私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸17年近く過ごしてきた。
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
こうした苦い体験をしてきた私は、
今回の《・・糖尿病が悪化し・・狭心症、脳梗塞・・》と読みながら、
ドキュンとして、真摯に学びたく、記事を精読してしまった・・。
この記事は、19月6日に配信され、
《・・「14年後に、糖尿病がひどくなるぞ」
32歳のときに、人間ドックでそう言われたことが、まさか的中するとは、
思っていませんでした。
46歳だった1997年、持病の糖尿病の悪化から、
いわゆる「狭心症」の症状が表れたのです。
心臓が3分の1ぐらいしか、動いていないと言われ、
血管内にステント(血管を広げるための網目状の筒)を3つ入れる手術を受けました。
このときの入院は7週間で、あまり愉快な話ではないのですが、
その1年後、この入院が良かったと思うことが起きました。
じつは退院するとき、医師から「あなたは心臓にも、頭にも爆弾を抱えているんですよ」と、
ものすごく脅されたのです。
「糖尿病というのは、バカにできない病気で、
動脈硬化になりやすくて、常に心筋梗塞や脳梗塞の危険性がある。
ちょっとでも、おかしかったら、すぐに来なさい」
と再三再四、言われ続けたのです。
おかげで、すっかり“恐怖”を植え付けられていました。
そして迎えた1998年、止めた車から降りて歩き出すと、
急に左半身が軽くなったのです。
それまでのこわばりや肩こりも感じなくなって、
まるで体の左側だけが、初期化されたような感じがしました。
「これは、ついに来たか?」と思ったと同時に、
「とにかく、すぐ来なさい」という医師の言葉が頭に浮かび、
あれこれ考える間もなく、自分で車を運転して、一目散に病院まで行きました。
結果的には、この判断が良かったのだと思います。
安全運転で病院まで30分ぐらいかかったでしょうか。
着くとそのまま救急処置室に入って「脳梗塞」と診断され、
すぐに治療を受けました。
ステロイドの点滴です。
病院に着いた頃には、だいぶ左半身が動かない状態で、
唇も半分下がっている感じで、ろれつも回らなくなっていました。
それでも自分の場合は、処置までが早かったので、
後遺症は少なくて済み、こうして今も両手で、演奏できていることを幸せに思っています。
■後遺症は、左半身に薄く残っている
ただ、左手は、今でも完璧ではありません。
周囲の人には、わからなくても、自分では、わかるのです。
左手は、右手の倍ぐらい動きがぎこちない。
ピアニストとしては致命的なことで、当初は「まいったな」と思いました。
ショックでしたよ。
退院してピアノを弾いてみると、弾けないものが、いっぱいありました。
たとえば、両手で同じテンポで、同じフレーズを弾く、ユニゾンという奏法があるのですが、
どうしても正確性が保てない。
昔のようにピッタリ同じには、弾けないのです。
翌年には、ゴダイゴ再結成ツアーを控えていたので、
リハビリのために、あえて左手を多く使う曲を練習しました。
「不安」というよりも、「一生懸命」だったような気がします。
ツアー中は、つらかったです。
左手の動きが悪いことは、自分が一番よく分かりますからね。
でも、ステージに立つと不思議なもので、思ったよりも弾けたんです(笑い)。
あれから20年がたち、左手の動きの遅さに、苛立つような時期は、越えました。
10年ぐらいは、憂鬱でしたけれど、
それを越えたら、この左手でできる演奏を創意工夫することが、楽しくなってきたんです。
作風も変わりました。
昔は、正確性や速弾きに力を入れていましたが、今はスローハンド。
味がある演奏っていうのかな。
和音の構成を変えたり、右手の可動域を広げてカバーしたり、
考え得ることは、やり尽くした気がしています。
思えば、米国のバークリー音楽大学にいた頃も、そんなことの連続でした。
自分は、周りに比べて、手が小さいので、
指の短さをカバーするために、和音を変えたりしていました。
そうした経験が、脳梗塞の後遺症をカバーすることにも、生きている気がします。
今までの演奏とは違うけれど、それに劣らぬようカバーするテクニックが、また素晴らしいの(笑い)。
後遺症は、少なかったとはいえ、手以外の左半身にも、薄く残っています。
たとえば、いつもは感じなくても、頭にきて怒ると、顔が歪むのが分かります。
唇が左側だけ落ちて、目も左右で違っている感覚がするのです。
でも、病気とは、愉快に付き合っています。
食生活は、20年前から塩分、糖分、カロリーを抑えた糖尿病食なので、
外食ができないステイホームの今も、普通の人より耐えられていると思っています。
ストレスが一番いけないから、甘いものも適度に食べていますしね。
一番大事なのは、「自分が元気か、元気じゃないか」です。
いくら薬を飲んで、数値が良くても、元気じゃなきゃ。
そのためには、ポジティブマインドでいること。
人にはノーテンキと言われるかもしれないけれど、すべてをいいように受け取る。
「BE POSITIVE!」ですよ。
(聞き手=松永詠美子)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
今回、音楽業界で活躍されているミッキー吉野さんが、
過ぎし年に糖尿病が悪化され、やがて狭心症、脳梗塞を体験され、
この後のリハビリの情況を深情に発露されたインタビュー記事である・・。
私は、ほんの少しばかり似たような体験をしてきたので、切実な思いで、
多々教示されたりした。
私は学びながら、特に魅せられたのは、
《・・一番大事なのは、「自分が元気か、元気じゃないか」です。
いくら薬を飲んで、数値が良くても、元気じゃなきゃ。
そのためには、ポジティブマインドでいること。
人にはノーテンキと言われるかもしれないけれど、すべてをいいように受け取る。
「BE POSITIVE!」ですよ。・・》であったりした。
もとよりポジティブマインドは、常に前向きに考える、
と解釈しているが、私も何かとプラス思考で日々過ごしているので、
そうですよねぇ・・と共感を深めたりしている。