夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

血液型B型の齢ばかり重ねた私、ネットから多々教示され、赤面して・・。

2013-10-23 12:37:23 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
午前中のひとときパソコンを開き、ネットを彷徨(さまよ)っている中で、
【 B型の人は独特の感性でイメージ展開 ひらめきや直感に富む 】
と見出しされた記事を見つめた・・。

私は、恥ずかしなから血液型はB型であり、齢ばかり重ねた私でも、好奇心に負けて、クリックしてしまった。
          

《・・占いのように思われがちだが、最近では会社の人事に取り入れられるケースも見受けられるのが血液型診断。
O型とA型で約7割を占める日本人。
その煮詰まりやすい社会のなかに、発想転換のヒントを与えるとともに、潤滑油として「楽しさ」を与えるのがB型だ。
 
B型に向いているのは、音楽や芸術分野に関わる仕事。
独特の鋭い感性でイメージを展開したり、ひらめきや直感に富んでいるので、クリエイティブな分野の仕事には最適だが、
持続力がないのが弱点。
 
『人生の9割は血液型で決まる!』(世界文化社刊)の著者で、
これまで20数年もの間、多くの人に対して「血液型と性格・性質」について研究を行なってきた小萩喜一氏がこう語る。

「B型の人に大切なのは“どこまでも真剣に遊ぶこと”です。
これはと思うものに出会ったら、思い切りそこに照準を合わせ、夢をかなえるために一心不乱に取り組むと成功します」

占いなどでは「変わり者」扱いされがちなB型だが、その熱中ぶりや波瀾万丈さを評価する声も。
クリエイティブな企画者として独創性を認めてもらえるかどうかがB型の人の分岐点なのである。
※週刊ポスト2013年1月1・11日号・・》
          
私は今回の記事を読み終わった後、B型の長所、短所が明示され、
恥ずかしさの余り、赤面させられたりした・・。
そして何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの軌跡を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っているよなぁ、と苦笑してしまった。

年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことを思い馳せたりすることもある。
これまでの人生で、私は熱病のように無我夢中となったりする時があった。

一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりする。
                     
音楽の場合は、1971(昭和46)年に偶然にシャンソンのバルバラを聴き、瞬時に魅了され、
これをきっかけにシャンソンに熱中した・・。
銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。

そして1989〈昭和64〉年に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は情報畑で、消費税実施が4月から実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。

この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。

そして1997(平成9)年の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。
          

映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。

そして、脚本家として橋本 忍さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だとデビット・リーン、そしてセルジオ・レオーネの両氏に夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。
この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりし、
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970(昭和45)年の春であった。
                                         
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、
浅田次郎の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は長らく愛読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読している。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。
          

私は幼少の頃から根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
私は少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋も多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦がれて時もあった。
         
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。

恥ずかしながら、齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。
          

私はB型で、5歳若い家内はA型であり、風変わりなカップルと私は思ったりしている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。

私はときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしているが、
家内は私がパソコンに向っていることは解っているが、内容に興味はなく、
飽(あ)きずにしているわ、と苦笑している。
          
そして年金生活を始めた私としては、家内は相変わらず洗濯、掃除、そして料理などをしているので、
もとより家内の方が負担が多いので、私は茶坊主に徹している。

1年の大半は私の方が目覚めるのが早いので、
コーヒーをマグカップに淹れて、家内の枕元に置いたりしている。

私は家内に、日に少なくとも6回ぐらいは、
さりげなくコーヒー、煎茶を淹れたりしているので、茶坊主にふさわしい、と思ったりしている。。


家内は血液型がA型のなせる技(わざ)か、
私から見れば掃除、洗濯、料理などを完璧にするタイプである。

私はB型の血液らしく、何事もアバウトであるが、
好きな事に関しては1食抜いても、大差がないと思っているタイプである。

私たち夫婦は、お互いの趣味の世界には、介入せず尊重している。
私たちは、いずれどちらかが独り身となった時、
趣味の世界があれば、それなりに生きがいを失うことなく過ごせると思っている。

共通の趣味は国内旅行であるが、こうした時は共有する時間が多いが、
多少の差異があったりする。

家内は、和菓子屋で煎茶か抹茶を頂きながら、
その地の銘菓を味わうのが趣味のひとつであるが、
私は家内に準拠して、その地の文化のひとつを享受したりしている。

旅先から帰宅後、買い求めた地酒を呑みながら、家内が選定してきたその地の食べ物を頂だき、
旅先の風土に思い馳(はせ)せながら、まぎれない文化のひとつである、
と家内に話しかけたりしている。

