私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。
そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中、ときおり家内と買物に行ったりする時は、
私はホディガード兼荷物持ちとなり、私は家内のお供のように共に出かけたりしている。
或いは小庭の手入れを私はする時、私の体力の衰えをみかねて、
ときおり家内が援軍となり、私たち夫婦で奮闘する時もある。
こうした私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
そして我が家は、ここ数年、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、
家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしたりしている。
こうした時、年に数回ぐらい、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうことを思案する時もある。
私が書物でめぐり逢えた医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)さんは、
過ぎし年、愛妻(享年69歳)の七回忌を迎えられたと学んだ。
しかしながら愛妻と別れは、突然であった、と知った。
「6年前、妻と娘で、浦和のホテルに泊まりに行っていたんですが、
娘から朝電話があって、『大変だーお母ちゃんが死んでる!』と。
持病もなかったので、まさかという思いです」
警察がホテルに入った。
鑑識の見立ては、心筋梗塞。
「私は患者さんが亡くなっても泣かないので、身内が死んで泣いたら恥ずかしいと思った。
でも何より驚きすぎて、涙が出なかった」
或いは私が確か65歳の時、私より2歳若い知人が、奥様が大病で数か月後に亡くなり、
私はお通夜に行き、夫より妻があの世に行ってしまうことに、動顛させられた。
こうした後でも、友人、知人が奥様を亡くされ、『おひとりさま』で生活されている。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた。
そして私は、いつの日にか私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。
そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。
その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。
そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
こうした中で、家内には自宅を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしてきた。
しかしながら、この世は予期せぬことがあり、家内に先立たれて、
私は『おひとりさま』になってしまうこともある。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。
やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。
そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。
この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。
こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。
そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。
そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、少なくとも年に4回ぐらいは2泊3日前後で、各地を訪れるだろう。
劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。
やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。
そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、
ひとり寝の子守り歌のように眠るだろう。
このようなことを私は、ときおり思案してきたが、こればかりは、
その時になって動顛しながら、初めて実感されことだよねぇ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。
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