、
世の中をまぶしくも感じながら、劣等感を秘めて私の方からは連絡も避けていた。

そして私はこの世から取り残されている、と思いながら、
明日の見えない生活をしながら、苦悶したりしていた。

こうした中で確固たる根拠もなかったが、独創性はあると思いながら小説の習作したりし、
純文学の新人コンクールに応募したりしたが、当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、
こうしたことを三回ばかり繰り返し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

こうした時、私の実家で、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤された。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向を決意した。

             
                                              

そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
          
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

こうした中、出向先は遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。




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健康で長生きするためのオススメ食事法、78歳の私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2023-09-10 14:24:29 | 喜寿の頃からの思い
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「女心と秋の空」と「男心と秋の空」、元々の意味・語源や由来、78歳の私は学べば・・。

2023-09-09 13:29:25 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【All About】を見ている中で、

秋の空のことわざといえば「女心と秋の空」?「男心と秋の空」?

秋の空 ことわざ 女心と秋の空 男心と秋の空 女心は秋の空 語源 意味 由来

秋の空のことわざといえば、「女心と秋の空」?「男心と秋の空」

突然ですが、問題です。
変わりやすい秋の天気と移り気な心模様を重ねたことわざといえば、何でしょう?

A:「男心と秋の空」
B:「女心と秋の空」

実は、どちらも正解です。しかし、そのニュアンスが微妙に違うから面白いですよ。
 

なぜ「秋の空」は移り気なの?

秋の空 ことわざ 女心と秋の空 男心と秋の空

移り気な秋の天気。秋晴れも長くは続かず・・・「○心と秋の空」

そもそも、どうして「男心と秋の空」「女心と秋の空」という風にいうのでしょう?

秋の空は、空気も澄んでおり、すがすがしい青空が広がります。

抜けるような青空を「秋晴れ」といったり、「天高く馬肥ゆる秋」といったりしますが、
これは、夏は太平洋高気圧で湿った空気中の水蒸気に、光が乱反射して白っぽく見えるのに対し、
秋は移動性高気圧の乾いた空気のために澄み渡り、いつもより上空の雲までよく見えるからです。

だから、秋の月が美しく見え、お月見にも最適な時季なんですね。


ところが、低気圧と高気圧が日本の上空を交互に通るため、
お天気が変わりやすいのもこの時季の特徴で、
これを変わりやすい人の心になぞらえ、「男心と秋の空」「女心と秋の空」というようになりました。

ことわざ「男心と秋の空」ができた理由

秋の空 意味 もともとは「男心と秋の空」 

移り気なのは、どっち? もともとは「男心と秋の空」です


もともとは「男心と秋の空」です。
男性の変わりやすい心を例えていますが、
主に女性に対する愛情が変わりやすいことをさしています。


「男心と秋の空」のことわざができたのは、江戸時代。
当時は既婚女性の浮気は、命を落とすほどの重罪でしたが、
既婚男性の浮気には、寛大だったこともあり、移り気なのはもっぱら男性だったのです。

また、若い娘に男性を警戒するよう戒めたり、
ふられた際の未練を断ち切る慰めにも使われました。

江戸時代の俳人・小林一茶は、
「はづかしや おれが心と 秋の空」という俳句を詠んでいます。


それ以前の和歌でも、男心は移ろいやすいものとして扱われ、
室町時代の狂言『墨塗』に「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」という有名なセリフがあります。

 

「女心と秋の空」の意味と英語のことわざ

秋の空 女心と秋の空 男心と秋の空 意味 違い

「女心と秋の空」ということわざが表す女性の「移り気」とは、
愛情に限らない点で、男性とはニュアンスが異なります

では、「女心と秋の空」と言われるようになったのは、いつごろでしょう?

明治時代の尾崎紅葉の小説『三人妻』に「男心と秋の空」がでてきますが、
「欧羅巴の諺に女心と冬日和といえり」と続きます。

おそらくこれは、イギリスの「A woman‘s mind and winter wind change often」(女心と冬の風)ということわざのことで、
強風や弱風に変化しやすい冬の風を女心にたとえたもの。
この頃から変化の兆しがみえてきます。


その後、大正デモクラシーで女性の地位が向上すると、恋愛の価値観も変わります。
当時、一世を風靡した浅草オペラで、
『風の中の 羽のように いつも変わる 女心――』と歌う『女心の歌』が大ヒット。

西洋文化の影響で、女性が素直に意思表示できるようになったこともあり、
この頃から「女心と秋の空」とも言われるようになりますが、
愛情に限らず、喜怒哀楽の感情の起伏が激しいことや
物事に対して移り気なこと
を示しており、男心とは少しニュアンスが違うようです。

※ヴェルディ作:歌劇「リゴレット」第3幕より

「女心と秋の空」「男心と秋の空」現代ならどちらを使う?