『XXちゃんさぁ・・先ほどの食べ物・・イマイチであるが、
これは絶品だょ・・奥が深いょ・・』
と私は家内に言ったりしている。

家内は、私の独断と偏見の悪い癖がはじまったわ、と苦笑している。
          

私は日中のひととき、買物に行ったり、散策をする以外は、
居間にいることが多く、ときには本棚をぼんやりと見る時もある・・。

私のパソコンを置いてある机の後方には、少し大きめの本棚が2本ある。
この本棚の最上段には最も敬意している本を置いている。

『世阿弥芸術論集』(新潮日本古典集成)、
栗山理一・編の『日本文学における美の構造』、
北 一明・著の『ある伝統美への反逆』、
上田三四二・著の『この世 この生~西行・良寛・明恵・道元~』、
安田章生・著の『西行』、
中野孝次・著の『西行の花』などの単行本が並んでいるが、
先ほどの背後の本を眺めていたら、配置の順番が変わっていなく、永久欠番のようだ、と微苦笑することもある。

私は高校に入学して、突然に読書の底知れぬ魔力に魅了されて、
映画・文学青年の真似事をした時期もあったので、
この間に友人に上げたり、月刊の雑誌などは捨てるようにしてきたが、
結果として高校時代より買い求めた5000冊前後の本となり、
書庫の本棚や押入れに入れたりしている。

そして一昨年の東大日本震災後、本格的に本の整理をし、
やむなく2000冊を処分したが、3000冊は残している。
この中には、私の青年期に定職に就かず、食事を抜いて買い求めた本もある。


こうした中で、居間の本棚は本を並列に置いてある前の15センチぐらいのスペースに、
家内がディズニーランド、シーなどで買い求めたキャラクター・グッズが、ここ10数年置いてある。
もとより家内が置いたのであるが、ミッキー・マウスなどが、ちょこんと居座っている。

ときおり私は苦笑しながら、私の苦手のディズニーのキャラクター品を見詰めたりすることもある。

そして私は、人生を過ごし生活を共にするには、ときには妥協も必要、
と心の中で呟(つぶや)く時もある・・。
          

遥か遠い昔、1975(昭和50)年、私は家内と交際して婚約する前の頃、
家内は茶事を中学生から習い続けていたことに好感し、
私は無知な和事を少し学べるかしら、と秘かに微笑んだりしていた・・。

そして翌年の春に結婚日が近づくと、
新居の賃貸マンションの一室に、私たちはお互いに荷物を運び入れたりしていた。

この時に、家内の荷物の中から、数多くの茶道具は予期し、
私は家内と共に、梱包された箱から取りだしたりしていた・
その後、もとより衣服などの箱もあり、そうした箱の横に、ひとつの箱があった。

そして家内は嬉しげに、この箱を開けたら、
何故かしら10センチぐらいの背丈のミッキー・マウスを見た時は、
私は驚きながら、
『俺・・知らなかったよ・・聞いてもいなかったし・・』
と私は小声で家内に呟(つぶ)やき、そして溜息をしたのである。


私は家内と結婚して、苦楽を共にして38年目となっているが、
私の結婚生活で、何より最大の誤算は、家内がディズニーのキャラクター品が好きである、
という現実である。
私は、ネズミを変貌させたミッキーなどが、どうして可愛らしいか、未(いま)だに解らない。

もっとも私は幼年期から犬とか猫も苦手な身であり、植物をこよなく愛し、
植物園だったならば、日参しても苦にならない。
しかし家内は動物大好きで、遠い北海道の旭山動物園に、
私たちは3度も遠征し、私はボディガード兼お供で付き合わされた。

このように私たち夫婦は、風変わりなカップルであるが、
離婚騒動もなく、一年に一度ぐらいは、夏季のクーラーの冷気で険悪となったぐらいである。
家内は冷気が苦手で、私は何よりも熱さが苦手で、クーラー大好きなタイプなので、
私の現役時代には、毎年の夏の初めの頃に、冷たい戦争があったりした。
          
定年後の年金生活の中、私は現役サラリーマン時代の緊張感もなくなり、
体力も衰えた今、なぜかしら家内に従順となり、
『ハイ! XXちゃんのおしゃる通りです!』
と私は自衛隊の若き諸兄に負けないように明るい声で、家内に応(こた)えている。

このように血液型は、たかが血液型されど血液型、と微苦笑を重ねたりしている。

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