夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ネットでは決してめぐり逢えない、私の数多く嬉しきことの中で、ふたつには・・。

2015-10-20 13:36:50 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭である。

そしてインターネットに関して、私が定年退職した2004年(平成16年)の秋を迎る前の夏に、
遅ればせながら我が家にインターネット回線を導入して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
据え置き型のパソコンを利用し、今日に至っている。

しかしながら私は、恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話に興味がなく、
家内は昨年の春に、ボケる前には携帯電話が必要と思い、
携帯電話の入門者に最適と思われる『らくらくホン』を一台ばかり買い求め、
メール、写真、ネット情報に連動させず、単なる電話機として使用している。

そしスマホと省略されているスマートフォンは、ここ7年急速に普及して、
2012年(平成24年)には世帯保有状況が40%となり、最近は60%になった、
と学んだりしてきた。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。

このように私は、無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
                               

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めたが、こうした中で、ネットの世界から数多く学んだりした。

特に総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】、【プレジデントオンライン】などから、
政治、外交、軍事、経済、社会、文化など多岐に及び学び、
やはりそれぞれの専門家の言説に、深く教示されたりしてきた。

或いは定年後まもない時に、私はブログの世界を知り、
これ以来、私はパソコンの故障、国内旅行をしていない限り、毎日一通は投稿してきた中で、
特にシニア層の方の投稿文を読ませて頂き、こうした思いで日々を過ごされているか、
と確かな人生の教科書と思いながら、教示されたりしてきた。


しかしながら、誰しも日常生活を過ごされる中、
情報氾濫のようなネットの世界から、数多く事柄を享受されていても、ネットでは決して、
めぐり逢えない出来事を多く体験している、と思ったりしている・・。

このようなことを私は、ぼんやりと先ほど思案し、
ネットではめぐり逢えない、ささやかな私の嬉しきことが思い浮び、微笑んだりした。
          

過ぎし9月15日、年に一度の『特定健診』と称される健康診断を内科病院で受診し、
この診断結果が先日15日で、私は病院の待合室で待機している時、
置いてある『週刊新潮』を取り、読んだりした。

たまたま10月1日号であったが、この中に作家・嵐山光三郎さんが、
『古都を旅する私の伊勢~何木塚~』を読んでいる中、心が強くはじけるような文に、
めぐり逢えた・・。

《・・(略)・・伊勢の句だけを見ても、芭蕉における西行の存在の大きさが分かります。
西行の痕跡を求めて旅に出た芭蕉、
そしてその跡を現代人が追う、これが日本の文芸のカタチなだと思います・・(略)・・》

私は敬愛している嵐山光三郎さんは、国文学を学び、その編集者と活躍された後、
小説、随筆を数多く上梓し、俳人でもあり、
雑誌などで俳句を投稿された応募作品について講評されている方で、
このたった三行で日本文芸を凝縮(ぎょうしゅく)されたことに、瞬時に圧倒されたりした。

そして私は芭蕉の『おくのほそ道』は、元禄期、芭蕉46歳の時に150日前後で奥州、北陸を旅されたが、
直ぐに紀行文として書かずに、死ぬ51歳近くで定稿になり、
この間に作品化する為の作業をされていたことを私は思い馳せて、
やがて私は、まぎれなくそうですよねぇ、と私は同意を深めたりした。
          

私たち夫婦は共通の趣味のひとつには国内旅行であり、
観光ホテルなどに滞在して、自動車免許書を放棄した私は、家内と共に周辺をひたすら歩く旅路が多い。

過ぎし一昨年の2014年(平成26年)新年まもない時、
ある有力な旅行通販会社から郵送されてくる小冊誌の中に、
《 温泉ステイ 長期滞在 渓谷に抱かれて・・
      定山渓グランドホテル端苑14日間 》と題したフリープランが掲載されていた。

私たち夫婦は冬の定山渓温泉の情景は未知であり、お互いに元気で意欲のある今、行きたい所に行ければ、
と思いながら旅路となった2月2日より15日まで13泊14日で滞在し、
温泉地、周辺を散策して、遊学してきた。