秋の空 女心と秋の空 男心と秋の空 意味 違い

晴れたり、曇ったり、雨になったり。
秋の空は移ろいやすいのです

昭和に入って徐々に「女心と秋の空」も定着していきますが、
あの『広辞苑』に初めて掲載されたのは、1998年の第5版。

つい最近のことなんですね。
今でもほとんどの辞書では「秋の空」の説明は「男心と秋の空」がメインにされており、
「女心と秋の空」が載っていない辞書も多いのです。


【掲載例】

『心の変わりやすいことのたとえ「男心と――』 <広辞苑:2008年第6版>


『男性の女性に対する愛情が変わりやすいこと。
「男心と――」/男性の立場からこれをもじって「女心と――」ともいう。』 
<明鏡国語辞典:2003年初版>


『異性の変わりやすい心の意にも用いられる』 <新明解国語辞典:2005年第6版>


男女が入れ替わったり、意味が微妙に違っていたり。
この言葉自体が“秋の空”のようですが、どちらを使っても間違いではありません。
さて、あなたならどちらを使いますか?


原文先~暮らしの歳時記/秋の行事・楽しみ方(9~11月)~
   「女心と秋の空」と「男心と秋の空」 元々はどっち?意味・由来や語源の違い


注)記事の原文に、あえて改行など多くした。

☆----------------------------------☆




私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、独身時代に於いて、女性と交際してきた中で、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ともすれば食事も忘れ、物狂いのようになったりしてきた。

少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、
恋い焦(こ)がれて時もあった。

         
こうした中で、失恋して悲嘆している中で、
風の中の 羽のように いつも変わる 女心
このような歌を、かぼそい声で唄ったことが、思い出されて、微苦笑したりしている。
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ジャニーズ事務所、日本のメディアが、何10年もこの問題を無視し続けてきた理由、私は学び・・。

2023-09-08 13:44:28 | 喜寿の頃からの思い
『 元シブがき隊・本木雅弘はなぜ潰されなかった?
        奥山和由氏が明かしたメリー氏の「圧力」
 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

昨日の
7日午後、ジャニーズ事務所が会見したことに関して、
私は夕方、テレビのニュースを視聴し、特に注視させられたのは、下記の内容であった。



《・・
BBC記者「メディアは自由に発言できるべき。ニュースに関わる人たちが自問自答して」

たまたま私は、あるレコード会社で、2004年に定年退職するまで、
35年近く、音楽の制作に直接関係ない管理畑を務めてきた私でも、
風の噂として、ジャニー音楽事務所グールプの威力、横暴を感じてきたりした・・。

こうしたことの根源を学ぶことが、今回の解決策と私は思ったりしてきた・・。

たまたま今回の《・・元シブがき隊・本木雅弘はなぜ潰されなかった?
奥山和由氏が明かしたメリー氏の「圧力」・・・》、
改めて学びたく、記事を読んでしまった・・。

 

元シブがき隊・本木雅弘はなぜ潰されなかった? 奥山和由氏が明かしたメリー氏の「圧力」|日刊ゲンダイDIGITAL

元シブがき隊・本木雅弘はなぜ潰されなかった? 奥山和由氏が明かしたメリー氏の「圧力」|日刊ゲンダイDIGITAL

 どうしてメリー氏が圧力を掛けたのに、“辞めジャニ”の本木雅弘(57)は潰されなかったのか。 8月29日、...

日刊ゲンダイDIGITAL

 
 

《・・ どうしてメリー氏が圧力を掛けたのに、“辞めジャニ”の本木雅弘(57)は潰されなかったのか。

8月29日、ジャニーズ事務所の元社長であるジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害問題に関して、
「外部専門家による再発防止特別チーム」が調査報告書を公表。

ジャニー氏が、1970年代前半から40年以上に渡って性加害を繰り返してきたと結論づけた。
会見では、飛鳥井望氏が「根本原因は、ジャニー氏の性嗜好異常。
被害の拡大を招いたのは、藤島メリー泰子氏の放置と隠蔽」と話した。


報告書の中には、事務所の副社長を務めてきたメリー氏(2021年死去)が、
メディアに圧力をかけてきた様子が綴られている。


《「マスコミ対応を委ねられているメリー喜多川は、
ドラマの共演者が気に入らないと、その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあった」》


