夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには漠然としながらも、私が感じる浄土(じょうど)の世界は・・。

2020-01-12 13:13:50 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅み住む年金生活の75歳の身であるが、
私は民間会社で35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めたので、年金生活は丸15年が過ぎ、早や16年生の身である。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。
       
こうした中、昨日の朝、私は都立・神代植物園に訪ねようと思い立った・・。    

この公園の、園内にある雑木林があり、
私は幼年期に農家の児として育った為か、身に心も安らぐ所となっている。

             
                                      
こうした根底には、私が通った地元の神代中学校の付近にあり、
入学した1958年(昭和33年)の当時は、神代緑地として存在し、この周辺は雑木林、畑などであった。

やがて1960年(昭和35年)の春に中学校を卒業した後、
確か翌年の1961年(昭和36年)の秋に、拡大と整備され上、
神代植物園と改称して、都内唯一の植物公園として開園された・・。

この間の私の中学時代は、生家より自転車で通学し、ときおり開園前の雑木林の中とか周辺を下校の時などに、
学友と自転車で走りまわったりしていた。
その後、人生の節目などを含めて、四季折々通ったりしてきた。
               
そして私が心に迷ったりした時などは、樹木を眺めたり、それぞれの花に心を寄せて、
心の濾過をして浄化されたりしてきた。         
                                
定年後の年金生活してきた中でも、殆ど独りで、四季折々訪ねていたが、
ここ数年は二十四節気(にじゅうしせっき)のように月に二回ぐらい通い、
数多くの落葉樹、常緑樹、花木、花を移りゆく情景を一期一会と思いながら鑑賞している・・。

          


このような深情を秘めている私は、冬の淡い陽ざしの中、11時半過ぎに正門より、
入園した・・。

そして正門付近の展示場には、「冬ボタン」が展示され、
つたない人生行路を歩んだ私でも、歓迎しますょ、と暖かな花が飾られていた。

何かしら、この「冬ボタン」は、もともと春に咲く品種を温度調節し、冬に咲くように栽培し、
春だと勘違いしているので、葉も青々と茂っています、と解説されていた。

そして冬と春に2回咲く品種の「寒ボタン」は、冬の花の時期は落葉しているので、
「冬ボタン」との差異が簡単に分かりますょ、と補記されていた。

          


やがて松林の近くをあるゆるい道を上りきると、
木のベンチがあり、ロウバイ(蠟梅)がひっそりと咲いていた。


そして前方には、数多くの雑木の中で、老朽化した休息処の東屋(あずまや)がある。


まもなく冬の陽ざしが増して、私は暖かさを感じながら、私はこうした情景に見惚(みと)れていた。

          


こうした時、私は漠然としながら浄土(じょうど)の世界・・、
こうしたことなのかしら、感じ深めたりした・・。

過ぎし10年前の頃、浄土じょうどは、仏教の世界に於いて、
すべての煩悩や穢(けが)れを離れて、仏様や菩薩が住む清浄な地、と私は学んだりしてきたが、
それぞれの御方の死後の安らかな世界、と解釈している・・。


そして私は、これまでの人生の中で、多くの知人、友人が死去されて、
私は哀悼をささげてきたが、いつの日にか私は、あの世に行ったとき、
再会したい多くの御方がいる。

そしてこうした御方と、冬の陽ざしが差す処で、お元気そうで・・
とお互いに談笑できることを願ったりする。


こうした瞑想を重ねていると、鐘の音が聴こえてきた・・。
都立の神代植物園に隣接した深大寺の山門の近くに鐘楼堂があり、
たまたま時を告げる鐘が撞(つ)く時であった・・。            

            

そして私は夢幻(むげん)と現(うつつ)の世界が交差する中、はっきりと現世に戻り、
やがて植物園を辞したりした。

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