夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」、高齢者の私は真摯に学び、多々教示させられて・・。

2018-08-18 14:39:23 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している文藝春秋の公式サイトのひとつ【文春オンライン】を見ている中で、
『 認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」 』
と見出しを見てしまった。

私は都心の郊外の調布市に住む年金生活をしているまもなく74歳の身であるが、
これまで幸運にも、大病で入院したこともなく過ごしてきた。

そして健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
殆ど毎日のように散策したりしている。

或いは過ぎし医学ネットで『認知症にならないための脳の7つの習慣』に於いて、
散歩をする、新聞を声を出して読む、料理をする、社会と交わる、電車やバスに乗る、
毎日日記をつける、をする、などの七か条を学んだりしてきた。

しかしながら不運にも認知症になってしまったら、
私たち夫婦は子供に恵まれず家内とふたりだけの家庭であり、
いずれにしても介護する方は、あなたは誰なの・・このような表情で応対されると、気力が萎えてしまう、
と思いめぐらす時もある。

このような心情を秘めている私は、認知症医療の第一人者の御方が、
「みずから認知症になって、わかったこと」を真摯に学びく、精読してしまった。

この記事は、【文春オンライン】に2018年5月6日に初配信された後、
好評により、8月18日に配信され、
無断であるが記事の前半を転載させて頂く。

            

          
《・・社会の高齢化に伴い、認知症患者が急増している。
厚労省の発表によれば、2012年時点で国内の65
歳以上の認知症患者数は462万人にのぼり、
2025年には約700万人、高齢者の約5人に1人が認知症になると推計されている。


精神科医の長谷川和夫氏(89歳)は、
1974年に認知症診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表した、認知症医療の第一人者だ。
認知症ケア職の人材育成にも尽力してきた長谷川氏は、昨年10月の講演で、自らも認知症であることを明かした。


半世紀にわたり認知症と向き合ってきた長谷川氏が、当事者となったいまの思いを率直に語った。

◆ ◆ ◆

私は50年以上、認知症を専門としてきました。
認知症がどのようなものか、大体のことは分かっているつもりでした。


その私が認知症になって痛切に感じたのは、「確かさ」が、はっきりしなくなったことです。

医師として、私は認知症は、次のような段階を進んで「確かさ」が失われていく、と説明してきました。
まず、今が、いつなのかが明らかでなくなる。
次に、今どこにいるかが、はっきりしなくなる。
最後に、目の前にいる人が誰なのか、分からなくなってしまう。


私の場合は、自分が話したことを忘れてしまうことから始まりました。
話したと思うんだけれども、どうもそうでないような気もする。

さらに、昨日の日付は、分かっていたのに、
翌日になると、今日が、何日か分からなくなる。

自宅を出るとき鍵を閉めても、鍵を閉めたことが、はっきりしないから、
来た道を戻って確認しなければ気が済まない。
ひどいときは、一度確認したことを何度も確かめたくなる・・・。


こうしたことから、自分が認知症ではないか、と疑いはじめました。

            

☆ありのままを受け入れる

私は当初、自分をアルツハイマー型認知症ではないか、と考えました。

アルツハイマー型認知症は、脳の神経細胞に「老人斑」というシミのようなものが
広がることなどで起こる、認知症の中でも最も多いものです。


そこで、認知症専門病院である和光病院(埼玉県和光市)で、さまざまな検査をしてもらいました。

認知症の診断では、私が開発した「長谷川スケール」(1991年に改訂)を用います。
長谷川スケールは、「お齢はいくつですか」、「今日は何年の何月何日ですか、何曜日ですか」
といった9つの質問によって構成されており、それぞれの得点を合計して、認知症の有無を診断します。

しかし、開発者の私は、この質問項目を全て覚えているので、正しい診断ができない(笑)。
なので、難しい心理テストをいくつも出してもらうことになりました。


その結果、私は「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断されました。

60代から70代の患者が多いアルツハイマー型認知症とは違って、
この認知症は80代以降の人に起こることが多いものです。

特徴は、正常な状態と認知症の状態とを行ったり来たりすること。
午前中はしっかりしているけれど、午後になって疲れてくると、認知症の症状が出てくる。
80代、90代という、人生の晩節期に起こる認知症です。


ただ、認知症の中では、ひどい症状を引き起こすものではありません。
忘れ物はたくさんするけれども、一晩寝れば治ってしまう。
毎日がその繰り返しです。

だから、診断を受けたときも、そんなに心配しなくて良いだろうと考えました。


認知症は、長生きすれば、誰にでも起こり得ることです。
だから、ありのままを受け入れるしか、仕方がありません。

まずは、自分でできる範囲のことをやる。
その上で、少しでも人の役に立つようなことができたら、それ以上嬉しいことはない・・・。
そんなふうに考えながら、日々を送っています。

            

自分が認知症になって初めて体験したことの1つは、
週に1回、デイケアに通うようになったことです。

私はこれまで、患者さんに
「ケア職の人に接するのは、とても良いことだから、
週に1度や2度でもいいから行ってごらんなさい」と勧めてきました。
それが、いまでは勧められる立場になったわけです。


デイケアに通うようになって、まず驚いたのは、
スタッフ一人ひとりが、利用者の情報をよく知っていることです。

スタッフが、それぞれ何人かの利用者を受け持っている、というのではなく、
スタッフ全員が、みんなのことを把握している。

こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。
利用者としては、大きな安心感があります。


それに、こちらが少しでもボーッとしていると、
「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」、
「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかります。

すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とかね。


簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。
雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。
デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心しました。・・》


注)記事の原文にあえて改行を多くした。

            

私は記事を読みながら、認知症の日常生活の思い、デイケアの状態、そしてスタッフの応対など、
多々教示された。

これまでの私は認知症に関しては、父の妹のひとり(叔母)の晩年期、
認知症になり会話、しぐさに私はお気の毒と感じたり、哀れみを感じていたことは、
本音であったりした。

しかしながら、記事を読み終わった後、何かしら認知症に対して、どの御方でも、
その人なりの晩年期の尊厳の光明を感じたりした。

何よりも『認知症は、長生きすれば、誰にでも起こり得ることです。
だから、ありのままを受け入れるしか、仕方がありません。
まずは、自分でできる範囲のことをやる。』
この御言葉を私は、かみしめるように深く学んだりした。


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