《「メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した事実を
前向きに報じようとした民放のプロデューサーに、
SMAPには、森なんていなかったでしょ?』、
『最初からいないの。森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した」》


上記などの『週刊文春』の記事を引用した上で、こう書いた。

《その重要な部分が、真実であるとの証明がされたか、又は少なくとも、
被告の文藝春秋らが、これを真実と信ずるについて相当の理由があったというべきであり、
「マスメディアは、原告事務所を恐れ、追従していること」

それ自体又はその前提となる事実を真実と信ずるについては、
相当の理由があったと判示している
(この点は、東京高裁判決においても維持されている)。》




■ジャニーズを辞めた本木雅弘をキャスティングし「出禁的待遇」を受ける

メリー氏の圧力について、映画プロデューサーの奥山和由氏(69)の「X」(旧ツイッター)の投稿が話題を呼んだ。

《35年前の話。
「226」ジャニーズをやめたばかりの本木雅弘をキャスティング。
メリー喜多川さんより「よく考えて」と。
「ダメなら、ハッキリそう言ってください」と返事。

「ダメとは言わない、もう一度よく考えて」と。
熟考して魅力を感じての配役、本木雅弘で決行。


あれ以来ジャニーズ事務所、出禁的待遇。》(8月29日に投稿)

本木雅弘は1982年に、シブがき隊のメンバーとして『NAI・NAI 16』でデビュー。
『100%…SOかもね!』、『スシ食いねェ!』などヒット曲を連発した。

しかし、シブがき隊は、同じ事務所の少年隊、他事務所のチェッカーズなどに人気を奪われ、
1988年11月に解隊した。

本木雅弘がジャニーズ事務所を辞める頃、奥山和由氏は映画『226』にキャスティングした。
すると、メリー氏の横槍が入ったという。

確かに本木雅弘は退所後、ジャニーズのタレントとほぼ共演していない。
しかし、同じシブがき隊の薬丸裕英(57)や布川敏和(58)は、
そのような扱いを受けていない。

なぜ、この差が生まれたのか。




☆シブがき隊で本木だけが圧力を受ける事になった真相

「薬丸は、最初ジャニーズに残りましたが、1年も経たないうちに移籍しました。
布川は、解隊後、すぐに別の事務所に行っています。

当時は解散したグループのメンバーは、ほとんど事務所に残っていないですし、
アイドルというカテゴリーから外れるので、ジャニーズの競合相手になるわけではない。
穏便に移籍すれば、圧力を掛けられるわけではなかったようです。


しかし、薬丸と布川は、メリー氏の勧めるプロダクションに入ったそうですが、
本木雅弘は、メリー氏の意向を汲まずに、自分の行きたい事務所を選んだみたいです。

そのため、メリー氏の逆鱗に触れ、圧力が及んだと聞いています。
ただ、本木雅弘がジャニーズと共演できなくなったのは、1990年代半ば以降です。
それまでは絡みがありました」(ベテラン芸能記者)


一体、何があったのか。
報告書と奥山和由氏の投稿を比べると、メリー氏の振る舞いに差が感じられる。

報告書で認められた《メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した事実を
前向きに報じようとした民放のプロデューサーに、『SMAPには森なんていなかったでしょ?』、
『最初からいないの。森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した》
という『週刊文春』の記事内容からは威圧的な様子が伝わってくる。


一方、奥山和由氏の投稿では
《ダメとは言わない、もう一度よく考えて》と言葉だけを読めば、
怒鳴り散らしたようではなさそうだ。

なぜ、森且行(49)がSMAPを脱退した1996年と、
本木雅弘がジャニーズを辞めた1988年では態度が違うのか。


「1980年代から、メリー氏は他の事務所から男性アイドルが出れば、
メディアに圧力をかけてきたと言われています。

ただ、テレビでいえば、歌番組にしか効力は及ばなかった。

なぜなら、バラエティーやドラマでは、
『そのタレントを使うならウチは全員出ない』
と言えるほどのパワーのあるタレントが、揃っていたわけではないからです。

それは映画界でも同じです」(業界関係者)




ジャニー氏のお別れの会も参加しなかった本木の心情


本木雅弘は、独立したタイミングが良かったようだ。

「光GENJIが1987年にデビューして、国民的アイドルになりましたが、
3年くらいで人気は落ち着いた。

1991年デビューのSMAPも、最初はそんなに売れていませんでした。
だから、1990年代前半は、メリー氏の圧力が広範囲に及ぶことはなかった。

本木雅弘が役者として大成できたのは、本人の能力の高さが最大の原因ですが、
活躍の場が遮断されなかったことも大きい」(前出の業界関係者)


