先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイデジタル 】を見ている中で、
『 東京五輪「呪われた開会式」大手メディアが決して書かない“舞台裏”をドキュメント』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
昨日の夕食は、いつものように家内と共に談笑しながら頂いた後、
まもなく午後8時を迎えたりした。
『オリンピックの開会式の日だから・・テレビで観戦しょうょ・・』、
と私は家内に言ったりした。
私は1964年(昭和39年)の秋に、東京オリンピックが開催された時は、
大学2年で中退をした頃で、家内は中学3年生であり、
それぞれあの当時の日本は、経済を含めて躍動していた中で、
国民の祭典としてふさわしく、殆どの国民の多くが共感認識していた。
この後、1970年(昭和45年)の春より、『大阪万博』で日本の各地で熱狂し、
やがて1972年(昭和47年)の2月、『札幌・冬季オリンピツク』が開催された後は、
殆どの日本国民が熱愛した国民の祭典は、この三つの祭典で終わりを告げた、
と私は思ったりしてきた・・。
このような心情のある私は、今回の日本のオリンピックの開会式は、
23日午後8時から国立競技場で始まり、NHKは実況中継をすることを知り、
私たち夫婦は視聴したりした・・。
最初に、国立競技場の空から撮影され、
男性のアナンウサーが『スタンドに観客の姿はありません。
東京にとって57年ぶり、2回目のオリンピックは異例の大会になりました・・』
と言ったりしていた。
そして女性のアナウンサーは『開会式を巡っても・・担当者の変更が相次ぎました』
と報じていた。
そして『開催地東京は、4回目となる緊急事態宣言のさなかです。
世界でも深刻な感染拡大に苦しんでいる国は、少なくありません。
こうした状況での開催について、誰のための何のための大会なのかと
日本国内だけでなく海外のメディアからも・・様々な声が上がっています』
と言ったりしていた。
この後、男性のアナンウサーは『一方、多くのアスリートにとって・・
生涯をかけて目指してきた場所です。
4年に1度の特別な舞台で、ひたむきにプレーするアスリートの姿に、
わたしたちは心を動かされ、時には明日への活力にさえなってきました』と報じたりした。
そして女性のアナウンサーは『オリンピックの意義が問われている難しい状況の中、
開会式では・・国民や世界に向けてどのようなメッセージが発信されるのでしょうか』、
このように少しボケた私には、聴こえてきた・・。
この後、オープニングとなる第1章では、
2013年の招致成功から史上初の1年延期までの8年を映像で振り返った、
と解説され、やがて多数の花火が明治神宮外苑の夜空を彩ったりした。
この後、何を表現して伝えたいのか、私としては解からずは、
何かしら式典責任者は日置貴之さんという御方と学んだりした。
やがて天皇陛下と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が、
競技場に姿を見せた後、かっての名選手だった御方を中核に、
日本国旗をフィールドへ運こばれて、掲揚された。
こうした中、歌手のMISIAさんが国歌を独唱した・・。
この後の式典の内容、目的も理解できず、うつろな状態で視聴していた。
やがて大会の本命である、各国の選手の入場行進となったが、
確かアルゼンチンの選手団の入場を終えた頃には、
眠くなり、明日の東京オリンピックの概要番組で視聴すればよい、
と寝室に向かったりした。
このように少しだけテレビで視聴してきた私は、
《・・大手メディアが決して書かない“舞台裏”をドキュメント・・》、
好奇心に誘惑されて記事を読んでしまった。
この記事は、【 日刊ゲンダイデジタル 】に於いて、
7月24日 11:41に配信され、無断であるが、
記事を転載させて頂く。
《・・7月23日、東京五輪の幕が開いた。
「大会の華」と言われる開会式はしかし、
演出を担当する制作チーム関係者のスキャンダルによる辞任、解任が相次いだ。
祝祭ムードとは程遠い「呪われた開会式」の“舞台裏”をドキュメントで追った。
東京五輪の開会式会場に北朝鮮の金正恩総書記が? 周辺が一時騒然!
【午後3時13分】
日刊ゲンダイ本紙記者は、
報道陣の拠点となる有明の東京ビッグサイトに設けられたメインプレスセンターから、
バスで千駄ケ谷の国立競技場に移動。
組織委員会が用意する大型の観光バスに、外国人メディア約40人と同乗した。
車内の密が気になるうえ、彼らの半数以上がマスクをしていない。
前の席では、中東からやってきたというノーマスクの記者が、
結構な声量で隣の同僚と延々と話している。
それを睨みつけていたのは、通路を挟んだ席に座る中央アジアからのカメラマン。
感染予防に対する意識の差を感じ、メディアによるクラスターの懸念が頭をもたげた。
【午後3時42分】
国立競技場に隣接する日本青年館前の降車場に到着。
首都高は、ガラガラだった。
大会期間中、交通渋滞緩和のため、料金が1000円も上乗せされているからだろう。
高樹町出口から国道246号線に出ると、至るところに警察車両が配備され、
外苑前交差点付近には、車線規制がしかれていた。
秩父宮ラグビー場から国立競技場へと向かう道路は、関係車両以外通行禁止。
信号に止まることなく走るバスに乗って、束の間の“五輪貴族”気分を味わった。
IOC(国際オリンピック委員会)委員が、特権意識を持つわけだ。
【午後4時2分】
バスを降りると、国立競技場周辺は、黒山の人だかり。
「五輪反対!」のプラカードを掲げるデモも。
報道陣受付には、100人以上の行列ができ、
セキュリティーチェックと顔認証によるID確認を済ませて、
記者席に着くまで、30分近くを要した。
【午後8時】 開会式がスタート。
【午後8時13分】
IOCのトーマス・バッハ会長の案内で、天皇が貴賓席に臨席。
続いて国旗が入場し、人気歌手のMISIA(43歳)が歌う、君が代独唱に合わせて国旗が掲揚された。
「無観客開催で、スタンドからの歓声はない。
異様な雰囲気だったのは確かだね。
緊急事態宣言下の開催強行に対する批判を受けて、
大会主催者は、出席者を950人程度まで削減したとはいえ、
貴賓席とその周辺のスタンドには、いわゆる五輪貴族が陣取った。
組織委は、開会式を前にセレモニーの内容を知ろうと
ヘリを飛ばすなどした日本のメディアに取材規制をしいたと聞いている。
でも、当日にはラインアップの多くが報道されていた。
どうなっているんだ?
