伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

お笑いを編む

2017年06月22日 | エッセー

──1976年、東京生まれ。41歳。一橋大学非常勤講師もつとめる。早稲田大学第一文学部卒業後、早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文化専攻博士後期課程修了。文学修士。著書に『ヘンな論文』、春日太一氏との共著書に『俺たちのBL論』がある。──
 これがプロフィールである。名前は判らない。
 実は上記のプロフィールから抜いた部分がある。それは、「サンキュータツオ。芸人。オフィス北野所属。お笑いコンビ「米粒写経」として活躍する一方、日本初の学者芸人。ラジオのレギュラー出演のほか、雑誌連載も多数。」である。
 先日、本屋でなんとなく目が合った。もちろん、本人ではない。
   「学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方」(角川文庫 昨年11月刊)
 帯にはこうある。
──『新明解』『角川必携』『岩波』など、この世にたくさん存在する国語辞典。いったい何がどう違い、どれを選べばいいの? その悩み、すべて解決します! 辞書200冊超をコレクションする、オタクで学者で芸人のサンキュータツオが、辞書の楽しみ方、選び方、つきあい方を徹底ガイド。編者や執筆者の熱い想いと深い哲学が詰まった、ユニークで愛すべき国語辞典たちの、知られざる個性と魅力をわかりやすく紹介。解説・三浦しをん──
 解説者が憎い。言葉の海原を渡る「舟」、つまりはあの『言海』を擬した辞書づくり物語「舟を編む」を著した直木賞作家だ。「舟を編む」で12年の本屋大賞を受けている。同じ早稲田の出身でほぼ同期。その彼女が、タツオさんの「境地には、私は到底至れない」と畏敬するほどの“学者”である。
 辞書以外に、文体論を使ったお笑いの分析が専門の分野である。YouTubeにいくつかある中でもマキタスポーツとの対談形式での講演が出色である。
 マキタスポーツについては12年4月の拙稿「マキタスポーツは売れ筋」で触れた。
 〈過去30年のJポップヒット曲から作詞・作曲技法を微細に分析し、「ヒット曲の法則」を導出した。作曲にもヒットする法則性があるそうだ。彼はそれをネタに芸人として活動をつづけてきた。「作詞作曲ものまね」と自称する。作詞作曲の方法を真似る。声帯、形態模写ではなく、アーティストの思想、作風の「文体」を模写する芸だという。〉
 マキタスポーツと強いアナロジーがありそうだが、こちらは単なるインテリではない。歴とした学者の知的バックボーンがある。それを敢えてお笑いに落とし込んで語るところが空恐ろしいといえなくもない。
 「漫才文体論」講座の中から、一部を紹介する。
 〈テキスト(漫才の遣り取り)がどう相関的に関わっているか? ナイツを例に採ると、彼らは辞書的情報をずらしてネタを作る。特にツッコミの土屋さんがおもしろい。塙さんはお客に向かってしゃべり、土屋さんはツッコミを入れる。塙さんに対して喋る。2人は会話はしていない。そこで、台本分析をしてそれっぽい漫才をつくるとどうなるか。仮に相撲をネタにした場合を実演すると……
塙 「ヤホーで検索したら、昔から人気のスポーツを見つけた。みなさん、相撲ってご存知ですか?」 
土屋「全員知ってるよ」
塙 「日本の国技であるサガミ(相模)は」
土屋「相撲(すもう)だろ」
塙 「最高位がヨコハマ(横浜)」
土屋「やっぱりさがみ(相模)の話かよ」
塙 「一番下が溝の口」
土屋「序の口ね、やっぱり神奈川県」
塙 「現在ヨコスカ(横須賀)は2人いて」
土屋「横綱ね」
塙 「で、『ハクほう』と『ハカナイほう』と言って、そこそこ上の階級をヤクウチ力士と言います」
土屋「それちょっとマズいだろ。幕内ね」
塙 「丸く縄で縁取られたメヒョウに」
土屋「土俵ね」
塙 「白い粉を撒いて、勝ち負けは星と呼ばれ、時々金銭で売買される」
土屋「それはないだろ」
塙 「メールにそう書いてあった」〉
 メールはかつての八百長事件を指しているのだろう。「ヤクウチ」はもしかしたらおクスリか。「辞書的情報をずらし」て塙は客席を向き、土屋は塙を向く。2人の対話はない。マキタスポーツでいう「声帯、形態模写ではなく、アーティストの思想、作風」の完コピである。オードリーはどうか。春日が客席に向かってしゃべり、若林がツッコむ。ナイツと似ているようだが、そのうち2人だけの世界へ入っていく。ここがおもしろいという。そのような論説が40分近く続く。聴き応え充分だ。
 さて、辞書である。同書は単なる蘊蓄本ではない。体系的かつ網羅的に論じている。しかし決して固くはない。イラスト入り、現代風“吹き替え”ありで極めて読みやすくしてある。
 はじめに近代国語辞典の嚆矢となった『言海』に触れている。「国語」という概念の創始。祖父が蘭学者、父が儒学者という国際感覚をもった大槻文彦の出自。それが僥倖となった辞書編纂。あいうえお順の採用と大御所福沢諭吉のクレーム。その他、辞典それぞれの個性。存外にシュールな語釈。例示されている『新明解国語辞典』(三省堂)には、
 〈【動物園】 鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。
【恋愛】 精神的な一体感、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態。〉(抄録)
 と、ある。「飼い殺し」「まれにかなえられて」、実に大胆だ。
 ともあれタツオくん、徒者ではない。有り余る学識に任せてお笑いを編む超凡の匠かもしれない。 □