本木雅弘は、役者としてだけでなく、
1992年には、井上陽水作詞作曲の『東へ西へ』でNHK紅白歌合戦に出場。
1993年4月から1年間、NHKの歌番組『ポップジャム』の司会を務めていた。


「『ポップジャム』には、光GENJIやSMAPが出たこともあります。
ジャニーズ事務所が力のない時期でしたから、
『本木雅弘が、司会なら出ない』とは、メリー氏も言えなかったのでしょう。
NHKの歌番組に出演できないことは、事務所にとって損失ですから」(前出の業界関係者)


事態は、段々と変化していった。
1993年に木村拓哉(50)が、ドラマ『あすなろ白書』で高視聴率に貢献。

1994年にSMAPが、『Hey Hey おおきに毎度あり』、『がんばりましょう』などのヒット曲を生み、
中居正広(51)や香取慎吾(46)が、バラエティー界に進出した。

この辺りから歌番組だけでなく、テレビの全てのジャンルに、
ジャニーズのタレントが出演するようになり、視聴率を稼いでいった。

そして、報告書にある
《メリー喜多川は、ドラマの共演者が気に入らないと、
その放送局の社長に、直接電話をかけ、外すよう要求することもあった》という行為が生まれたようだ。


「SMAPが、国民的な人気グループになってから、メリー氏の振る舞いがさらに横暴になった。
業界では、周知の事実でした。

だから、近年は圧力ではなく、忖度という言葉が使われてきた。
何にもないのに、忖度なんてしません。

過去に圧力があったから、自然と忖度するようになった。
メリー氏の思い通りの展開でしょうね。

奥山和由氏のように圧力に屈しないプロデューサーがいれば、
また状況は違ったと思いますが」(週刊誌記者)


本木雅弘は、ジャニーズ事務所の圧力が及ばない時期に、
役者としての地位を築き、その後も活躍した。

2019年、東京ドームでジャニー氏のお別れの会が開催されたが、本木雅弘は出席していない。


「メリー氏に、会いたくなかったからでしょう。
散々、自分の活動を妨害してきたであろう人に、挨拶したくなかったのだと思いますよ。
当然の心理ですよ」(前出の週刊誌記者)


二度とジャニー氏のような性加害問題を起こしてはならない。

被害拡大の原因とされたメリー氏の振る舞いに、屈してきたメディアも反省しなければならない。
事態を把握するためにも今後、奥山和由氏のような業界関係者の告白が望まれる。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



ジャニー喜多川元社長が亡くなって4年、
1970年代前半から40年以上に渡って性加害を繰り返してきた性嗜好異常、
多くのアーティストを目指した少年に対して、糾弾されることであり、
姉のメリー喜多川氏は、弟のこうしたふるまいに、隠蔽したことも罪である。

その上、マスコミ対応を委ねられているメリー喜多川氏は、
《・・ドラマの共演者が気に入らないと、
その放送局の社長に、直接電話をかけ、外すよう要求することもあった・・

SMAPが、国民的な人気グループになってから、メリー氏の振る舞いがさらに横暴になった。
業界では、周知の事実でした。

だから、近年は圧力ではなく、忖度という言葉が使われてきた。
何にもないのに、忖度なんてしません。

過去に圧力があったから、自然と忖度するようになった。
メリー氏の思い通りの展開でしょうね。・・》



このような過程で、日本のメディアの多くは、ジャニーズ事務所に対して、
何10年もこの問題を無視し続けてきた理由・・
私は学びながら、風の噂は事実だったんだ、と私は悲嘆したりした。

そして無力ながら、浄化するには・・と思案したりしている。

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この暑さ、いつまで続くのか? 秋の天気を徹底解説、78歳の私は学び、微苦笑して・・。

2023-09-07 15:13:28 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【東洋経済オンライン】を見ている中で、

今年の夏(6〜8月)は、全国の平均気温が平年より1・76℃高く、
気象庁が統計を取り始めた1898年から125年の間で、最も暑い夏となりました。

東京で最高気温35℃以上の猛暑日になったのは、過去最多の22日間でした。
昨年までの猛暑日の最多日数は16日間だったので、大幅な記録更新です。

京都では、38日間で1942年の記録を抜きました(いずれも8月31日時点)。
また、札幌では8月23日に最高気温が36.3℃となり、観測史上最も高い気温を更新しました。

 

9月になっても、気温が高そうです。

東京では9月2日も最高気温が30℃以上になり、今年72日目の真夏日を観測しました。
これは、2010年の71日間を超えて過去最多の記録ですが、
今後もまだ真夏日の日数は増えそうです。

