スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

大山街道・田村道⑤

2014-03-04 | 神奈川



「相模川」を渡り切り、土手の上を川下へ向かって数10m行った所に
田村の渡し場跡」碑

渡し場は現在の橋際辺りにあったようで、渡船4艘が
船賃10文で往来し、収入は両岸の3村で分配したそうです。

田村の地は 古くから坂上田村麻呂ゆかりの地と伝えられ、渡しは
江戸への脇往還である「中原街道」と「大山参詣道」の渡しでした。

「相州大山道田村渡之景」 歌川国芳
田村は この2つの往還と平塚から厚木への「八王子道」が交差する
要の地で「田村の宿」とも呼ばれ、旅籠屋・茶店などもあり賑わいました。
大山・箱根・富士山も眺望できる景勝地としても有名だったようです。
「 阿夫利嶺を まともに仰ぎ 旅人ら 声あげにけむ ここの渡しに 」



橋の袂まで戻って、R44の下をくぐれば
田村八坂神社

古くは「牛頭天王社」と称し、田村の庄の鎮守でした。
神社に伝わる祭囃子「田村ばやし」は、鎌倉時代の豪族 三浦義村の
舘に招かれた京都の楽人が伝えたものに始まるといわれています。
この神社の境内にも、鐘楼&梵鐘があります。


神社前の道を進むと、「八坂神社入口」交差点でR44に合流します。
その信号を左に入って行くと、市営アパートの前に
三浦義村舘跡」碑

三浦義村の舘がこの付近にあったということです。
義村については、三浦「岩浦山 福寿寺」を訪ねた際 ご紹介しましたね。


R44に戻って、街道歩きを続けましょう。


「旧田村十字路」交差点の右側に
十王堂跡」碑
          
江戸時代 此処に十王堂があったそうです。伝承によると、1537(天文6)年に
後北条氏が川越の上杉氏を攻撃の際、相模川の合戦で多くの戦死者が出たので
近隣の「妙楽寺」住職が供養のお堂を建立したそうで、大正初期まであったそうです。
 

傍らにある大山道の道標は、1759(宝暦9)年の建立。 
風化が激しく文字は判読困難ですが、正面に「大山みち」、右面は「ふじさわ
江のしま 加満くら」、裏面には「右 大いそ道」と刻まれてあるとのことです。



街道の路傍に、地蔵像や道祖神などが並んでいたりします。

大きい地蔵像は、1727(享保12)年の造立。




平塚・須賀湊と伊勢原・下糟谷を結ぶ糟谷通り大山道は、車の往来が激しく
狭い歩道を歩かねばなりませんが、真正面に大きな富士山がよく見えます☆




やがて 右側に、鳥居と長い参道


御霊神社

主祭神:崇道天皇
光仁天皇の第三皇子早良(さわら)親王は淡路島へ配流の
途次ご逝去。15年後に崇道(すどう)天皇と追称されました。
社伝によると、坂上田村麻呂が奥州の帰途 ここ「横内」に
京都「御霊神社」より天皇の霊を勧請祭祀したのに始まると。




渋田川に架かる「土安(どあん)橋」を渡って暫く歩き
「下谷」交差点で街道の車の往来を避けて、左の農道へ。
この辺りは嘗ては海だったそうで、広々と田畑が広がっています。

前方正面に大山、左前方に富士山を眺めながら、陽射しの中をの~んびり♪
遠くの富士山より、大山の方がでっかい山に見えるな~

この辺りには時折 チョウゲンボウが飛来するらしく、その姿を撮ろうと
カメラマンが大砲のような(笑)カメラを構え、何人も待機していました。


のどかな風景を楽しんだ後、また大山道に戻り
「小田原厚木自動車道」を越えて「伊勢原インター入口」信号の傍に
長堤山 東円寺

臨済宗のお寺
  開山:帰山光一禅師
本尊: 地蔵菩薩
標高10m以下という低地に接する高所にある このお寺の境内には
嘗て「舟繋ぎ松」と呼ばれる 樹齢約500年の松の木があり、寺の前から
城島(きじま)の浮島まで、沼を舟で往来する「こがの渡し」があったとか。

境内に「舟つなぎ松跡」碑

「 舟つなぐ 松がゆかりの 東円寺 」



さらに街道を歩き、「平間自治会館」バス停のある所に
長安山 三観寺

この地には珍しい黄檗宗のお寺。
街道に同宗の寺院は9ヶ寺あるそうですが、伊勢原は当寺だけ。
開山は、黄檗第4代の高僧 濁湛性瑩(どくたんしょうけい)師。
現在は無住とのことです。

本堂前に、宝篋印塔

1763(宝暦13)年 造立
高さ2.8m



八坂神社
(天王社・祇園社)

主祭神:素戔嗚尊
創建: 年代不詳
1200~1300年頃 京都祇園の牛頭天王社を信仰する者が
この地に分社を勧請したものと考えられています。
『新編相模国風土記稿』によれば、ご神体は約47cmの木像で行基作。

境内の銅鐘
          
「応永十年(1403年)」銘  県指定重要文化財
説明板によると、作者 和泉権守恒光は 相模鋳物師である 物部氏の
後継者的存在である清原氏の一族であろうと考えられています。

「天王松」

嘗て ご神木として道行く人々の道しるべともなっていた
樹齢600余年の松の巨大な根。 圧倒される迫力です!


神社の鳥居前に、庚申塔を兼ねた道標。
         
左面に「左 たむら道」、右面に「右 大いそ道」。
もともと 此処より北西の「日向(ひなた)道」に建てられていたものといわれます。
「日向道」は「日向薬師」に行く道。 「日向薬師」と呼ばれる寺院は、716(霊亀2)年
行基によって開山された嘗ての「日向山 霊山寺」の子院「日向山 宝城坊」のこと。

この「日向道」も、もし機会があれば 一度は歩いてみたいナ☆



日向道との分岐「沼目団地入口」交差点に、道標。

正面に「左 大山道 右 日向道」
1739(元文4)年の造立

もちろん左へ向かいます。




人家が多くなってきました。 伊勢原市街に入ってきたようです。


九品山 善光院 三福寺

浄土宗
開山:南蓮社忍譽西光上人北海慧慶大和尚
創建:1555(建久9)年
   本尊:善光寺(阿弥陀)如来

『善光寺縁起』によれば、本尊は1195(建久6)年 尾張の僧 定尊が
夢で阿弥陀如来のお告げを受け、69,000人の職人と共に1か月で
鋳造した 長野善光寺如来の分身仏48体のうちの1体といわれます。

境内には、数鉢の「大賀ハス」が育てられています。
大賀一郎博士から長野・善光寺に贈られたハスを当寺に分けて
貰ったもので、例年7月中旬~8月下旬ごろ開花するそうです。

山門前に、「六字名号塔」



そして「子(ね)の権現社」も。

足腰の健康と旅をつかさどる権現様。
奉納されたたくさんの草鞋が下がっています。


此処から 小田急線「伊勢原」駅はあと少しです。
寒川から伊勢原まで、今日はかなり頑張りました!  
足が、もうヨレヨレ~


28,597歩



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