開会式の演出家や音楽担当が、次々にスキャンダルで消えた。
組織委は、メディアを規制する前に、やることがあったんじゃないか」
と、米国のネットメディア関係者は皮肉たっぷりに言っていた。
【午後8時38分】
ようやく入場行進がスタート。
19の人気ゲーム音楽が流れる中、五輪発祥の地であるギリシャに続き、
難民選手団が呼び込まれた。
その後はアイスランドから、「あいうえお順」で登場。
過去に日本で開催された夏冬3度の五輪では、アルファベット順が採用されていた。
【午後10時39分】
陸上男子100メートルの山縣亮太(29歳)、卓球女子の石川佳純(28歳)らによる選手宣誓。
漆黒の空に、1824台のドローンがつくる地球などが浮かび上がった。
橋本聖子組織委会長の挨拶に続き、バッハ会長が壇上に。
「ニホンノミナサマノオカゲデス、ココロカラカンシャモウシアゲマス」
と片言の日本語を交えての演説が、午後11時13分まで続いた。
事前資料では2人合わせて、約9分とされていたが、
バッハ会長だけで13分。
その間、選手は立ちっぱなし。
地べたに横になる海外選手もいた。アスリートファーストは?
【午後11時13分】
天皇陛下の開会宣言。
【午後11時25分】
50の競技の公式ピクトグラムをパントマイムで実演。
続いてお笑い芸人の劇団ひとりがコント調で登場する一連の流れは、
前日にユダヤ人大量虐殺を揶揄した過去が問題視されて解任された元お笑いコンビ「ラーメンズ」の演出家、
小林賢太郎氏のにおいを感じさせたが、
組織委は「小林氏が具体的に1人で演出を手がけている部分はなかった」と否定している。
【午後11時38分】
聖火が入場。
金メダリストである柔道の野村忠宏、レスリングの吉田沙保里から
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(85歳)へ渡った。
愛弟子の松井秀喜(47歳)が、シャツの後ろをグッと掴んで支える。
横には、盟友の王貞治ソフトバンク球団会長(81歳)。
日本球界が誇る国民栄誉賞3人の登場だが、サプライズ感はない。
「前日22日に、森喜朗前組織委会長が地元石川の北國新聞のインタビューに応じ、
ONと松井の共演を示唆していましたからね。
女性蔑視発言で組織委会長を辞任した森氏に組織委が
『名誉最高顧問』の肩書を与えることを検討していることも明らかになった。
3人の共演は森人脈で、つまり組織委内で、森氏が隠然たる影響力を残しているのは明らか。
体調の芳しくないミスターを担ぎ出したことも含め、早くも批判が出ています」(スポーツライター)
聖火の最終点火者は、テニスの大坂なおみ(23)が務めた。
異例ずくめの五輪はこうして始まった。(一部、敬称略)
バッハ会長のダラダラ演説にアスリートも辟易
夜更けに何度も打ち上がった花火(C)真野慎也/JMPA・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
陸上男子100メートルの山縣亮太(29歳)、卓球女子の石川佳純(28歳)らによる選手宣誓、
私は真摯な石川選手に、秘かに好感しているので、見逃して残念、と思ったりした。
そして、漆黒の空に、1824台のドローンがつくる地球などが浮かび上がった・・、
これは実況中継で見たかった・・。
バッハ会長の
「ニホンノミナサマノオカゲデス、ココロカラカンシャモウシアゲマス」
と片言の日本語を交えての演説が、13分の演説、
私は多少想像できるので、聞いている多くの御方は、お気の毒と苦笑している。
何より驚いたのは、聖火が入場の際、
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(85歳)が、
愛弟子の松井秀喜さん(47歳)に、シャツの後ろをグッと掴んで支えられ、
横には、盟友の王貞治ソフトバンク球団会長(81歳)が登場したことである。
私たち世代の多くは、長嶋茂雄さんの雄姿を幾たび、後楽園の指定席、
或いはテレビで観戦してきて、感動させられたひとりであるので、
こうした御姿は、公式の場には避けるのが、心の節度であり、
森喜朗前組織委会長は、罪な御方だ、と思い深めたりしている。