9月3日は大阪で最高気温が36.4℃まで上がり、9月としては観測史上最も高くなりました。

☆9月は残暑が厳しい傾向

一旦暑さが和らぐ日はあるものの、気象庁の1か月予報によると、この先も残暑が厳しい傾向です。
9月は全国的に、平年より気温が高くなる確率が70%から80%です。

特に、9月15日にかけては、平年よりかなり高くなるでしょう。

1か月予報(平均気温)(出典:weathermap)


さらに、3か月予報によると、10月も広い範囲で平年より気温が高い予想です。
東北から沖縄・奄美にかけて、平年より気温が高い確率が50%となっています。

3か月予報(10月の平均気温)(出典:weathermap)


そして、9月の降水量は、東海と西日本で平年並みか多くなるでしょう。
この理由としては、湿った空気が流れ込みやすいことや、
秋雨前線が停滞しやすいことが挙げられます。

1か月予報(降水量)(出典:weathermap)

8月31日までの熱帯夜の日数は、東京は45日間、仙台は30日間もありました。
札幌は7日間で、これまでの最多日数は2021年の4日間で、これを更新しています。

では、なぜ気温が高くなったでしょうか。そのメカニズムについて解説します。

1つめは、日本付近への高気圧の張り出しが強かったことです。
 この影響で、広範囲が熱い空気に覆われました。

2つめは、偏西風です。この夏、日本付近で偏西風が北側に蛇行し続けていました。
 そのため、南の暖気が北日本まで流れ込みやすくなっていたのです。

3つめに、8月前半は台風6号と7号によって熱い空気が流れ込みました。

ことわざ「女心と秋の空」をはじめ、秋は空模様が変わりやすい印象がありませんか? 
この理由は台風、秋雨前線、移動性高気圧です。

台風の発生数、日本への接近数、上陸数は、7月から10月にかけて多くなります。
台風の日本への接近数が最も多いのは8月、次いで9月です。

そして、上陸数が最も多いのは9月です。
10月は台風の発生数、接近数、上陸数、いずれも7月から9月と比べると少ないです。

台風の平年値(出典:気象庁ホームページ)

 


 

☆秋雨前線が夏と秋の境界線

秋雨前線は、夏と秋の空気の境界線と考えていただくと、イメージしやすいと思います。

秋雨前線の北側になると気温は低く、南側では気温が高くなります。
また、大陸から移動してくる高気圧に覆われると、爽やかな秋晴れになります。
ただ、移動性の高気圧で数日で離れていってしまうので、長続きしません。

台風が近づくと蒸し暑くなり、高気圧に覆われると
湿度が低くカラッと感じられるため、天気や気温だけでなく、
体感も変わりやすいのが秋です。

夏から秋にかけて、だるい・疲れやすいといった体調不良や
食欲がなくなる「秋バテ」は、こうした変わりやすい天気、気温、体感が影響します。

こまめに天気予報を確認して服装を選んだり、
ゆっくりお風呂に入ったりして、秋バテにならないようにお気をつけください。・・》

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認知症は、怖い病気ではない、と医師・和田秀樹さん、78歳の私は多々学び・・。

2023-09-06 14:26:13 | 喜寿の頃からの思い
先程、ヤフージャパンより配信された記事を見ている中で、

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。




何かと楽観的な私は、もしかしたら

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和田秀樹・著の『 75歳からやめて幸せになること』、ただいま愛読中・・。

2023-09-05 14:15:27 | 喜寿の頃からの思い

 

2022年間ベストセラー総合1位、和田秀樹、最新刊!『75歳からやめて幸せになること 一気に老ける人、日ごとに若々しくなる人の差』(1/21発売)

2022年間ベストセラー総合1位、和田秀樹、最新刊!『75歳からやめて幸せになること 一気に老ける人、日ごとに若々しくなる人の差』(1/21発売)

株式会社 大和書房のプレスリリース(2023年1月24日 08時42分)2022年間ベストセラー総合1位、和田秀樹、最新刊!『75歳からやめて幸せになること 一気に老ける人、日ご...

