ここで「定年後」の意味合いを会社員当時の労働時間との比較で勘案してみよう。

それではライフサイクル上の「定年後」をどのように把握すればよいだろうか。
よく引用されるのは平均寿命、平均余命、健康寿命などの概念である。

ある年の男女別にみた年齢別死亡率が、将来もそのまま続くと仮定して、
各年齢に達した人たちが、その後平均して何年生きられるかを示したものを平均余命(よめい)といい、
出生時、つまり0歳時の平均余命を特に平均寿命という。

「平成27年簡易生命表の概況」によると、2015年の男性の平均寿命は、80.79歳、女性は87.05歳である。
60歳時の平均余命で見れば、男性は23.55歳、女性は28.83歳になっている。

男性はおおよそ85歳近くまで、女性は90歳近くまで生きることになる。
また健康寿命という概念もある。

平均寿命のうち、健康で活動的に暮らせる期間である。
ただ平均数値をとると必ずしも標準的な層を示さない場合もある。
また寿命という年数だけでなく生活の質的な情報もほしいところである。

☆75歳までは介護なしの自立生活が可能

東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子特任教授は、
「長寿時代の科学と社会の構想」(『科学』2010年1月号)の中で、長年携わってきた全国高齢者調査の結果を紹介している。

この調査は、全国の60歳以上の男女を対象として、20数年にわたり加齢に伴う生活の変化をフォローしている。
約6000人の高齢者が対象である。

図は、お風呂に入る、電話をかける、電車やバスに乗って出かけるといったごく普通の日常生活の動作を
人や器具の助けなしでできる、
つまり自立して生活する能力が、加齢によってどう変化するかを示している。

これを見ると、男性には3つのパターン、女性には2つのパターンがあり、
総括していえば、男女とも8割を超えた人が、いわゆる後期高齢者に該当する70代半ばから、徐々に自立度が落ちてくる。

逆に言えば、大半の人は75歳近くまでは、他人の介助を受けずに自立して生活することができる。

今回の執筆をする際に話を聞いた70歳前後の人たち、ほぼ全員がこれに同意してくれた。

75歳以降の後期高齢者は、それまでとはライフステージが変わると言ってよい。
介助を受けながら生活することは、それまでの生活や仕事の形と明らかに一線が引かれるからだ。
そこでは他人の助けを借りながら、どのようにして生き生きと暮らすかの知恵が試される。

また誰もが、亡くなる直前まで元気に活動するピンピンコロリ(PPK)の最期を望むだろうが
親の世代を見ていてもそう簡単ではない。
最期の迎え方もまた違ったステージにあると言っていいだろう。

そういう意味では、「定年後」は、60歳の定年から74歳までと、75歳以降の後期高齢者の時期、
それに最期を迎える準備期間の3つに分けることが妥当である。

そして私が特に強調したいのは、60歳から74歳の15年間は、
家族の扶養義務からも解放されて、他人の介助を受けずに、自己の裁量でもって好きなように生きることができる最後で
最大のチャンスだということだ。

今回の『定年後』(中公新書)で、この期間を「黄金の15年」と名づけてみた。
悠々自適は75歳を超えた後期高齢者になってから考えればよいと私は思っている。


60歳で定年退職して、日々の睡眠、食事、入浴などの必要な生活時間を除いて考えると
自分の自由になる時間は、1日11時間程度とみていいだろう。
私の実感でもこのあたりだ。

75歳を超えると介助を受ける立場にもなるので、自由時間は半分の5.5時間、
75歳から残り10年を生きると仮定して、定年後の自由時間を計算してみる。

男性では、11時間X365日X15年(60歳から74歳まで)+5.5時間X365日X10年(75歳から84歳まで)≒8万時間になる。
女性ではそれよりももっと長い(そのうち黄金の15年は6万時間)。

一方で厚生労働省の資料で、所定内労働時間と所定外労働時間を合わせた年間の労働時間は、
1783時間(「毎月勤労統計」、事業所30人以上)。
21歳から60歳まで40年間勤めた総労働時間は、8万時間に満たないのである。

☆8万時間の自由、不自由

50代にもなると、先が短いと思っている人もいるが、
若い時から定年まで働いてきたすべての労働時間よりも、長い自由時間が待っているのである。
これほどの裁量のある時間を持つことができるのは、歴史上もなかったことだろう。
まさに「黄金の15年」なのだ。

しかし現実には、長い自由時間の中で立ち往生してしまっている人も少なくない。
使いこなすのに苦痛と感じる定年退職者もいるのである。

しかしそれを会社のセイや社会のセイにはできない。
もしそうしたとしても、そこから解決策は見いだせないだろう。

他方でイキイキしている人を見ていると、
定年後の特権は、なんといっても時間を自分のために、たっぷりと使えることだと感じる。
この両者の差はとても大きい。やはり「人生は後半戦が勝負」なのである。


黄金の15年を生かすという観点に立てば、60歳での定年時に、退職するか、
65歳までの雇用延長を選択するかは、重要なポイントになるだろう。
黄金の15年の3分の1にあたる期間を今までと同じ会社で働くかどうかの選択である。

定年後は思い切って裸一貫からでもやっていこうと思えば、雇用延長に手を挙げるという選択はないだろう。
一方で定年退職すれば孤独な日々になることが予想されるのであれば、
とりあえずは雇用延長に手を挙げておくという判断もある。
また経済的な面も考慮には入れておく必要があろう。

☆50代から「定年後」を検討せよ

個人的に気になるのは、会社での仕事を苦役だと考えている人が少なくないことだ。
その苦役な仕事をさらに5年間延ばすことは得策ではないだろう。
いずれにしても諦めずにチャレンジする気持ちは持っておきたいものだ。

それでは、定年時の選択において最も大切なことは何か。

多くのイキイキした定年退職者を見ていると、
人生の後半戦を「どのように過ごしたいか」という主体的な意思や姿勢が重要だとわかる。

そこが分岐点のような気がしている。
そう考えると、やはり50代のうちから「定年後」を検討することが求められる。

漫然と何も考えていなければ、黄金の15年をふいにしてしまうかもしれない。
せっかく生まれてきたのだから、自らの人生を大切にしたいものだ。・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であり、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住んでいる。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や67年が過ぎている。

過ぎし12年半まえ、年金生活を始めた当初、
常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。


午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。


このような年金生活を過ごしているが、いつの日にかどちらがが介護の身となると思われ、
こうしたことは私たち夫婦は、漠然と人生の晩秋期を話し合う時もある。

今回の記事を読み、多々教示され、60歳から74歳の15年間は、「黄金の15年」、
そして75歳からは悠々自適・・学んだりした。

しかしながらプラス思考の私でも、これまで友人、知人が大病して、
やがて死去されたことを幾たびも体験させられ、今でも心身痛みとして心の片隅に残っている。

こうしたことを根底に秘めて、私は人生の後半戦を明るく振舞いながら、年金生活を享受している。

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