夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『小寒』を迎え、これからは冬麗の季節かしら、と老ボーイの私は秘かに微笑みを重ねて・・。

2020-01-06 12:18:10 | ささやかな古稀からの思い

私は都心の郊外に住む年金生活の老ボーイの75歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、『小寒(しょうかん)』と朱記され、私は微笑んだりした。

『小寒』は古来より、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、その後の1月20日には『大寒(だいかん)』を迎えて、
一年で最も寒い時期と伝えられている。

そして『小寒』から『大寒』までの15日間、
その後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。

『寒の内』と称せられる『小寒』、『大寒』そして『立春』までの時節は、
旧暦であるので、今の暦(こよみ)に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域でも、寒い時節となる。
      
こうした中で、3月中旬のような暖かい日もあれば、平年より寒い日もあり、
この時節は三寒四温の時節、と遥か千年前の頃から多くの人々から名言されている・・。

やがて女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は日本水仙、福寿草、椿(ツバキ)、或いは白梅に励まされながら、
冬麗の美を心の友と私は思いながら、年金生活の冬の季節を15
年ばかり過ごしたりしてきた。

       

私は年金生活を始めた当初より、自主的に平素の買物専任者を宣言し、買物メール老ボーイの身であり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
歩くことが何よりの健康の源(みなもと)と思い、利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

この後、帰宅した後も自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

                 


私は民間会社の中小業で35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めたので、年金生活は丸15
年が過ぎ16年生の身である。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった2人だけ家庭であり、
東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みで、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。
   
そして私の生家に近くにあり、この地域に私は結婚前後5年を除き、早や70
年となっている。
私の住む地域は、年末年始を通して、ここ10日は殆ど冬晴れが多い中、
今年は朝方に屋根が霜(しも)を見たり、小庭の黒土に霜柱も見ることなく過ごしてきた。

       

私は自宅の近くに流れる野川の川沿いにある遊歩道、小公園、
そして歩いて45分ばかりの都立・神代植物園などを、その日の心情に応じて、歩き廻ったりしている。

昨今は冬のスポーツシャツにカーディガンに準じたフリーフで、歩くことが多く、
北風が吹いた時だけは、更に防寒着のフィールド・ジャケットを着たりしてきた。

       
          
自宅の近くに流れる野川の水辺の近くには、コサギ、ダイサギ、カルガモ、カワセミなどが数多く観られ、
愛好者の方たちは写真を撮る方も見かけることがあるが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられている。

       
          
そして遊歩道に隣接したマンションの数10棟の広い庭が、小公園として解放されている中を
歩いたりした。

       

私はこうした情景が好きで、毎週ように歩いて、季節のうつろいを享受している。

       

或いは帯状に小公園となり700メートル前後あり、
この時節は、桜(サクラ)、クヌギ、コナラ、白梅、公孫樹(イチョウ)などの冬木立となり、
暖かな陽差しを枝越しに眺めたりすると、
時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、と定年退職後から深め過ごしてきた・・。

       

ときには公園を訪ねたりすると落葉樹の冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラ、ケヤキの樹木が中核となっている・・。

そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。
          

私は足を止めて、陽だまりとなっている木のベンチに座り、しばらく見つめたりすることが多い・・。

       

そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。

このように冬木立の眺めたり、光がきらめく空を眺めたりし、
古人から冬麗(とうれい)と称されている情景に、心を寄せている。
          
そして数年に一回ぐらい小雪が舞い降る時もあるが、5センチ前後である。

       

私の小学生の頃までは、毎年少なくとも3回ぐらい30センチ前後の雪が降ったりしてきたので、
何かしら愛惜感が増したりしているので、国内旅行は何かと東北地方、北海道に家内ほ誘い、遊学することが多い。

やがて家内は、冬の時節は暖かい沖縄本島などの旅路を要望して、
積雪ある旅路がお別れとしている。

しかし旅行は、非日常であり、女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は冬麗の美を心の友として歩いたりしている。

       

こうした中で、ときおり何故かしら『冬景色』の歌を心の中で唄ったり、
人影のいない遊歩道の中で、かぼそい声で『冬景色』を唄ったりしているのが、
定年後の年金生活の中で多くなっている。
http://www.youtube.com/watch?v=r3sZKBnr6t4
【『冬景色』 作詞・作曲 不詳  文部省唱歌、唄・芹 洋子、合唱・東京放送合唱団 1984/1 放送 】

私の幼年期、私の住む地域でもこの当時は、
田畑が広がり雑木林もある緑豊かな農家の児として育ち、私は心のふるさとの限りない情景として、
齢を重ねるたびに愛惜が深め、このような心情を秘めているひとりである。

この歌は、1913年(大正2年)に刊行された『尋常小学唱歌 第五学年用』が初出と知られているが、
作詞はどなたが創られた不明であるので、この創られた方に心を寄せたりし、
ときおりこの歌を聴いたりすると、どなたが歌っても、私は涙ぐんでしまう時が多い・・。

遠い幼年期を想いださせるのか、 或いは失ってしまった純粋な心を甦(よみがえ)させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解らない。

何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。

私は詩の世界は恥ずかしながら理解する素養はないが、
歌声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は、少しは解るつもりである。

       

やがて2月下旬になれば、玄関庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら10数輪ばかり咲き、
その後は澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)となる中で、
小庭の白梅は数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らむ。

そして3月を迎えれば、予告もなく南の風が吹き、、
私は三寒四温の時節は、女の子が全国的に祝賀される『桃の節句』で終わりにしてょ、
と毎年心の中で願ったりしてきた。

その後、南の風が吹くたびに暖かさを増して、主庭の水仙、白梅は満開となり、やがて紅梅に咲き、
我が家の小庭は遅ればせながら水仙、白梅、紅梅が彩(いろど)られてるのが、毎年の習わしとなってきた。

                                                  

このように思い馳せたりして、冬晴れの陽射しの中で、ぼんやりと佇(たたず)んだりし、
果たして、この先の天上の気候の神々の采配は、どのようになるの、と私は青空を見上げたりしている。

コメント
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