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AIの進化で、一番得をするのは高齢者である、78歳の私は、やがて微笑み・・。

2023-09-04 12:49:51 | 喜寿の頃からの思い

先程、ときおり愛読している【プレジデントオンライン】を見ている中で、
『 AIの進化で一番得をするのは高齢者である・・・
和田秀樹が考える「これからの時代に活躍する人」の条件 』、
と題された記事を読んだりした・・。

《・・
これからの社会で、求められる能力とは何か。



そして作家・橘玲さんに関しては、確か5年前の頃、
著作の『上級国民/下級国民』(小学館新書)を私は読んで、
世の中は学校や住む場所など、あらゆる面で「上級/下級」に分かれて、
多くの人が、自らを“中間層”だととらえていた「一億総中流時代」は、終わりを迎え、
地位や収入が、二極化した社会構造が浮き彫りになっている、と学んだりした。

AIの進化でもっとも得をするのは高齢者


   高齢者の医療現場にいると、
   「これからの時代、高齢者はつらくなりますよね」とよくいわれますが、
   それはITとAIの違いをわかっていない人がいうことです。

   AIの進化で、もっとも得をするのは高齢者ですよ。
   ITというのは、基本的に道具だから、われわれが使い方を覚えないといけませんが、
   AIは、使い方を覚える必要はない。

   指示すればAIが考えて、いろいろやってくれる。
   だから遠慮なく、命令できる人こそ、うまく使いこなせる。  

橘玲さん
   突飛な命令が、できるとか。  


   おっしゃるとおりで、「こんなことは無理」と思っては、いけないんですよ。
   おそらく解決できない問題のほうが、少なくなっていくので、
   これは無理という思い込みが、足かせになっていく。  

橘玲さん
   AIは、すごくおもしろいですね。
   その機能を、上手に使いこなすにはどうすればいいか、
   何を求めて、どんな質問すればいいのかというところで、差がつくことになるでしょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



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体が硬い男性に勧めたい驚異「1分ストレッチ」、78歳の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2023-09-03 15:28:30 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【東洋経済オンライン】を見ている中で、
《・・昨今、「体を柔らかくしたい」というニーズが高まっています。

体が硬いと、ケガをする危険性も高くなりますし、柔軟性は高めておきたいものですが、
「いい歳(とし)だからもう無理かな・・・」
と諦めてしまっている人も多いかもしれません。

ですが、「どんなに年齢が高くても、体は柔らかくできる」というのは、
フィギュアスケーターなどのプロアスリートから、
一般の人々まで幅広く指導を行うストレッチデザインの村山巧氏です。


☆柔軟性が低いとケガをしやすくなる

柔軟性が低く体が硬いと、ケガをしやすくなってしまいます。
体が硬くなってしまったお年寄りにケガが多いのは、このことも大きな原因です。

ですが、「歳(とし)だから、硬いのは仕方ない」かというと、そうではありません。

体が硬くなる本当の原因は、加齢自体ではなく、ストレッチ不足にあります。
人間の体は、使わない筋力や機能は、年齢に関係なく、
どんどん退化するようになっています。


つまり、年齢に関係なくストレッチを日々の習慣にしていれば、
高齢者であっても、体は柔らかくなりますし、していなければ若くても体は硬くなります。

そこで今回は、前屈ができない参加者の皆さまから「魔法みたい」と言われる、
簡単なエクササイズをご紹介します。


☆最短で効果を出す“トップギアストレッチ”

先述したとおり、私の確立したストレッチは、
「PNF(脳科学)」×「筋膜リリース」の2つの科学的アプローチの観点を取り入れたものです。

PNF(脳科学)とは、もともとリハビリの世界で発達した筋コンディショニングの手法であり、
筋肉を強く収縮させた後に弛緩させることで、脳の運動系の神経を刺激し、
短時間で筋肉や関節が本来持っている可動域を覚醒させるというものです。

このPNF(脳科学)に基づくエクササイズを「脳科学アプローチ」と呼んでいます。

筋膜という名前は近年、よく耳にするようになりました。
筋膜は全身を覆っている薄いボディスーツのようなイメージで、
筋肉を保護したり、結合したり、円滑に動かせるようにする働きがあり、
「第2の骨格」と言われるほど重要な役割を持っています。

この筋膜はずっと座っていたり、スマホを見続けたり、いつも右手でカバンを持って歩いたり、
といった普段の生活のなかで一部の筋肉を使わずにいたり、
逆に一部に負担をかけたりすることでどんどんゆがんでいきます。

軽微な歪みは、入浴・睡眠で解消されますが、
ゆがみを放置すると次第に筋膜は固着して動きが悪くなってしまいます。

 

それが長年蓄積されると、筋膜はいつしかガチガチにコリ固まり、
筋肉や関節の可動域を制約するようになっていきます。

固着した筋膜のゆがみを正し、あなた本来の可動域を取り戻すエクササイズが
筋膜リリースです。

前屈の際には、頭から足裏まで体の後ろ側全体が伸びるのですが、
ここでは経験上、とくに効果の大きい3カ所(足の裏/ふくらはぎ/ももの裏面)を取り上げます。

これらのストレッチは、最短で効果を出す“トップギアストレッチ”です。
体の硬さには絶大な自信があった57歳の男性が、
たったの8分のストレッチで、床に指がつくようになるといった例も多数あります。

