私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
私は1944年(昭和19年)の秋に、農家の児として長兄、次兄に続いて三男坊として生を受け、
そして妹ふたりの間に育ち、長年サンドイッチのような中で、過ごしてきた。
やがて小学2年生の頃から、父の妹である叔母が未婚だった当時、
都心に住んでいる友人が来宅して、私は言葉、しぐさ、表情に魅了されて、
素敵な綺麗なお姉さん・・と感じたりして以来、何かしら女性に憧憬を深めたりしてきた・・。
私は幼年期に農家の児として育てられた為か、父の妹である叔母が畑の一角に、花壇を作り、
仏様とかお墓にささげる花を育てるのを見たりしてきたので、
里花には愛惜を秘めているひとりである。
或いは田圃(たんぼ)とか遊歩道の片隅に咲いている野花も恋しく、
長年に見惚(みと)れたりしている。
そして家内は中学生の頃から茶事を習ってきたので、私は婚約の頃から茶花を教えられて、
魅了されたりしてきた・・。
このように里花、野花、茶花に関しては、少しばかり知っているが、
洋花に関しては、殆ど無知な男である。
こうした中で、薔薇(バラ)の花に関しては、何かしら気品のある女性が高価なドレスを召したような、
或いは裕福な家庭で育っている高嶺の花のような女性と感じたり、
私は定年退職した60歳の頃まで、近寄りがたく気後(きおく)れしまい敬遠してきた・・。
そして何かと卑屈と劣等感を秘めてきた私でも、
遅ればせながらイギリス、フランスなどの文化を知る為には、
やはり薔薇(バラ)は欠かせない、と確信を深めたりした。
やがて年金生活の60代に国内旅行で『バラ園』があった時、鑑賞する時もあったりし、
私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、恒例の『春のバラフェスタ 』、『秋のバラフェスタ 』などで、
数多くの美麗な薔薇(バラ)を鑑賞して、感性の衰えた私でも、魅了されてきた。
何かしら公園のパンフレットには、
春のバラは409品種5,200余本、秋のバラは約300品種5,000余本、花期は年2回。
春は5月下旬の頃が盛りで、秋は10月中旬からです、と記載されていた。
今回、この時節に彩(いろど)る春のバラを鑑賞するのは、
ここ一カ月としては、地元の身の気安さから開催前に少し鑑賞してきたが、
やがてバラ園に着くと、お待ちしていましたわょ、と微笑まれたような
数多くの麗(うるわ)しきバラに、めぐり逢えた・・。
それぞれのバラの花形が美しく、
やはり高貴な女性の容姿だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
私は下男のように跪(ひざまず)いて、撮ったりした。
周辺にいる私と同世代の10数人は、カメラの愛好家にふさわしく、
一眼レフの中でも高価なカメラ、優れた望遠レンズを使用して、撮られたりしていた。
私の所有しているデジカメの性能、そしてデジカメの技量の乏しい私は、
せめてバラに魅了された若葉マークのような初心者として、
心の思いは誰よりも・・、と思いながら30数枚を撮ったりした。
こうした中で、恥ずかしながら少しポケてしまった写真は3枚もあったりしたが、
こうしたことは高貴の女性の前では、私は幾つになっても、オドオドしてしまい平常心をなくしていた、
と後で気付いたりして、独り苦笑をしたりした。
このように一時間半ばかり、麗(うる)しい数多くのバラに、
綺麗な高嶺の人、と思い深めて過ごしたりし、
感性の衰えた私でも、身も心も春麗なひとときを過ごせたなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりした。
この後は、園内でいつも鑑賞している野花、里花などを遊学し、
やがて『神代植物公園』に別れを告げて、帰宅した。