伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「平和ボケ」再考

2014年08月05日 | エッセー

 6月末の朝日新聞に、徴兵制の停止は軍国主義への回帰に繋がる、との編集委員による意見記事があった。ベトナム撤退後米国は徴兵を停止し、志願兵制度に移行した。「大半の国民にとって戦争はひとごとになり、国は戦争をしやすくなりました」と、識者の言を引いている。たしかに爾来、ベトナム反戦に比肩するほどの反戦運動は絶えて久しい。
 一見平和へ舵を取ったかのようで、実は藪蛇であった。そのティピカルな実例であろう。ならばこの伝をひっくり返せば、どうだろう。戦争へのバイアスがはっきりと掛かった場合、平和へのレジリエンスが強く働くのではないだろうか。かなりというか、呆れるほど脳天気な浅見だと批判をいただくことは覚悟の前である。歴史を識らないとのお叱りもあろう。しかし本邦の場合、事情が違うのだ。
 戦後70年(来年で)に及ぶ不戦の歴程は、なにはともあれ世界史的財産である。十年一昔で勘定すれば、700年に亘る長遠な星霜となる。それだけの長年月、一国の軍事組織が一人も殺さず、一人も殺されなかった。もはや奇蹟だ。内田 樹氏の洞見を徴してみよう。
◇「武は不祥の器也」。これは老子の言葉である。武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。私は改憲論者より老子の方が知性において勝っていると考えている。それゆえ、その教えに従って、「正統性が認められていない」ことこそが自衛隊の正統性を担保するだろうと考えるのである。自衛隊は「戦争ができない軍隊」である。この「戦争をしないはずの軍隊」が莫大な国家予算を費やして近代的な軍事力を備えることに国民があまり反対しないのは、憲法九条の「重し」が利いているからである。憲法九条の「封印」が自衛隊に「武の正統性」を保証しているからである。改憲論者は憲法九条が自衛隊の正統性を傷つけていると主張している。私はこの主張を退ける。逆に憲法九条こそが自衛隊の正統性を根拠づけていると私は考えている。◇(「『おじさん」』的思考」から)
 実に明晰にして整然たる理路である。これほど強固な護憲の主張を知らない。「封印」こそが「『武』の本質」なのだ。それを高々と貫いた70年である。世界史的快挙である。
 ところが、世にこれを「平和ボケ」と嘲る向きがある。ネガティヴに捉える傾きがある。永く平和が常態と化し(何をもって平和とするかはここでは措き、先ずは武力による戦闘がない状態としておこう)、戦争や安全保障に対してアパシーとなる。左右両翼から聞こえる見解である。
 ○○ボケとは○○によって感覚が鈍磨し、○○の反対物に対して無関心、無対応となる謂である。「幸せボケ」は継続する多幸感で生存感覚が鈍磨し、不幸への誘因に対して無関心、無対応となることだ。「時差ボケ」は時差によって体内感覚が鈍磨、変調し、正常な時間への対応不良に陥ることだ。「休みボケ」は休暇によって仕事感覚が鈍磨し、勤務への対応に齟齬をきたすことだ。
 振り返れば、古より武力戦闘集団は武士に限られていた。いわば選ばれたる志願兵制度である。維新後、西南戦争を嚆矢として徴兵制を採り国民皆兵となった。日本史上初であった。その後漸次軍国化が進行し、太平洋戦争の大敗北という破滅的終熄を迎えた。この間、約70年である。つまりは本邦は70年間、戦時もしくは臨戦期にあった。“非”平和が70年続いた勘定になる。そこでカウント・ゼロに戻してちょうど70年、平和が続いた。「平和ボケ」と切って捨てるは、余りにぞんざいであろう。ボケと呼ばわるには、70年を生きた同胞(ハラカラ)に礼を失するのではないか。
 そうではない。奇貨可居。「平和ボケ」は歴史的ポートフォリオではないか。ここまでくれば「ボケ」といわず、「イノセント」というべきであろう。なにせ、「反対物」を端っから知らないのだから。いうなれば、『平和イノセント』である。裏返せば『戦争無免疫』だ。実は、稿者はこれに賭けたい。「脳天気な浅見」とは、このことだ。集団的自衛権をはじめとする自民党右派政権の謀作を挫かんとすれば、これは存外有効ではないか。最後の砦となるかもしれない。
 免疫がなければ、忽ち病症は現れる。例えば時の首相により自衛隊にペルシャ湾への出動命令が下れば、好戦ムードが昂揚するであろうか。間違いなく、その逆だ。ましてや『戦死者』が一人でも出れば、抜き差しならない血塗られた戦争の現実を突きつけられることになる。イノセントな国民は果たしてそれに堪えうるであろうか。純粋で無垢な少年が、または少女が殺人現場に偶会して、なお精神の均衡を保てるか甚だ疑問であるのと同等に疑わしい。日本経済の生命線を死守するという大義に私たちは口を噤むであろうか。むしろ190日分はある石油備蓄で食いつなぎながら、なぜ外交努力を尽くさなかったのかという批判を政府に向けないであろうか。
  04年1月、イラク南部のサマワへ向かう自衛隊員と家族の別れのシーンが蘇る。選り抜きの隊員である。かつ、『非戦闘地域』で人道復興支援活動と安全確保支援活動が目的であった。それでも、送別は悲壮感が漂い涙の壮行となった。その時だ。稿者は『平和イノセント』の神々しき実像を見た。未知は人を畏怖させる。しかし、それは生存へのアラームでもあるのだ。
 事ここに至れば、「平和ボケ」はひょっとしたら「平和へのレジリエンス」たり得るかもしれない。とはいえ、こんな管見にしか便(ヨスガ)を預けられない刻下の事況が口惜しい。 □