(画像:『自分史上最高の柔軟性が手に入るストレッチ』より)

☆脳科学ストレッチによるアプローチ

脳科学アプローチでは、
①短時間負荷をかけて抵抗し、②脱力する、という動きが特徴です。

1、2で息を止めて力を入れる、3で大きく息を吐いて脱力、
をリズミカルに繰り返します。「イチニ、サーン」と覚えてください。

<足の裏の脳科学ストレッチ>

手でつま先を反らすように力をかけ、足の裏の力で2秒抵抗したら、
2足の裏を2秒脱力します。
3回繰り返します。

(画像:『自分史上最高の柔軟性が手に入るストレッチ』より)
(画像:『自分史上最高の柔軟性が手に入るストレッチ』より)

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



<足の裏の脳科学ストレッチ>、


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脳は刺激を与えることで活性化し、老化も防げる、78歳の私は学び、微笑みを重ねて・・。

2023-09-02 14:45:11 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【プレジデントオンライン】を見ている中で、
『 和田秀樹・連載『70代、80代を楽しむためにこれだけは知っておこう!
  アメリカ人と日本人の「健康の常識」は違う・・・
   医師・和田秀樹が「コレステロール値を気にするな」と訴える理由・・ 』、
と題された記事を読んだりした・・。

そして後半に於いては、脳に関しての活性化、老化も防止に関して記載されているので、
私は精読して、多々教示されながら、やがて微笑んでしまった・・。


私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を19年近く過ごしてきた。



そして好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

 
しかしながら、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
ときおり物忘れもあり、独り微苦笑をしたりしている。
 
このような私でも、あと1年少しで・・80歳の誕生日を迎える時に、
何とか健康寿命で迎えたい、と念願している。



このような深情を深めている私は、
今回の《・・脳に関しての活性化、老化も防止・・》、改めて学びたく、記事を読んでしまった。



《・・
☆40歳から始まる「前頭葉の老化」

脳というのは、刺激を与えることで活性化し、老化も防げます。

頭を使うほど脳は、活性化し、認知機能の向上にもつながるのです。

前頭葉は、40歳ぐらいから衰えていくと言われています。

前頭葉は、記憶を司る部分でもあり、ここを鍛えることで物忘れも防止できます。

毎日が平凡だと思い込んで過ごすと、日常生活で決まったことしかやらなくなります。

そうなってしまうと、前頭葉の老化は止まりません。


☆ギャンブルは高度な知的作業

では、脳を最も効率的に鍛えるには、どうすればいいのでしょうか?

それは「文章を書くこと」です。
前頭葉を効率的に鍛えるには、「アウトプット」が大切なのです。

ちなみに読書などは、その逆のインプットの行為にあたります。

前頭葉は、記憶を引き出す力を司る場所であり、記憶を蓄積しても、鍛えることはできません。

そのアウトプットに特に有効なのが、「日記を書くこと」です。

日記を書くことは、その日の出来事を思い出す行為です。

「今日は誰と会って、どんなことを話したか」、
「お昼に何を食べて、どう感じたか」、
「家のなかでどんなことがあったか」などを思い出し、
考えながら文章を書き起こすことは、前頭葉にとって非常に効果的なトレーニングなのです。

先行きが不安定なとき、想定外な状況に置かれたときに、前頭葉はフル回転します。

ギャンブルは、のめり込むと危険ですが、
競馬は、新聞の情報やパドックの様子、オッズなどから総合的に考えて馬券を購入するので、
意外に高度な知的作業であり、前頭葉を鍛えます。

 

☆いわゆる「脳トレ」に効果はない

逆に脳のトレーニングになりそうな計算やパズルといった、
いわゆる「脳トレ」などは、実はあまり前頭葉を鍛える効果がありません。

認知症を発症した人に、計算問題を数多くしてもらうと、
確かに計算能力は向上しますが、ほかの能力が上がるわけではないのです。

これはパズルなども同様で、ある程度の脳のトレーニング効果はあっても、
脳全体に効果的というわけではなく、一部の機能が鍛えられるだけなのです。

文章を書いて、前頭葉を鍛えることは、認知機能も向上させます。

そして認知症の発症を遅らせ、車の運転に必要な注意力や判断力も養うことができます。

脳を鍛え始める年齢に早いも遅いもありません。
是非とも前頭葉を鍛えるために行動しましょう。



☆異性に興味を持ったり、性欲を刺激することも重要

また、恋をしたり異性に興味を持ったり、性欲を刺激することも重要です。

いくつになっても、恋や性欲は大切です。
高齢の男性が、アダルトビデオを見ることを否定する人もいますが、それは大きな間違いです。

和田秀樹『70代、80代を楽しむためにこれだけは知っておこう!』(かや書房)
和田秀樹『70代、80代を楽しむためにこれだけは知っておこう!』(かや書房)