こうした中で、持参した3冊ばかりの本が読み終わった後、
10日の夕暮れ時から、定山渓温泉地に出ると、幾つかのコンビニに寄り、
総合月刊誌の『文藝春秋』を探し求めたが、やはりこの地にはなく、落胆してきた。

            

その上、過日に館内のロビーにある読売新聞の『書評』をたまたま読んでいた時、
山田太一・著の『月日の残像』(新潮社)の作品をノンフィクションライターの渡辺一史さんが書評され、
私は深い書評の寄稿文を読んだりすると、ぜひ購読したい、と私は思ったりしてきた・・。

             


こうした心情を秘めてきた私は、札幌の中心街に行き、本屋で買い求めたく、
幸いに家内は、外湯の湯処で入浴した後に、トレーナーがあると楽だわ、と言ったしてきたので、
家内はトレーナーを買い求める為、私たちは札幌の中心街に向った。

私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、路線バスに乗り、      
          

地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いたが、
地上に出ると、やはり札幌市の中心街は都会だなぁ、と感じたりした。

そして昨日まで多くの市民、観光客を楽しませた『さっぽろ雪まつり』も終わり、
雪まつりの会場の撤去作業が行われたりしていた。

こうした中、街の歩道を歩いたりすると、可愛らしい雪だるまにめぐり逢い、
記念に私は撮ったりした。
          

やがて私たちは、『サッポロファクトリー』に向った。
一部の歩道は根雪のような中を歩いたり、それぞれシティホテルの前は小奇麗に雪かきがされていて、
思わず微笑んだりした。

やがて『サッポロファクトリー』に入ると、懐かしい状景を観たりした。
          

確か2008年(平成20年)の12月の下旬の時に、家内が『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たく、
繁華街のすすきの4丁目より200m前後にある『ススキノ グリーンホテル 2』に4泊5日し、
この間にすすきの周辺、南三条を歩き廻ったり、もとより大通公園で『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たり、
或いは『三越』に寄ったり、地下街の商店街を歩いたりした。

そして『サッポロファクトー』に行ったりし、中島公園にある『北海道立文学館』に訪れたりした。

この時の『サッポロファクトー』の鮮明に思いは、この前景の煙突にサンタクロースが登っている情景で、
私は微笑みながら、創案された方の感性に絶賛したりしていた。

こうした思いのある私だったが、あれから6年は過ぎてしまったか、と歳月が余りにも早く過ぎてしまった・・
感慨深く感じながら、あの頃は私は若かった、と69歳の私は微苦笑したりした。


この後、家内はトレーナーを買い求める為、館内の衣服フロアーに行き、
私は館内の本屋に入り、私は総合月刊雑誌の『文藝春秋』(3月特別号)を手に取った後、
単行本のコーナで山田太一・著の『月日の残像』(新潮社)を探し求めたりした。

そしてレジの近くの山積みになっているコーナーで、
偶然に野坂幸弘・監修『ふるさと文学さんぽ 北海道』(大和書房)にめぐり逢い、
私は瞬時に手に取り、微笑んだりした。
             

やがて私は三冊の本をレジで精算して頂いている時、女性の店員さんに、
『アマゾンなどのネット販売ですと・・こうした本に無知のままだったと思われ、
やはり本屋に寄りますと、偶然に出逢える本もありますよねぇ・・
ですから、私はネット販売で買い求めたりしません・・』
と私は明るく言ったりしすると、若き女性の店員さんは微笑んだりした。
          

このように、たとえば山田太一・著の『月日の残像』(新潮社)をネットで検索をすると、
関連した本が下記に羅列されるサイトが多いが、
しかしながら野坂幸弘・監修『ふるさと文学さんぽ 北海道』(大和書房)は、もとより関連性がなく、
本屋で偶然にめぐり逢えた本となっている。


このようにネットでは決してめぐり逢えない、ささやかな嬉しきことを
私は数多く秘めたりしている・・。

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コメント (2)
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