goo blog サービス終了のお知らせ 

夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

三上 洋・著『無料ネットサービスは個人情報漏れに注意!』、改めて私は多々教示され。

2013-10-11 14:14:53 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】の中の『ネット&デジタル』に於いて、
特に『セキュリティー』に関して、定期的に寄稿されているITジャーナリストの三上 洋さんの文を読んだりした。

今回は、『無料ネットサービスは個人情報漏れに注意!』と題された寄稿文で、
ネットに関して初心者の私は、そうですよねぇ、と再確認させられたり、
こうした思惑がネットの提供側にあったの、と多々教示された。
http://www.yomiuri.co.jp/net/security/goshinjyutsu/20131004-OYT8T00904.htm
☆【YOMIURI ONLINE】==>『ネット&デジタル』==>『セキュリティー』
       ==>『サイバー護身術 』==> 三上 洋・著作『無料ネットサービスは個人情報漏れに注意!』☆
          
私は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私と家内は、恥ずかしながら携帯電話も使えず、ましてスマートフォンも使えず、
やむなくインターネットは『フレッツ』の回線を通して、パソコンを利用している。

或いはフェイスブックとかモバイルパソコンに無縁で、無線のモバイル情報機器に遠い世界のようなことと思い、
このような稀(まれ)な国民のひとりとなっている・・。

こうした中で、我が家にインターネットの回線を導入したのは、
私が民間会社を定年退職した2004〈平成16〉年の秋の数か月前であった・・。

そして覚束ない若葉マークと称される初心者で、ネットの技量もなく、
ニュース、趣味の国内旅行などを検索したり、ブログの世界を知り、日々投稿したりしてきた。

このようにネットの世界も疎い身ながら、退職後の年金生活の中で、
ネットは急上昇するように加速化されて、あふれるネット情報の時代が到来している。
          
今回、三上 洋さんの寄稿文に於いて、特に後半部分を幾たびか私は読んだりした。
《・・
Googleグループや、FacebookやTwitterなどでの個人情報漏れが問題になっている。
無料のネットサービスは「ユーザーが提供する情報を利用すること」が収益となっていることを意識すべきだ。
・・(略)・・
無料ネットサービスでは情報の公開・利用が前提

このようなトラブルは、ユーザーや管理者の設定が「公開」のままになっていることが主な原因だ。
いわば利用者側の不注意なのだが、初期設定が「公開」になっているサービスが多いことも理由の一つと言えるだろう。
なぜ「初期設定が公開」なのか、それはネットサービス自体のビジネスを考えてみるとよくわかる。

たとえばGoogleは、あらゆるネットサービスを提供しているが、ほとんどは無料だ。
他社が有料で提供していたサービスを、Googleが無料かつ洗練された形で提供することで、
他社を圧倒して多くのネットサービスで優位に立っている。

ではなぜ、Googleは無料で様々なサービスを提供できるのか。
それはユーザーの情報、データ、履歴を利用してビジネスにする、もしくはお金にしようとしているからである。

たとえばGoogleでは、検索キーワードを基に広告を出している。
「葬式の費用」と検索すれば、それをGoogle側が読み取り、様々なページに張られているGoogleの広告(Adwords)で、
葬式関連の広告が出る。

同様のことはFacebookでも起きるし、Amazonでは過去の購入履歴を基に、お薦めの商品を表示する。
あなたの検索キーワード、投稿内容、購入履歴を基に収益を出そうと考えているわけである。
          

またビッグデータの活用もある。
ビッグデータとは、ユーザーの様々な行動履歴・データなどを集約して、ビジネスにつなげようとするもの。
多くの場合は個人を特定できない形で行われるが、
あなたが提供するデータや履歴が、ネットサービス側のビジネスにつながっていることは否めない。

このように無料ネットサービスの多くは、情報とデータを基にしてビジネスにしようとしているのだ。
いわば「情報が通貨」であり、より多くより具体的に情報とデータを集めたものがネットサービスの勝者となる。