男性ホルモンが増えることは、健康な身体を保つことにつながります。

また、「夜のお店」と言われるキャバクラやスナック、パブやバーなど
女性が相手をしてくれるお店に行くのも良いことです。
ギャンブルと同様に、ハマり過ぎには注意が必要ですが・・・。

女性の場合も、アイドルや俳優のファンになって追っかけをしたり、
例えば近所のスポーツインストラクターなどにときめいたりする恋衝動は、
女性ホルモンが増えて肌つやがよくなり、
骨粗しょう症などの加齢による病気予防や改善にもつながります。

この「ときめく」という心の動きがとても重要で、
これは異性に対して限ったことではありません。

おいしいものを食べたとき、太陽の光が気持ち良かったとき、
家族や友人、仕事仲間と語り合って談笑したり・・・。

日常生活のなかに小さな幸せを感じて「ときめく」ことも、
70代~80代を楽しく生きるためには必要なことなのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



脳は刺激を与えることで活性化し、老化も防げることには、
《・・「文章を書くこと」・・
「日記を書くこと」・・
日記を書くことは、その日の出来事を思い出す行為です・・》、
このようなことはブログを書くことと同じだよなぁ・・と微笑んだりしている。

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年金生活19年の我が家、まもなく79歳の私は、とりとめなく、思い馳せれば・・。

2023-09-01 11:47:55 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の身であるが、
まもなく下旬になれば、79歳となり、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、我が家の生計は原則として、
私たち夫婦は、お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、19年目となっている・・。



こうした中で私たち夫婦は、原則として月初めには
家計簿をお互いに確認しながら実施している。

こうした根底の理由としては、47年前、私たち夫婦が婚約する前、
お互いに隠し立ては・・やめましょうねぇ、
と私は妻となる人から言われたりしてきた。

そして私たち夫婦は、結婚以来、毎月家計簿を原則として翌月の初めにしているが、
もとより生活費をお互いに確認した上で、
私、家内が趣味に使える費用を捻出する為に、 毎月確認し、家計簿の月次決算をしている。

このような関係で、本日の午前中、8月度の家計簿を締めたりした。
たまたま8月度は、年金収入があり、もとより2カ月分であるので、
黒字であったりした。

しかしながら、昨年の秋の頃より、私たちの晩秋期に備えて、
浴室、洗面所、トイレ、そして寝室とか居間を見直してきたので、
ベットや寝具まわりなど、買い改めたりし、
平年より支出が多く、私たち夫婦は、お互いに微苦笑したりした。




過ぎし年、私が定年退職後のセカンドライフについて、家内と話し合ったのは、
定年退職時の5年半前のリストラ烈風の中、私は出向となったのは55歳の時であった。

もとより老後の資金の予定額も必要で、経済にも疎(うと)い私は、
経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

このように私は、経済ジャーナリストの荻原博子さんを信頼し、
何かと年金生活のお金に関しては、指針のような御方と感じ深めてきた・・。




私はあるレコード会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そしてこの当時は、大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。




こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。

そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節に旅行をすることが、多かったりしてきた。

私たちの旅路、定年後まもなく自動車の免許書の更新を中止した私は、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。

或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。

いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。

このように私たち夫婦は、独り住まいの家内の母の介護で、
家内は毎月、6泊7日前後で行ったりし、私は『おひとりさま』の体験をしたりしてきたが、
これ以外は、私たち夫婦は安楽に過ごしてきた・・。



やがて4年半前の
2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、
 家内は2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。



やがて手術後、4年半を迎えているが、体調は万全ではないが、
幸運にも転移していなく、お互いに安堵したりしている。

もとよりこの間、新コロナウィリスの烈風もあり、
私たち国民の多くは、自粛が余儀なくされて、やっと解放感を享受している・・。

こうした体験も重ねてきた私たち夫婦は、年金生活丸18年が過ぎ、
19年生となっているが、いろいろな人生の体験をしてきたなぁ・・、
とりとめなく思い馳せたりしている。
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