私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
無念ながら短歌や俳句を詠む素養はなく、人さまが詠まれたのを読むのが好きなひとりである。
もとより短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。
そして俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。
或いは川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。
つたない半生を歩んできた私は、せめて川柳ぐらいは・・と時折一句でも吐くことあるが、
やはり素養に乏しく感じ、『ブログ』の世界で散文のようなつたない綴りを殆ど毎日投稿をしている。
このような心情のある私は、先程ネットでニュースを読もうと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、彷徨(さまよ)っている中、
【 オンナの本音『小町川柳』】と見出しされたコーナーを生まれて初めて見た。
そして『入選作ついに決定! 女心が詰まっています』と題されていた。
私は、若き少年の頃から女性に憧憬する悪い癖があるので、
オンナの本音、女心って、どういうことなのょ、と思ったりした後、
いけないと思いながら、何事も好奇心を失くしたら、この世は終わりだ、
と信念の私は、クリックしてしまった。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/komachisan/cafe/20130930-OYT8T00814.htm?cx_thumbnail=08&from=yolsp
☆【YOMIURI ONLINE】<==『大手小町』
<==『オンナの本音『小町川柳』】<==『入選作ついに決定! 女心が詰まっています』
私は読み終わった後、受賞された
《 ■最優秀賞 「ママ友の ほんの一部が まぁまとも」 (きらら・50歳代女性、東京都)
■優秀賞 「顔じゃない 男は中身 財布のね…」 (詠人・30歳代女性、新潟県)・・》
才能があるよねぇ、と微苦笑させられたりした。
私は時折『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。
私は中小業の民間会社に35年ばかり勤め、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。
このようなつたない私は、何かと『サラリーマン川柳』が好きで、
現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。
そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときおり年金生活の今でも本を開いたりしている。
今回の女性の優れた川柳を読ませて頂き、単細胞の私は喚起させられて、
男は 顔じゃないょ 心だょ 夢逢人
と一句を心の中で吐いたりした・・。
この発想の根源は、私たち夫婦が新婚まもない時、夏季休暇を利用して旅先の時、
家内の妹が未婚時に、幾つかお見合い写真で、選定するのに迷っている、
と私は家内からこのような意味合いを話されて、私がアドバイスした言葉である。
この後、私は《 男は 顔じゃないょ 心だょ 》と呟(つぶや)きながら、
川柳にも素養に乏しい、と苦笑したりした。
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もとより短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。
そして俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。
或いは川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。
つたない半生を歩んできた私は、せめて川柳ぐらいは・・と時折一句でも吐くことあるが、
やはり素養に乏しく感じ、『ブログ』の世界で散文のようなつたない綴りを殆ど毎日投稿をしている。
このような心情のある私は、先程ネットでニュースを読もうと、
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そして『入選作ついに決定! 女心が詰まっています』と題されていた。
私は、若き少年の頃から女性に憧憬する悪い癖があるので、
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いけないと思いながら、何事も好奇心を失くしたら、この世は終わりだ、
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私は読み終わった後、受賞された
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■優秀賞 「顔じゃない 男は中身 財布のね…」 (詠人・30歳代女性、新潟県)・・》
才能があるよねぇ、と微苦笑させられたりした。
私は時折『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。
私は中小業の民間会社に35年ばかり勤め、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。
このようなつたない私は、何かと『サラリーマン川柳』が好きで、
現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。
そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときおり年金生活の今でも本を開いたりしている。
今回の女性の優れた川柳を読ませて頂き、単細胞の私は喚起させられて、
男は 顔じゃないょ 心だょ 夢逢人
と一句を心の中で吐いたりした・・。
この発想の根源は、私たち夫婦が新婚まもない時、夏季休暇を利用して旅先の時、
家内の妹が未婚時に、幾つかお見合い写真で、選定するのに迷っている、
と私は家内からこのような意味合いを話されて、私がアドバイスした言葉である。
この後、私は《 男は 顔じゃないょ 心だょ 》と呟(つぶや)きながら、
川柳にも素養に乏しい、と苦笑したりした。
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