夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の中、老ボーイの11年生の私が、購読してきた雑誌のあれこれは・・。

2015-08-08 14:38:29 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、早や11年生となっている。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、日常の殆どは私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
                    

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
                 
      
定年後の年金生活の中で、単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
          

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読している。

過ぎし1970年(昭和45年)4月にある会社に何とか中途入社出来た時、
それまで大学を退学して、映画・文学青年の真似事をし、やがて敗退して、
遅ればせながら社会人としての常識が欠落していたことに自覚させられた。

一般常識としての政治、外交、軍事、経済、社会などの出来事が余りにも無知であったので、
これ以来、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。

そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読している。


過ぎし7月20日、本屋で『新潮45』(8月号、7月18日発売)を見かけて、
特集が《【戦後70年】漂流する日本》であったので、お勉強ね、と思いながら買い求めたりした。
             

そして佐伯啓思さんの『国防を忘れた「異形の民主主義」』、
細谷雄一さんの『「国際主義の欠落」という病理』などの寄稿文を読み、多々教示させられた。

こうした特集の中で、ケント・ギルバートさんの『日本人よ目を覚ませ!』は、
義務教育を卒業した人だったら、誰でも解りやすい《戦後70年》略史である、
と私は微苦笑させられたである。

私はケント・ギルバートさんには無知であったが、アメリカのカリフォルニア州で弁護士をされ、
親日家と思われるが、海外からの視線で日本の《戦後70年》を的確に優しく表現したのに、
驚き、よく御存じと感心させられた。


昨日の7日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたら、
出版広告として、『文藝春秋』(9月号)と『中央公論』(9月号)が、
本日発売と表示されていた。

通常は10日発売の月刊総合雑誌であるが、
数多くの民間会社が夏季休暇は12日から始まると知ったりしてきたので、
少し早めたかしら、と思ったりした。

やがて『文藝春秋』は、恒例の芥川賞に於いて授賞作が掲載されてきたが、
今回は話題の又吉直樹さんの『火花』も掲載されているので、
出版業界は不況の中、又吉直樹さんの『火花』が単行本が爆発的に売れている中、
相乗効果で、今回の9月号は少し早めたかしら、と私は微苦笑したりした。


そして昨日の7日の午前中のひととき、駅ビルの本屋に立ち寄り、
『文藝春秋』(9月号)を見たりしたが、近くに厚い『文藝春秋』があり、
何かしら特別付録として、昭和2年9月『芥川龍之介追悼号』が付いていた。
             

私はこの特装版を手にした後、『中央公論』(9月号)を眺めたりした。
そして特集は、《 戦後七〇年日本を問い直す》と題されて、各著名人が対談されて、
瞬時に魅せられて買い求めた。

帰宅後、最優先に読んだのは、『中央公論』(9月号)であった。
山崎正和さんと福嶋亮大さんの対談『戦後復興を世界文明史の中で捉える』で、
多々教示されたりした。

そして五木寛之さんと古市憲寿さんの対談『世代間対立が生み出す「嫌老社会」』は、
読了後は切実な思いとなった。
             

私はこのサイトに於いて、確か5年前の頃に思案し、数年前も下記の通り明記してきた。

日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして年金も現役世代が払う保険料で
高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

そして周知の通り、失われた20年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化し、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となり、
たとえ大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、安住できない時代となってきた・・。

こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、
このように熾烈な状況の中で奮戦している。
          
  
そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。


このように私は、《・・現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できる・・》記載してきた。

そして今回の五木寛之さんの発言は、《・・世代間対立が生み出し、やがて増し「嫌老社会」の到来・・》
このような意味合いを深く洞察されていた。


この後、少し分厚い『文藝春秋』(9月号、特装版)を開き、
もとより月刊総合雑誌は、旬があるので、読書の最優先として読みふけっている。
          

尚、私は何かと単細胞で見つめ、短絡的な思考を諌(いさ)める為、
ひとつの難題、たとえば集団的自衛権などは、多面から思考する必要があるので、
新聞、テレビの特集番組、そして月刊総合雑誌などで、複眼の視線を習得するのが、本心である。


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