そのため無料ネットサービスの基本的な発想は、
情報は利用するものであり、情報は公開されるべきものとして扱うことが多い。

結果として、多くのサービスでは「初期設定では公開」であり、規約では「データは自社の範囲内で利用する」と書くのが一般的だ。

ところが私たちは、まさか初期設定が公開だと思っていない。
プライバシーデータを扱うのだから公開ではないだろうと誤った前提で使ってしまっているのだ。
Googleでは今回のGoogleグループの問題だけでなく、
Googleマップの使用履歴の公開、ストリートビューなどでも個人情報公開が問題になった。

いずれもGoogle側は「公開・利用が当然」と考えていたから、このような現象が起きている。
          

無料ネットサービスでは慎重に設定を

Googleの各種サービス、Facebook、Twitterなどは、いずれも無料であり、初期設定は情報が一般公開となっている。
そのまま使ってはダメで、必ずプライバシー設定が必要になる。
細かい設定方法は、IPAの「インターネットサービス利用時の情報公開範囲の設定に注意!」でまとめられているほか、
この連載でも以下のように取り上げているので参考にしてほしい。

・Facebookに注意!「公開」はトラブルの元
・覚えておきたい「SNSの安全な歩き方」

どこまでが個人情報なのか? プライバシーの公開範囲はどこまで安全なのか? といった意識は、
時代と共に移り変わる。

以前は危険とされていた顔写真の公開も、Facebookの普及により抵抗感を感じる人が少なくなってきた。
それでもプライペートを何でも公開していい、業務のことを何でも書いていいというわけではない。
どこまでは公開して問題なし、ここは書いてはダメという判断基準を、個人それぞれが持つ必要がある。

FacebookやTwitter、ブログでの書き込み内容を改めて見直し、自分なりの基準を作りたい。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は定年後まもなくブログの世界を知り、パソコンの故障とか国内旅行で不在でない限り、
毎日投稿してきたので、習性のように投稿を重ねてきた・・。

ブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、無知なりに政治、外交、軍事、経済などの分野まで表現でき、
まさに10数年前の頃から、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

こうした中で政治、外交、軍事、経済などの場合は、感情だけで吐露(とろ)すれば危険でもある。
たとえば、
   XX党は、うわべの平和を念仏のように発言し、平和ボケであり、国家の主権さえも欠落している。
   XX党は、財源の悪化を無視してまでも、福祉だけを最優先とする政策を掲げ、日本の衰退を招く悪質な党である。
  卑劣な悪質な犯行する方は、たとえ法治国家の日本であっても、即時に絞首刑にしなさい、
このようなことを私が記載すれば、もとより私の人格が疑われてしまい、
感情と理性の間を往還しながら、心の節度して平坦な発言の投稿文となってしまう。

          
しかしながら私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しては、余すところなく表現してきた、
誰しも光と影があるので、ためらいながらもマイナスと称される影も私は描写してきた。
たとえば、
私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。

或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、
私たち五人の子供は成人したこと。

又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる自裁して、亡くなったこと。

そして私自身の場合は、大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、やがて敗退したことや、
定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。

このように私はこれまでの人生の歩みを吐露(とろ)しなければ、この先の人生を生きて行くことはできない、
と思い発露してきたのである。
          
このような思いで描写してきたが、もとよりブログは公表することであり、
1(私)対N(多くのお方)と思い、少しは抑制した表現となっている。
私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、外出着かしら、と思ったりしている。

               
これに反して、コメントの場合は、そのお方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手のお方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手のお方の返信にも本心が見え隠れし、微笑んだり、苦笑したりする。

まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コンントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。
                               
或いはそれぞれのお方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

私は毎日のように数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けている。

そしてこうした中で、感きわまってコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くのお方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれのお方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。
          

このように私は個人情報としては、ブログの世界を主軸に活用しているが、
多くの方は携帯電話、スマートフォン、フェイスブックなどで個人情報を発信、受信しているが、
程ほどにご配慮して、ご活用して下さい、と願っているひとりである。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
strong>
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする