私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は独り住まいの家内の母宅に、昨日の6日より3泊4日予定で行っている。
家内の母が、膝から腰にかけて痛みが増し、少し遠方の大学病院で改めて検査を受ける為に、
家内は不安げな家内の母に付き添う為に、家内の母宅に駐在している。
今朝、地元の天気情報をテレビで視聴していたら、
本日も35度以上の猛暑日となりますので、8日連続の猛暑日になり、
観測史上記録更新中です、
と老ボーイの私は、このように聴こえた。
やがて私は『おひとりさま』になっているが、いつもように午前中に買物しょう、
と出かけた。
平素は駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に歩いて往還しているが、
やはり猛暑の中、熱中症で倒れて救急車で運ばれて、目覚めたら病院のベットの上だった事態は、
『おひとりさま』の身として困苦するので、路線バスに乗り、車内の冷気に甘えて往復することにした。
やがて駅前の駅ビルにある本屋、商店街にあるスーパー1店、ドラッグストアーだけ寄り、
早廻りしながら帰宅した。
そして居間の網戸と簾(すだれ)越しに外気を取り入れながら、
エアコンの冷気を最大出力したり、洗面所で顔を洗った後、衣服を着替えたりした。
やがて20分後、ガラス戸を閉めて、完全冷房ょ、と呟(つぶや)いたりした。
まもなく小庭を眺めると陽射しは燦々とする中、雑草が生え放題で、狭いながら草原のようで、
苦笑したりした。
私は何よりも暑さ苦手な身であり、小庭の手入れも放置してきたが、
それにしても8日連続の猛暑日は、異常だょ、天上の気候の神々はご機嫌が悪いかしら
と空を見上げたりした。
そして私の住む地域は、長らく雨から遠ざかっている日々が続き、
雑木、草花も何となく覇気がないので、私と同様に早くも夏バテなのかしら、と苦笑したりしてきた。
やがて古来の人たちは雨を待ちわびる時に、雨乞いの行事をしていたことを思いだし、
小庭のテラスの樹の下に行き、何かと単細胞の私は、ひとつの歌をかぼそい声で唄いだしたりした・・。
♪心の中が忘れた あのひとも 膝の重さを 覚えてる
と1980年(昭和55年)からラジオ、テレビで盛んに流れていた阿久悠(あく・ゆう)さんが作詞され、
八代亜紀(やしろ・あき)さんが唄われた『雨の慕情』の歌であった。
♪雨雨ふれふれ もっとふれ 私のいいひと つれて来い
と私はかぼそい声で唄ったりした。
しかしながら陽射しは相変わらず燦々とし、雨乞いの効果は及ばない中、
やがて主(あるじ)の私が音痴なのせいか、 或いは祈願不足のせいか、
と思ったりした。
まもなくして思い当たるとすれば、私はこの歌のように、
♪膝の重さを 覚えてる・・、選曲ミスだったことに気付いたりした。
私は結婚前の独身時代に於いて、確か8人の女性と交遊をしてきたが、失恋の方が多かった。
そして確固たる情愛、そして性愛を深めた良いひとに、めぐり逢えなかったことを気付き、
つたない私としては、雨乞うの歌には相応(ふさわ)しくない、と大いに反省をさせられたりした。
そして陽射しは燦々と照りつける小庭を見て、苦笑しながら、
いつの日に降るのょ、と空を見上げたりした。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は独り住まいの家内の母宅に、昨日の6日より3泊4日予定で行っている。
家内の母が、膝から腰にかけて痛みが増し、少し遠方の大学病院で改めて検査を受ける為に、
家内は不安げな家内の母に付き添う為に、家内の母宅に駐在している。
今朝、地元の天気情報をテレビで視聴していたら、
本日も35度以上の猛暑日となりますので、8日連続の猛暑日になり、
観測史上記録更新中です、
と老ボーイの私は、このように聴こえた。
やがて私は『おひとりさま』になっているが、いつもように午前中に買物しょう、
と出かけた。
平素は駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に歩いて往還しているが、
やはり猛暑の中、熱中症で倒れて救急車で運ばれて、目覚めたら病院のベットの上だった事態は、
『おひとりさま』の身として困苦するので、路線バスに乗り、車内の冷気に甘えて往復することにした。
やがて駅前の駅ビルにある本屋、商店街にあるスーパー1店、ドラッグストアーだけ寄り、
早廻りしながら帰宅した。
そして居間の網戸と簾(すだれ)越しに外気を取り入れながら、
エアコンの冷気を最大出力したり、洗面所で顔を洗った後、衣服を着替えたりした。
やがて20分後、ガラス戸を閉めて、完全冷房ょ、と呟(つぶや)いたりした。
まもなく小庭を眺めると陽射しは燦々とする中、雑草が生え放題で、狭いながら草原のようで、
苦笑したりした。
私は何よりも暑さ苦手な身であり、小庭の手入れも放置してきたが、
それにしても8日連続の猛暑日は、異常だょ、天上の気候の神々はご機嫌が悪いかしら
と空を見上げたりした。
そして私の住む地域は、長らく雨から遠ざかっている日々が続き、
雑木、草花も何となく覇気がないので、私と同様に早くも夏バテなのかしら、と苦笑したりしてきた。
やがて古来の人たちは雨を待ちわびる時に、雨乞いの行事をしていたことを思いだし、
小庭のテラスの樹の下に行き、何かと単細胞の私は、ひとつの歌をかぼそい声で唄いだしたりした・・。
♪心の中が忘れた あのひとも 膝の重さを 覚えてる
と1980年(昭和55年)からラジオ、テレビで盛んに流れていた阿久悠(あく・ゆう)さんが作詞され、
八代亜紀(やしろ・あき)さんが唄われた『雨の慕情』の歌であった。
♪雨雨ふれふれ もっとふれ 私のいいひと つれて来い
と私はかぼそい声で唄ったりした。
しかしながら陽射しは相変わらず燦々とし、雨乞いの効果は及ばない中、
やがて主(あるじ)の私が音痴なのせいか、 或いは祈願不足のせいか、
と思ったりした。
まもなくして思い当たるとすれば、私はこの歌のように、
♪膝の重さを 覚えてる・・、選曲ミスだったことに気付いたりした。
私は結婚前の独身時代に於いて、確か8人の女性と交遊をしてきたが、失恋の方が多かった。
そして確固たる情愛、そして性愛を深めた良いひとに、めぐり逢えなかったことを気付き、
つたない私としては、雨乞うの歌には相応(ふさわ)しくない、と大いに反省をさせられたりした。
そして陽射しは燦々と照りつける小庭を見て、苦笑しながら、
いつの日に降るのょ、と空を見上げたりした。
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