私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や17年目となっている。
過ぎし年の1970年〈昭和45年〉の春、
この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。
こうした中、まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、
外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。
そして制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から各社はリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。
そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
こうした中で、年金生活を始めた当初より自主的に平素の買物専任者となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受しているのが、
殆ど午前中となっている。
しかしながら過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、
買い物は3日に一度となったりして、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。
そして午後から深夜には、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごして17年生となっているが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家族なので、
特に何かしら世の中の時流から取り残されている、と私は思ったりする時もある。
こうした中で読書をしていると、あれぇ、この時代は確か・・、と思いめぐらしていると、
机の脇にある小さな本箱に置いてある本を開いたりしている。
神田文人・小林英夫の両氏に寄る編集『戦後史 1945~2005 年表』(小学館)であるが、
退職して1年を過ぎてまもない時2006年(平成18年)1月に、
たまたま本屋で見かけて買い求めて、ときおり開いたりしている本である。
私は高校生の時代から、歴史年表をこよなく魅了されて、読んだりしている。
古今東西、人々の営みを凝縮した出来事のひとつでも、その時代に思いを馳せ、
私なりに享受させられる習性がある。
或いは興味のある出来事を知り、喚起されて、
原因、関連を学ぶために、単行本・新書・文庫本も買い求めることもある。
この本は『政治・経済』、『世界』、『社会』、『文化・芸術』、『世相』の区分で、
それぞれの年の出来事を一覧できて、明晰に整然と表記されているので、
つたない私は、あの年にあのようなことがあったのだ、と恥ずかしながら学んだりすることもある。
或いはあの時代には、確かあのようなことが世の中で流行していたはずだ、
と思ったりすると、もう一冊の本を取りだしたりしている。
この本は、確か2011年(平成23年)6月に読売新聞の朝刊で講談社の出版広告に掲載され、
瞬時に魅せられて買い求めた本である。
そしてこの広告を切り抜いて、この本の中に入れてあるので、転記すれば、
《 この100年を日本人はどう暮らしてきたか
『暮らしの年表/流行語 100年』
身近な出来事を豊富に盛り込んだ年表と、
時代を映す流行語の辞典を組み合わせたユニークな近・現代日本クロニクル。
ヒットした商品・曲・本・映画のデータも充実!
読んでも面白い! 永久保存版 》
この『暮らしの年表 流行語』は、この100年の日本の社会の出来事を主軸に、
日常生活のみじかな変貌した出来事を歴然と整理されているので、教示されることが多い。
私が小学4年生で劣等生で、下校時にトボトボと独りで帰路し、
少年漫画の月刊誌『少年画報』などを読みながら歩いたりすることが多かった。
こうした1955年(昭和30年)の出来事のひとつとして、
10月頃からは、ジェームス・ディーンが鮮烈にデビューした映画の《『エデンの東』の影響で、
若い女性がポニーテールが流行した》、
このようなことを私は初めて学んだりした。
私は何事も好奇心を失くしたら、この世は終わりだ、という信念の持ち主のひとりであるので、
昨今でも、若き女性がポニーテールの髪型に思わず好感してしまう私は、
この頃から日本では流行っていたのか、
と微笑みながら、私は多々学んだりすることの多い本でもある。